1911年7月に録音された音楽
1911年7月は、国際政治の緊張と新しい制度・文化の始動が同時に進んだ月でした。7月1日にはドイツ帝国がモロッコのアガディールへ砲艦を派遣し、アガディール事件が表面化して第二次モロッコ危機が深まりました。7月10日にはオーストラリア海軍(Royal Australian Navy)が正式にその称号を与えられ、連邦国家としての軍事制度整備が前進しました。7月13日には英国王太子エドワード(Edward, Prince of Wales, 1894–1972)の叙任式がカーナーヴォン城で行われ、王権とウェールズの象徴性が強く結びつけられました。7月24日にはインド理科大学院(Indian Institute of Science)が活動を開始し、同日にはハイラム・ビンガム3世(Hiram Bingham III, 1875–1956)がマチュ・ピチュを世界に広く知られる契機をつくりました。さらに同日、アメリカ合衆国ではアディ・ジョス(Addie Joss, 1880–1911)の遺族支援試合が開かれ、のちのオールスター戦の先駆として記憶される催しとなりました。
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1911年7月の録音に関する情報のまとめ
1911年7月の録音界では、シリンダー方式がなお主力商品として強く維持される一方で、ディスク方式の新機種公開も進み、移行期らしい二重の動きが見えます。一次資料で確認できる範囲では、エジソン陣営はこの月にシリンダー式蓄音機とシリンダー・レコードの終息説を明確に否定しており、そのうえで秋向け新譜の予告、新しい歌手の紹介、ハワイアン演奏家の宣伝を続けていました。他方、1911年7月10日–13日の全米談話機卸業者協会大会では新しいエジソン・ディスク機が公開されており、1911年7月は円筒とディスクが並行して前面に出た月として位置づけられます。
シリンダー機中止説の否定
1911年7月号の『Edison Phonograph Monthly』には、シリンダー式蓄音機とレコードの製造中止説が業界内で流布しているとして、これを否定する告知が掲載されています。少なくとも確認できる一次資料の範囲では、1911年7月時点のエジソン側はシリンダー製品の継続販売を明言しており、この時期に「円筒は終わった」と断定することはできません。
9月向け新譜の予告
同じ1911年7月号では、1911年9月向けのエジソン・アンベロールとエジソン・スタンダードの新譜予告が掲載されています。これは、7月の段階で秋の販売計画がすでに具体的に編成されていたことを示しており、シリンダー新譜の供給体制がこの時点でも継続していたことを裏づけます。
新しい録音人材の紹介
1911年7月号は、新しい録音人材としてフランクリン・ローソン(Franklin Lawson, 生没年不明)とウォルター・ヴァン・ブラント(Walter Van Brunt, 生没年不明)を紹介しています。あわせて、トゥーツ・パカ(Toots Paka, 生没年不明)とそのハワイアン楽団にも言及しており、当時のエジソン陣営が新しい歌手の補強とハワイアン趣味の継続的な需要喚起を並行して進めていたことが分かります。
エジソン・ディスク機の公開展示
1911年7月10日–13日にウィスコンシン州ミルウォーキーで開かれた全米談話機卸業者協会年次大会では、新しいエジソン・ディスク機が初めて公に示されました。アメリカ議会図書館(Library of Congress)の解説でも、この大会が最初の公開の場だったと整理されており、1911年7月はシリンダー継続の表明とディスク新機種の公開が同時に進んだ月でした。
- https://www.loc.gov/collections/edison-company-motion-pictures-and-sound-recordings/articles-and-essays/history-of-edison-sound-recordings/history-of-the-edison-disc-phonograph/
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1911-07.pdf
