1912年2月に録音された音楽

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1912年2月に録音された音楽

1912年2月は、東アジアでは清朝最後の皇帝プイ(Puyi, 1906–1967)の退位詔書が2月12日に出され、翌13日にスン・ヤトセン(Sun Yat-sen, 1866–1925)が臨時大総統を退いて、政体移行が一気に進みました。アメリカ合衆国(United States of America)では、ウィリアム・ハワード・タフト(William Howard Taft, 1857–1930)の署名によって2月14日にアリゾナが48番目の州となり、同じ日には日本からワシントンへ贈るサクラ約3,020本が横浜港から発送され、日米間の友好を象徴する文化的出来事となりました。社会面では、ローレンス繊維ストライキの渦中にあったマサチューセッツ州ローレンスで2月24日、子どもたちの退避を警察が阻止して母子が負傷・逮捕され、翌月の連邦議会調査につながりました。さらにアメリカ政治では2月、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt, 1858–1919)が共和党州知事らから大統領候補就任を求める請願を受け、同年選挙の対立軸が鮮明になっていきます。パリでは二月上旬、フランツ・ライヒェルト(Franz Reichelt, 1878–1912)によるエッフェル塔からの落下傘服実験が致命的失敗に終わり、航空実験の危険性も強く印象づけられました。

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1912年2月の録音に関する情報のまとめ

1912年2月の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)を見ると、この月の録音・販売関連情報は、上位機種「エジソン・オペラ」の仕様追加、新しい演奏家・歌手の投入、4月売出予定盤の事前告知、そして外国盤の継続供給という四つの動きに整理できます。誌面は録音そのものの記録だけでなく、どの機種を前面に出し、どの人材を新たな看板とし、どの市場向けレパートリーを維持するかを同時に示しており、1912年2月時点のエディソン陣営の営業方針を直接たどれる月です。

オペラ機の新仕上げ追加

1912年2月号では、高級機「エジソン・オペラ」について、既存のマホガニー仕上げが好調で在庫を使い切ったこと、新たにゴールデンオーク仕上げと「ミュージック・マスター」木製シグネット・ホーンを組み合わせた仕様を供給すること、そしてその価格が85ドルであることが明記されています。月単位で確定できる事実として、1912年2月はエディソンが録音再生機の上位モデルを外観面でも拡充した月でした。

新しい演奏家の告知

同号の「New Edison Talent」欄では、オリーヴ・ミード四重奏団(Olive Mead Quartet)が「世界で最も有名な女性弦楽四重奏団」として紹介され、同時に新しいエディソン・テナーの導入も告知されています。ここから確認できるのは、1912年2月の時点でエディソン側が単なる新譜追加だけでなく、新たな演奏家そのものを販促材料として前面化していたことです。

4月売出盤の事前告知

1912年2月号15頁では「1912年4月向け」の新譜一覧が掲げられ、出荷予定、店頭販売解禁日、注文締切が具体的に示されています。そこではエディソン・アンベロール・コンサート盤として、オリーヴ・ミード四重奏団の「Hymn to the Emperor – Kaiser Quartet」や新テナーによる「Beloved, It Is Morn」などが並び、さらにアイリーン・フランクリンの初録音をエディソンで出すことも打ち出されていました。したがって1912年2月は、4月発売盤を見越した先行受注と宣伝がすでに始まっていた月といえます。

外国盤の継続供給

同じ2月号の後半には「Foreign Records for April, 1912」が載り、その中で「British Amberol for February」としてビリー・ウィリアムズ(Billy Williams, 生没年不明)やハリー・ローダー(Harry Lauder, 1870–1950)らの盤が列記されています。これは、1912年2月の時点でエディソンが英語圏向けのみならず各国市場向けの外国盤供給を継続し、その情報を北米の流通網にも共有していたことを示す直接資料です。