1922年12月に録音された音楽
1922年12月は、国家体制の再編と科学・文化の節目が重なった月でした。12月2日にはナジュドとクウェートの境界に関する協定(Agreement concerning the boundary between Nejd and Kuwait)がバンダル・アル=ウカイルで成立し、中東の境界画定に影響を残しました。6日にはアイルランド自由国(Irish Free State)が発足し、10日にはノーベル賞授賞式でニールス・ボーア(Niels Bohr, 1885–1962)、フランシス・ウィリアム・アストン(Francis William Aston, 1877–1945)、ハシント・ベナベンテ(Jacinto Benavente, 1866–1954)、フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Nansen, 1861–1930)が顕彰されました。11日にはガブリエル・ナルトヴィチ(Gabriel Narutowicz, 1865–1922)がポーランド共和国初代大統領に就任しましたが、16日にワルシャワで暗殺されました。18日にはジョージ・ド・ボシェザ(George de Bothezat, 1882–1940)の多回転翼機がアメリカ合衆国オハイオ州マッコック飛行場で記録的な試験飛行を行い、30日にはソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)が成立しました。
この月の確認されている録音:0曲
1922年12月の録音に関する情報のまとめ
1922年12月の録音関連資料では、年末商戦の追い込みと1923年向けの商品再編が同時進行していたことが確認できます。当月末の同時代業界誌では、新しい数値目録、外国語盤の拡充、価格改定、店頭展示、販売会社の再編、新年度カタログ準備などが並行して報じられており、録音物の制作そのものよりも、流通・販促・商品編成の動きが前面に出ています。
ビクター
ビクター・トーキング・マシン・カンパニー(Victor Talking Machine Company)は、1922年12月末の資料上で、1923年用の新しい数値目録を発行し、1923年1月補遺以前に発表された全レコードを一覧できる体制を整えていました。あわせて、1922年12月補遺の満了に対応する補充用ラベルの供給や、アラビア語、ボヘミア語、フィンランド語、フランス語系カナダ語、ドイツ語、ギリシア語、ヘブライ語・イディッシュ語、ハンガリー語、イタリア語、メキシコ向け、ポーランド語、ロシア語、スウェーデン語などの外国語盤の継続展開も報じられており、年末時点で1923年の販売基盤整備を進めていたことがわかります。販売現場では、ウッドワード・アンド・ロスロップ社(Woodward & Lothrop)による「ヴィクトローラ・コンサート(Victrola Concert)」放送後に、談話機とレコードの売上増加が報告されていました。
- https://elibrary.arcade-museum.com/Music-Trade-Review/1922-75-27/51?q=victor+talking+machine&type=and
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1922-12.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1923-01.pdf
コロムビア
コロムビア・グラフォフォン・カンパニー(Columbia Graphophone Company)については、1922年12月26日付のボストン報告で、「ニュー・プロセス・レコード(New Process Record)」の宣伝が各販売店の実売に結び付いていたことが確認できます。カーンズ・ミュージック・ストア(Kahn’s Music Store)では一晩で250枚を売り、その内訳が132種に及んだとされ、サマーフィールズ・ウースター店(Summerfield’s Worcester)では3日で40台のグラフォノーラ(Grafonola)を販売したと報じられました。同月の業界記事では、新聞広告を「ブルース」「ポピュラー」「オールド・ファッションド・メロディーズ」「ダンス」の4分類で組み、個別のレコード訴求を強める販売法も紹介されており、年末需要の喚起に細かい販促設計が用いられていたことがわかります。
ブランズウィック
ブランズウィック・バルク=コレンダー・カンパニー(Brunswick-Balke-Collender Company)は、1922年12月26日付で一部アップライト型談話機の定価改定を発表し、該当在庫を持つ販売店に商品クレジットを与える措置を示しました。記事では、コンソール型の普及が進んでもアップライト型の需要はなお大きいと説明されており、1923年への移行期に価格と在庫の調整を進めていたことが確認できます。同月の販売店報告では、アイオワ州デモインのS・デヴィッドソン・アンド・ブラザーズ社(S. Davidson & Bros.)がブランズウィック部門を拡張し、完備した商品展示を強調していました。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)については、1922年12月末の業界誌で、1923年1月の「エジソン・インストラクション・シート(Edison Instruction Sheet)」が節約週間向けの店頭展示案を用意していたことが報じられています。ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, 1706–1790)の誕生日に始まる節約週間に合わせ、「ニュー・エジソン(New Edison)」を家計計画の一部として組み込ませる構成が示されており、当月時点で翌年初頭の販促準備が進んでいたことが確認できます。当月資料上では、この時点での新録音一覧や個別録音日は確認できませんが、少なくとも販売面では年明け直後を見据えた動きが明確です。
ソノラ
ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company)では、1922年12月の業界記事に、1923年向けの機種編成が決定し、一部の1922年型を「メロディック(Melodic)」「バーカロール(Barcarolle)」「セレナード(Serenade)」「マールボロ(Marlborough)」などの新名称機に置き換える計画が報じられています。あわせて、新しい販売用カタログの準備が進められており、年末時点で翌年の商品整理を終えつつあったことが確認できます。さらにボストンでは、ソノラ・フォノグラフ・カンパニー・オブ・ニューイングランド(Sonora Phonograph Co. of New England)が既存販売網を引き継ぐ再編として報じられており、流通面でも1923年への布陣が進んでいました。
ニューヨーク・レコーディング・ラボラトリーズ
ニューヨーク・レコーディング・ラボラトリーズ社(New York Recording Laboratories, Inc.)では、1922年12月末の業界資料で、A・E・サザーリー(A. E. Satherley)がニューヨーク録音室の管理者に就任し、アル・ハウスマン(Al Hausman)とチャールズ・プリンス(Charles Prince)が加わる体制変更が報じられています。あわせて、ニューヨーク事務所の再編と、録音・電気めっき・プレス工程の集中による効率化計画が示されており、1922年12月時点で同社が録音制作体制の整理と拡張を進めていたことが確認できます。
- https://elibrary.arcade-museum.com/Music-Trade-Review/1922-75-27/51?q=victor+talking+machine&type=and
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1923-02.pdf
