1915年12月に録音された音楽
1915年12月は、博覧会の終幕、戦争の継続、科学の顕彰、そして政治体制の動揺が同じ月に重なった時期でした。サンフランシスコではパナマ・パシフィック国際博覧会(Panama-Pacific International Exposition)が12月4日に閉幕し、都市文化と技術展示の高揚を締めくくりました。同じ日にはヘンリー・フォード(Henry Ford, 1863–1947)が平和使節を乗せたオスカル2世号(Oscar II)を出航させ、民間による和平運動が国際的な話題となりました。科学面では、ウィリアム・ヘンリー・ブラッグ(William Henry Bragg, 1862–1942)とウィリアム・ローレンス・ブラッグ(William Lawrence Bragg, 1890–1971)によるエックス線結晶構造解析、リヒャルト・ヴィルシュテッター(Richard Willstätter, 1872–1942)による植物色素研究が1915年のノーベル賞で顕彰されました。中国では袁世凱(Yuan Shikai, 1859–1916)が12月12日に帝制受諾を表明し、25日には蔡鍔(Cai E, 1882–1916)が挙兵して護国戦争が始まりました。ヨーロッパではガリポリ戦役(Gallipoli Campaign)のアンザック地区撤収が12月19日–20日に完了し、長期化した戦線の節目となりました。
この月の確認されている録音:0曲
1915年12月の録音に関する情報のまとめ
1915年12月の録音業界では、同時代資料上、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)とコロンビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)の年末商戦に向けた動きが確認できます。とくにトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、シリンダー部門を年末販売の中心として押し出し、販売店への働きかけと販促強化を進めていました。コロンビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)については、12月向け新譜の継続供給が業界紙で確認できます。
エジソン
『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)1915年12月号では、同誌を今後エジソン・ダイヤモンド・アンベローラ(Edison Diamond Amberola)とエジソン・ブルー・アンベロール・レコード(Edison Blue Amberol Records)に専念させる方針が示され、シリンダー部門の販促が年末商戦の前面に出されました。同号では、休日商戦に向けて店頭在庫、展示、実演機、接客体制を整えるよう販売店に促し、「Christmas Blue Amberols」として季節向けレパートリーも掲げています。さらに、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)名義の1915年12月29日付書簡では、1915年11月のシリンダー売上が1914年11月比で29パーセント増であったとされ、シリンダー部門の継続強化が明確に打ち出されました。加えて、1915年12月17日にはニューヨークのティムキ・ディストリビューティング社(Timke Distributing Corporation)とジョン・J・ブロフィ(John J. Brophy, 生没年不明)に対する訴訟が提起され、12月30日には「Edison」名称使用差止めの判決が出たことも後続号で確認できます。1915年12月のトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、シリンダー販売の強化と商標防衛を同時に進めていたといえます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1915-Vol-13.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1916-Vol-14.pdf
コロンビア
『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)1915年11月15日号には、コロンビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)の「1915年12月のレコード・ブレティン」が掲載されており、12月向け新譜の供給が確認できます。少なくともエー一八四八「バック・ホーム・イン・テネシー」は、この月次告知のなかに含まれていました。確認できる同時代資料の範囲では、1915年12月のコロンビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)は、年末月にも月次新譜の供給を継続していたことが確実にいえます。
