1914年5月に録音された音楽
1914年5月は、政治制度、農業政策、移民問題、海上交通の各分野で重要な動きが確認できる月です。5月8日、アメリカ合衆国ではスミス=レバー法(Smith-Lever Act of 1914)が成立し、州立農科大学と連邦政府を結ぶ協同農業普及制度の枠組みが整えられました。翌9日にはウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson, 1856–1924)がアメリカ合衆国大統領布告第1268号(Proclamation 1268—Mother’s Day, 1914)を出し、5月10日の母の日が全国的記念日として示されました。21日にはイギリス庶民院(House of Commons of the United Kingdom)で政府アイルランド法案(Government of Ireland Bill)の第三読会が行われ、アイルランド自治をめぐる政治対立が続きました。23日には蒸気船コマガタマル号(S.S. Komagata Maru)がバンクーバー港に到着し、乗客の上陸をめぐる対立がカナダの排外的移民政策を可視化しました。29日には蒸気船エンプレス・オブ・アイルランド号(RMS Empress of Ireland)が蒸気船ストースタッド号(SS Storstad)と衝突してセントローレンス川で沈没し、多数の死者を出しました。
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1914年5月の録音に関する情報のまとめ
1914年5月の録音関連資料としては、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)1914年5月号と、同月刊の業界紙『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)1914年5月号が有用です。前者ではシリンダー製品放棄説の否定、販売部門人事、次月発売予定商品の告知が確認でき、後者ではヴィクター・トーキング・マシン・カンパニー(Victor Talking Machine Company)とコロンビア・グラフォフォン・カンパニー(Columbia Graphophone Company)がダンス需要と教育用途を軸に販促を強めていたことが確認できます。少なくとも当月の資料上では、1914年5月の市場はシリンダーとディスクが並行して競争し、機械改良、販促冊子、教育用・舞踊用の提案が同時に進んでいました。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)1914年5月号には、まず「エジソン・シリンダー製品を最終的に放棄する」という流言を強く否定する告知が載っています。そこでは、エジソン・ブルー・アンベロール・レコード(Edison Blue Amberol Records)とエジソン・ダイアモンド・アンベローラ(Edison Diamond Amberola)を今後も積極的に推進する方針が示されています。同号には、販売部門の人事としてF・K・ドルビア(F. K. Dolbeer, 生没年不明)の辞任とA・C・アイアトン(A. C. Ireton, 生没年不明)の後任就任も掲載されており、加えて6月発売分のブルー・アンベロール・レコード案内が組まれていました。資料上、1914年5月のエジソンは、シリンダー製品の継続を明言しながら、販売体制の再編と新譜告知を並行して進めていたことが確認できます。
- https://archive.org/details/edisonphonograph12moor
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1914-Vol-12.pdf
ヴィクター
『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)1914年5月号では、ヴィクター・トーキング・マシン・カンパニー(Victor Talking Machine Company)がヴィクトローラXIタイプF(Victrola XI, Type F)を新たに告知したことが確認できます。記事によれば、この100ドル機にはレコードを平置き収納できる内部構造などの改良が加えられていました。また同号では、ヴァーノン・キャッスル(Vernon Castle, 1887–1918)とアイリーン・キャッスル(Irene Castle, 1893–1969)夫妻がポーズを担当した図版入り冊子『スリー・モダン・ダンス』(Three Modern Dances)が紹介されており、ワンステップ、ヘジテーション、タンゴを軸にダンス・レコード需要を広げようとしていたことが分かります。資料上、1914年5月のヴィクターは、機械改良と舞踊販促物を同時に打ち出していました。
コロンビア
『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)1914年5月号では、コロンビア・グラフォフォン・カンパニー(Columbia Graphophone Company)の教育部門が月初に教育用レコード総合カタログを出したことが報じられています。同号には、エミリー・オキーフ(Emily O’Keefe, 生没年不明)が同社のフォークダンス・レコード制作を監修している記事もあり、さらにG・ヘップバーン・ウィルソン(G. Hepburn Wilson, 生没年不明)による『ハウ・トゥ・ダンス・ザ・モダン・ダンシズ』(How to Dance the Modern Dances)が販売店向け無償配布物として大きな需要を集めていたことも記されています。加えて、アンナ・パヴロワ(Anna Pavlova, 1881–1931)の1914年4月20日付書簡が転載され、コロンビア・グラフォノーラ(Columbia Grafonola)とダンス・レコードの使用感が称賛されていました。資料上、1914年5月のコロンビアは、教育用途と舞踊用途の両面からレコード需要を広げようとしていたことが確認できます。
