1923年8月に録音された音楽

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1923年8月に録音された音楽

1923年8月は、政変、外交再編、交通網の整備、自然災害が重なって進んだ月でした。8月2日にウォレン・G・ハーディング(Warren G. Harding, 1865–1923)が死去し、翌3日にカルヴィン・クーリッジ(Calvin Coolidge, 1872–1933)がアメリカ合衆国大統領に就任しました。4日にはニュージーランドのオーティラ・トンネル(Ōtira Tunnel)が開通し、南島横断交通の重要な節目となりました。ドイツでは8月13日にギュスタフ・シュトレーゼマン(Gustav Stresemann, 1878–1929)内閣が成立し、占領と通貨危機への対処が急務となります。17日には海軍軍備制限条約(Treaty for the Limitation of Naval Armament)の批准書がワシントンで寄託され、21日にアメリカ合衆国で公布されました。18日には香港を台風が襲って大きな被害が出ており、月末にはベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)の命令によるコルフ島砲撃で地中海情勢も緊張しました。

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1923年8月の録音に関する情報のまとめ

1923年8月の録音業界では、秋商戦に向けた新譜案内、劇場や公開演奏を通じた販促、ブルース需要の拡大、販売店会合による流通強化が並行して進んでいました。『The Talking Machine World』1923年8月15日号と、アメリカ議会図書館に残る同時代の販売資料を合わせると、当月はレコード会社だけでなく、蓄音機会社や販売網も動いていたことが確認できます。とくに、ブルース歌手、ダンス楽団、店頭配布用のレコード案内、そして秋の販売会議が同時に見えるため、録音物そのものと販路整備が結びついた月として位置づけられます。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は、1923年8月15日号の『The Talking Machine World』で、ベッシー・スミス(Bessie Smith, 1894–1937)の劇場出演成功を「Bessie Smith Scores Success」として扱っていました。同号の別の誌面でも、ベッシー・スミス(Bessie Smith, 1894–1937)をコロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)の看板歌手として押し出しており、当月の販売促進が実演と広告を結びつける形で進められていたことがわかります。さらに、アメリカ議会図書館のジョン・D・リード文書群には「Columbia and Brunswick Records for September」が残っており、8月の時点で次月向け新譜案内が流通していたことも確認できます。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、1923年8月のシカゴ公開プログラムに、イシャム・ジョーンズ楽団(Isham Jones Orchestra)を同社側の代表楽団として出していました。この動きは、録音物そのものの宣伝が公開演奏と一体で進められていたことを示しています。加えて、アメリカ議会図書館のジョン・D・リード文書群には「Columbia and Brunswick Records for September」が確認でき、8月の段階で秋向け新譜案内の配布が進んでいたことも裏づけられます。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、同じシカゴ公開プログラムでベンソンズ・オーケストラ(Benson’s Orchestra)を自社側の楽団として見せていました。公開演奏による可視化に加え、アメリカ議会図書館のジョン・D・リード文書群には「New Victor Records September 1923」が残っており、8月にはすでに9月新譜の告知資料が整えられていたことが確認できます。1923年8月のヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、店頭向け資料と実演露出を組み合わせて市場を動かしていました。

ヴォカリオン

エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)は、アメリカ議会図書館のジョン・D・リード文書群に「Vocalion Red Records, August 1923」が残っており、当月分の販売資料そのものの存在が確認できます。また、1923年8月のシカゴ公開プログラムでは、アルバート・E・ショートのティヴォリ・シンコペーターズ(Albert E. Short’s Tivoli Syncopators)とヤークスのS.S.フロティラ・オーケストラ(Yerkes’ S.S. Flotilla Orchestra)がヴォカリオン側の楽団として掲載されていました。さらに、同時代資料を引用する研究では、1923年7月のレース・レコード初告知に続き、8月15日号で「Revival in ‘Blues’ Numbers」が扱われており、ヴォカリオン・レコード(Vocalion Records)がブルース需要の高まりの中で販路を広げていたことが読み取れます。

オーケー

ジェネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(OKeh Records)は、1923年8月15日号で、まず「Mamie Smith’s New Okeh Records」としてマミー・スミス(Mamie Smith, 1883–1946)を前面に出していました。誌面では、マミー・スミス(Mamie Smith, 1883–1946)がオーケー・レコード(OKeh Records)の専属歌手であり、南部系ブルースの先駆的な歌手として扱われています。同じ号では、エリノア・レミック・ウォーレン(Elinor Remick Warren, 1900–1991)を「Well-known Pacific Coast Pianist Joins Okeh」として紹介しており、オーケー・レコード(OKeh Records)がブルースとクラシック系ピアノの両方で新譜・新顔を打ち出していたことがわかります。さらに、同号にはウィスコンシン州とアッパー半島のソノラおよびオーケー取扱販売網が好調とする記事もあり、地域販売会社の側でもオーケー・レコード(OKeh Records)の押し出しが進んでいました。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、1923年8月15日号の「Artists for Edison Tone Tests」で、秋のエジソン・トーン・テストのシーズンが急速に立ち上がりつつあり、かなり大規模に行われる予定であると報じられていました。記事では、出演予定のエジソン・アーティストが各地を巡回すること、そして8月20日ごろにはオレンジへ戻る見込みであることが示されており、8月の段階で秋季実演販促の準備がかなり具体化していたことがわかります。1923年8月のトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、レコードそのものの新譜案内よりも、トーン・テストを核にした実演販促網の組み立てに重心がありました。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co.)については、1923年8月30日にボサート・ホテル(Bossert Hotel)でソノラ取扱店の会合が開かれることが『The Talking Machine World』8月15日号に出ています。記事では、昼食会と演芸の後に商談会が行われ、秋のレコード商戦を中心に話し合う予定だったことがわかります。また、同号にはブルックリン地域の販売店がソノラ・ポータブルの販売増加キャンペーンを進めているという記事もあり、8月のソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co.)は、販売店会議と携帯型機の販促を通じて秋商戦の準備を進めていました。

パテ

パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Company)は、1923年8月15日号で「The New Pathe Records play on all phonographs with steel needles」と訴求していました。これは、パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Company)が当月の販促で、レコード互換性を強く前面に出していたことを示しています。8月の同社は、専用機の優位よりも、既存の蓄音機市場全体に乗り入れやすい商品として自社レコードを訴求していたと整理できます。