1911年5月に録音された音楽

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1911年5月に録音された音楽

1911年5月、中国では清朝政府(Qing government)が漢口・広州線および四川・漢口線の国有化と外資借款を進め、後の鉄道保護運動を加速させました。メキシコではフランシスコ・I・マデロ(Francisco I. Madero, 1873–1913)を支持する革命勢力がシウダー・フアレス(Ciudad Juárez)を制圧し、シウダー・フアレス条約(Treaty of Ciudad Juárez)を経て、ポルフィリオ・ディアス(Porfirio Díaz, 1830–1915)が大統領を辞任しました。アメリカ合衆国では合衆国最高裁判所がスタンダード・オイル(Standard Oil)を不当な取引制限と認定し、巨大独占企業への規制強化を印象づけました。また、インディアナポリス・モーター・スピードウェイ(Indianapolis Motor Speedway)では第1回インディアナポリス500が開かれ、レイ・ハルーン(Ray Harroun, 1879–1968)が優勝しました。音楽界ではグスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860–1911)がウィーンで死去し、交響曲と指揮芸術の一時代に区切りが生まれました。さらに、ハーランド・アンド・ウルフ造船所(Harland & Wolff)では豪華客船タイタニック号(RMS Titanic)が進水し、巨大客船時代の象徴的出来事となりました。政治不安、交通革命、企業規制、大衆娯楽の拡張が同じ月に重なった1911年5月は、20世紀初頭の世界が大きく組み替わりつつあったことをよく示しています。

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1911年5月の録音に関する情報のまとめ

1911年5月の録音界では、トマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)系の業界誌『Edison Phonograph Monthly』1911年5月号に、Gem・Fireside用のモデルR再生器、1911年7月向け新譜告知、インディアナ州知事の録音、イタリア語録音の追加、「Tinned Music」と題する録音文化論などが並びました。この月は、機械改良、新譜供給、宣伝素材、外国語録音の拡充が同時進行していた時期として位置づけられます。

モデルR再生器と中価格帯機の強化

1911年5月号では「Model “R” for Gem and Fireside Equipment」が主要記事として掲げられ、同号冒頭でもモデルOおよびモデルR装備の中価格帯機への需要の強さが述べられています。これは、既存のシリンダー式装置の使い勝手を改良しつつ、普及機でも長時間再生への対応力を高めようとする動きを示しています。

1911年7月向け新譜告知

同号には「Advance List of Edison Amberol and Edison Standard Records for July, 1911」が掲載され、夏季商戦に向けた新譜供給が前倒しで案内されました。月次の advance list を通じて発売前から注文と販促物を動かす方式が、1911年春のエジソン系販売で重要な役割を果たしていたことが分かります。

トマス・R・マーシャルの録音

『Indiana’s Governor Makes Records on Edison Phonograph』という記事は、トマス・R・マーシャル(Thomas R. Marshall, 1854–1925)がエジソン・ホーム蓄音機(Edison Home Phonograph)で自らの声を初めて聴き、W・E・キップ(W. E. Kipp, 生没年不明)らの関与で宴席用の録音が準備されたことを伝えています。政治家の声そのものがニュースとなり、録音技術の実演と宣伝の素材になっていた点は、当時の音声メディアの新しさをよく示しています。

イタリア語録音の拡充

1911年5月号の「Edison Italian Records」では、ジーナ・アルディート(Gina Ardito, 生没年不明)とエウジェニオ・トッレ(Eugenio Torre, 生没年不明)によるナポリ歌曲中心の新録音が案内されています。英語圏市場の外へ向けた多言語録音の拡張が、この時期の録音事業における重要テーマだったことが読み取れます。

「Tinned Music」に見る録音文化論

同号には「Tinned Music」という記事も置かれており、録音音楽をめぐる賛否や受容のあり方が、単なる商品説明ではなく文化論として語られていたことがうかがえます。1911年5月は、蓄音機が家庭娯楽の道具であるだけでなく、生演奏や聴取習慣と競合しながら自らの価値を定義しようとしていた時期でもありました。