1949年に録音された音楽

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1949年に録音された音楽

1949年は、第二次世界大戦後の再編が「対立する陣営」として固定化し、政治・経済・技術・大衆文化が同時に組み替わった年でした。ヨーロッパでは、ベルリン封鎖(Berlin Blockade、1948年6月24日–1949年5月12日)が終結し、空路で都市を支えたベルリン大空輸(Berlin Airlift)の経験が、現実の安全保障構想を押し進めます。北大西洋条約(North Atlantic Treaty)の調印により北大西洋条約機構が発足し、同年にドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国が相次いで成立して、分断は国制として可視化されました。西側では欧州評議会が欧州評議会規程(Statute of the Council of Europe)によって始動し、国際人道法では1949年8月12日にジュネーヴ諸条約(Geneva Conventions)が採択され、戦後秩序を支える規範の更新も進みました。一方、東側では経済相互援助会議が公表され、経済の結び付きも陣営ごとに整備されていきます。

アジアでは、1949年10月1日に中華人民共和国が成立し、中華民国の政府は同年12月に台湾へ移りました。中東ではイスラエル国が1949年5月11日に国際連合へ加盟し、新しい国家の参加が戦後枠組みの一部になります。植民地帝国の解体も続き、オランダ王国からインドネシア合衆国へ1949年12月27日に主権が移譲されました。また、ニューファンドランドは1949年3月31日にカナダの一部となり、国境線は戦場以外の場所でも静かに引き直されます。アイルランドでも1949年4月18日にアイルランド共和国法1948(The Republic of Ireland Act 1948)が施行され、国家の自己定義が更新されました。

核と計算機は、世界の距離感を一段変えました。ソビエト社会主義共和国連邦の原子爆弾実験が確認され、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884–1972)が1949年9月23日に公表した声明は、抑止と不安が日常語になる時代の入口を示します。計算の側では、電子遅延記憶自動計算機(Electronic Delay Storage Automatic Calculator)が1949年5月6日に初の計算を実行し、研究と産業を支える「使える機械」の時代が始まりました。日本では、ジョゼフ・マレル・ドッジ(Joseph Morrell Dodge, 1890–1964)によるドッジ・ライン(Dodge Line)が打ち出され、同年夏には下山事件、三鷹事件、松川事件が相次いで起き、占領期社会の緊張が表面化します。一方で湯川秀樹がノーベル物理学賞(Nobel Prize in Physics)を受賞し、戦後日本の学術が国際舞台へ復帰する象徴ともなりました。

大衆文化と音のメディアも、戦後の生活を塗り替えます。コロムビア・レコード(Columbia Records)の33 1/3回転長時間マイクログルーヴ盤は、より長い収録時間を前提にした鑑賞と商品形態を広げました。これに対してアールシーエー・ヴィクター・レコード(RCA Victor Records)が1949年に投入した7インチ45回転盤は、短い単位の流通を加速させます。出版ではジョージ・オーウェル(George Orwell, 1903–1950)の一九八四年(Nineteen Eighty-Four)が刊行され、戦争が終わっても終わらない監視と情報の問題を、物語として大衆の想像力に刻みました。1949年は、国家の境界線と同時に、聴かれ方・語られ方の境界線も動いた年であり、レコードという物質媒体は、その変化を日々の音として蓄積していきました。