1923年1月に録音された音楽
1923年1月は、第一次世界大戦後の秩序再編と社会不安が同時に進んだ月でした。1月11日にはフランス共和国とベルギー王国がドイツ国のルール地方を占領するルール占領(Occupation of the Ruhr)を開始し、欧州経済の緊張がいっそう強まりました。メーメル地方(Memel Territory)ではクライペダ蜂起(Klaipėda Revolt)を通じて1月中旬までにリトアニア側が主導権を握り、領土問題が新しい局面に入りました。アメリカ合衆国フロリダ州ではローズウッド虐殺(Rosewood massacre)により地域社会が破壊され、人種暴力の深刻さが改めて露呈しました。1923年1月20日付のネイチャー(Nature)では、ディルク・コスター(Dirk Coster, 1889–1950)とジョルジュ・ド・ヘヴェシー(George de Hevesy, 1885–1966)が原子番号72の元素ハフニウム(Hafnium)を報告しました。さらに1月22日には1923年カリフォルニア地震(1923 California earthquake)が発生し、1月30日にはギリシャ人及びトルコ人住民の交換に関する条約(Convention Concerning the Exchange of Greek and Turkish Populations)が調印され、政治、科学、社会の各面で1923年の不安定な時代相が鮮明になりました。
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1923年1月の録音に関する情報のまとめ
1923年1月の録音業界では、年初の販売体制整備と広告手法の再編が同時に進んでいました。同月の同時代業界資料では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)が新しいレコード告知方式と新目録を導入し、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は年初の営業会議と1923年版総合目録を整備し、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は全国規模の新聞広告計画を進めていました。さらに、パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Company)はラジオ分野を含む新会社体制へ移行し、ブラック・スワン・フォノグラフ社(Black Swan Phonograph Company, Inc.)は店頭需要の喚起を狙う広告を出していました。以下は、1923年1月の資料で活動を確認できた企業・販売系統のみを挙げています。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、1923年1月に新しい店頭告知方式が実際に動き始めました。1月20日付の業界誌では、レコード発売を月ごとの定型補遺ではなく、個別ポスターで継続的に知らせる方式がこの月に始まったことが報じられています。標準盤、クラシック、バラード、ポピュラーの各区分ごとに掲示物を用意し、店頭ウインドーや試聴室で段階的に告知する構成でした。また同じ1月中に、販売店向けの大部な『1923年レコード目録』と、一般購入者向けの簡潔な目録がそろって登場しており、同社が年初に販売資料全体を更新したことも確認できます。
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、1923年の営業方針を年初に再確認していました。1月20日付の業界誌によれば、同社の巡回営業担当者はクリスマス休暇中に工場へ集まり、新年の事業計画と販売方針について協議しています。さらに同月には、人物略伝、オペラ解説、肖像、レッド・シール部門を備えた『1923年ヴィクター・レコード目録』が刊行され、商品探索と販売説明の基盤が整えられました。1923年1月のヴィクターは、新譜そのものだけでなく、営業体制と総合目録の整備によって年初の販売準備を進めていたといえます。
- https://elibrary.arcade-museum.com/classic/Music-Trade-Review/1923-76-3/42
- https://elibrary.arcade-museum.com/Music-Trade-Review/1922-75-27/51?q=victor+talking+machine&type=and
コロムビア
コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は、1923年1月の時点で全国規模の新聞広告計画を具体化していました。1月20日付の業界誌では、同社の1923年広告計画に700紙を超える新聞が組み込まれ、小都市では月1回の新譜広告、大都市では毎月10日と20日の大判広告に加えて日々の小型広告を出す方針が示されています。あわせて、テキサス州ヒューストンでは有力紙『ヒューストン・クロニクル』の大きなショーウインドーを使ったコロムビア製品展示も報じられており、同社が新聞広告と店頭陳列を結びつけて販促を進めていたことが確認できます。
パテ
パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Company)は、1923年1月に会社体制の転換を伴う動きを見せています。1923年1月号の業界誌『The Radio Dealer』では、サウンド・ウェーブ社(Sound Wave Corporation)と統合され、新社名がパテ・フォノグラフ・アンド・ラジオ社(Pathé Phonograph and Radio Corporation)になったことが明記されています。同じ号にはパテ・ラウド・スピーカーの広告と製品紹介も掲載されており、同社が蓄音機分野に加えてラジオ受信関連商品を前面に出していたことがわかります。1923年1月のパテは、組織改編と新しい販売商品の提示が同時に確認できる企業でした。
ブラック・スワン
ブラック・スワン・フォノグラフ社(Black Swan Phonograph Company, Inc.)は、1923年1月号の『The Messenger』で、販売店と読者の双方に向けた需要喚起型の広告を出していました。その広告では、販売店がブルースやジャズだけを望んでいるという見方に対して、より上位のクラシック系録音にも需要があることを示そうとし、読者に対して店頭で黒人演奏家による上質な録音を求めるよう促しています。あわせて、アントワネット・ゲイムズやフローレンス・コール・タルバート、ドナルド・ヘイウッドらの盤が具体的に並べられており、同社が1923年1月にクラシック寄りの自社音源を前面に押し出していたことが確認できます。
ストランド
ストランドは、1923年1月に販売拠点の拡張を伴う動きが確認できます。1月20日付の『Music Trade Review』では、マニュファクチャラーズ・フォノグラフ社(Manufacturers’ Phonograph Co.)の首脳が西部へ向かい、シカゴのコンソリデーテッド・トーキング・マシン社(Consolidated Talking Machine Co.)を訪れる予定であることが報じられています。同記事によれば、この販売会社は自社ビル2階にストランドの新しいサロンを開設中であり、1923年1月の段階でブランド側と販売会社側が店頭空間の整備を進めていたことがわかります。
