1921年3月に録音された音楽

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1921年3月に録音された音楽

1921年3月は、戦後秩序の再編がヨーロッパ東部とロシアで大きく進んだ月でした。スペインでは3月8日に首相エドゥアルド・ダト・イラディエル(Eduardo Dato Iradier, 1856–1921)が暗殺され、ロシアではクロンシュタット反乱(Kronstadt Rebellion)が3月中旬に鎮圧されました。3月16日にはトルコ国民政府とロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のあいだでモスクワ条約(Treaty of Moscow)が結ばれ、3月17日にはポーランドで三月憲法(March Constitution)が採択され、3月18日にはリガ条約(Treaty of Riga)が成立してポーランド・ソビエト戦争の講和がまとまりました。3月20日の上シレジア住民投票(Upper Silesia plebiscite)はドイツとポーランドの国境問題をさらに先鋭化させ、ロシアではウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin, 1870–1924)の下で新経済政策(New Economic Policy)が導入されました。文化面では『黙示録の四騎士』(The Four Horsemen of the Apocalypse)が3月6日にニューヨークで初演され、月末のモンテカルロでは女子オリンピック大会(Women’s Olympics)が3月25日–30日に開かれ、女性スポーツの国際的可視化が進みました。

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1921年3月の録音に関する情報のまとめ

1921年3月の録音業界では、需要の立て直しを図るための価格改定と、販売店支援の具体策が同時に進んでいました。コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)は退役盤整理と蓄音機価格の大幅改定を進め、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は税制変更の可能性に備えつつ、販売実績の回復を強調しました。ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)は修理部品カタログや新型機の投入で販売店支援を進め、ジェネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)はオーケー盤の広告攻勢と付属品販促を展開しました。流通面では、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co.)とヴォカリオン(Vocalion)が取扱店網を広げ、オリンピック・ディスク・レコード社(Olympic Disc Record Corporation)では配給体制の立ち上げが公表されました。3月の同時代業界資料を見ると、この月の焦点は録音そのものよりも、価格、販路、販促、取扱網の再構築に置かれていたことが分かります。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、1921年3月15日付の「Edison Message No. 91」で、蓄音機への物品税が引き上げられた場合には価格引上げを余儀なくされると告知していました。同じ3月号のウィリアム・マクスウェル(William Maxwell, 生没年不明)へのインタビューでは、1921年1月の販売実績について、中西部を除く多くの地域で前年同月比10パーセント以内、同等、またはそれ以上の水準にあり、録音物の売上は前年を上回り、2月は1月よりさらに前進していると述べられています。3月の同社は、税制リスクを警戒しながらも、販売現場の回復を前面に出していました。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)は、3月の販売店向け広告資材として、ヴィクトローラXIV型とXVI型の修理部品新カタログを配布していました。これに加えて、前月発表のヴィクトローラ80型に続く新機種として、3月号ではヴィクトローラ90型を125ドルで発売すると告知しています。3月時点の同社は、単なる新譜投入ではなく、修理対応の標準化と新型機投入の両面から販売店支援を進めていました。

コロンビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)は、1921年3月1日から、退役盤130枚260面を1枚59セントで販売できる制度を開始しました。これはカタログ縮小を目的とした整理策でした。さらに3月15日号では、標準型コロムビア・グラフォノーラの価格を大きく引き下げる広告を出しており、たとえばL-2型は275ドルから175ドルへ改定されています。同月の販売会議記事では、この59セント退役盤制度が販売刺激策として好評だったことも報じられており、3月の同社は在庫整理と価格再設定を一体で進めていました。

オーケー

オーケー盤を扱うジェネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)は、1921年3月のシカゴで春季広告を開始し、夕刊2紙に最新のオーケー・ダンス盤6点を載せる販促を展開しました。記事では、この広告が春を通じて継続され、市内販売店の売上増加を狙う施策として説明されています。また同じ3月号には、同社が前月導入した「Dance Needle」を全国的に訴求し、ダンス盤購入者をそのまま針販売につなげる方針も掲載されています。3月の同社は、レコード販売と付属品販売を結びつける形で需要拡大を図っていました。

ヴォカリオン

ヴォカリオンでは、南部配給を担ったオー・ジェイ・デモル社(O. J. DeMoll & Co.)が、1921年3月に新たに5店の取扱店を追加したと報じられています。記事では、アッシュヴィル、ロックヴィル、フレデリックスバーグ、リッチモンド、ワシントンの各地に販売拠点が増えたことが具体的に示されており、3月の活動は販売網拡張として確認できます。同月のヴォカリオンは、録音内容そのものよりも地域流通網の拡大が前面に出ていました。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co.)では、1921年3月のボストン地域記事で、ミュージカル・サプライ・アンド・イクイップメント社(Musical Supply & Equipment Co.)のジョゼフ・バーク(Joseph Burke, 生没年不明)が、コネティカット州ハートフォードのG. Fox & Co.をソノラ取扱店として新たに契約したことが報じられています。記事は、この新規取扱店が当地でソノラの販売に大きく貢献するだろうと述べており、同時にボストン側のソノラ販売も「状況を考えれば非常に順調」と評価していました。3月の同社は、販売地域の拡大を通じて市場維持を図っていました。

オリンピック

オリンピック・ディスク・レコード社(Olympic Disc Record Corporation)は、1921年3月号で、レミントン・フォノグラフ社(Remington Phonograph Corp.)が同社株式の支配持分を取得し、オリンピック盤の全米配給を担うと報じられています。あわせて初回カタログと最初の発売は4月15日に予定されていると記されており、3月時点では新ブランドの配給体制整備が主要な動きでした。発売自体は翌月予定ですが、会社再編と全国流通の枠組みが3月中に明示された点は重要です。

エマーソン

エマーソン・フォノグラフ社(Emerson Phonograph Co.)については、1921年3月15日号に「All Emerson Records Now 85c.」と明記された広告が掲載されています。広告面では具体的なダンス盤の番号と曲名が並べられており、3月の同社が価格を明確化したうえでダンス盤販売を前面に押し出していたことが確認できます。少なくとも同月資料上では、エマーソンの企業活動として最も明確なのはこの価格訴求です。