1926年に録音された音楽

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1926年に録音された音楽

1926年は、第一次世界大戦後の国際秩序が「安定へ向かう試み」と「その反動」を同時に露呈した年です。ヨーロッパでは、ドイツの国際連盟加盟(1926年)や独ソ間のベルリン条約(Treaty of Berlin, 1926年4月24日)など、孤立と対立を緩和する枠組みが整えられる一方で、国内政治は揺れました。ポーランドではヨゼフ・ピウスツキ(Józef Piłsudski, 1867–1935)が5月クーデター(1926年5月)を主導し、ポルトガルでも1926年5月28日の軍事クーデターが後の独裁体制の端緒になります。イタリアではベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)に対する暗殺未遂が相次ぎ、非常法によって反対派の抑圧が強化されました。大英帝国では帝国会議のバルフォア宣言(Balfour Declaration of 1926)により、自治領が「本国と対等」と位置づけられ、帝国の再編が理念として言語化されます。社会面では、イギリスのゼネラル・ストライキ(1926年5月3–12日)が炭鉱争議を背景に発生し、労働運動と国家の緊張が可視化されました。

非欧米圏でも、政治と動員の規模が拡大します。中国では国民革命軍による北伐(Northern Expedition)が1926年に開始され、軍事・政治・宣伝が結び付いた近代国家形成の競争が前面化しました。バルト地域ではリトアニアのクーデター(1926年12月)でアンタナス・スメトナ(Antanas Smetona, 1874–1944)が権力を握り、戦間期ヨーロッパに広がる権威主義化の波が周縁でも確認されます。日本では大正天皇(Emperor Taishō, 1879–1926)の崩御(1926年12月25日)により昭和天皇(Emperor Shōwa, 1901–1989)が即位し、昭和の始まりが政治・社会の空気を切り替える象徴となりました。

同時に1926年は、技術が「距離の感覚」を塗り替えていく年でもあります。ロバート・H・ゴダード(Robert H. Goddard, 1882–1945)は液体燃料ロケットの飛行に成功(1926年3月16日)し、宇宙航行が机上の空論から工学課題へ移ります。映像では、ジョン・ロジー・ベアード(John Logie Baird, 1888–1946)が実演した機械式テレビジョン(1926年)が、家庭内メディアの未来像を具体化しました。物理学ではエルヴィン・シュレーディンガー(Erwin Schrödinger, 1887–1961)が波動方程式を提示(1926年)し、量子論が「計算できる理論」として急速に整備されます。探検の文脈では、飛行船ノルゲ号(Norge, 1926年)がロアル・アムンセン(Roald Amundsen, 1872–1928)とウンベルト・ノビレ(Umberto Nobile, 1885–1978)らを乗せて北極上空を飛行し、極域が国家的名声と技術の競演の舞台になります(リチャード・E・バード(Richard E. Byrd, 1888–1957)による北極点到達主張も同年ですが、後年に検証・異論が提示されています)。一方で自然災害も大規模化し、アメリカのグレート・マイアミ・ハリケーン(1926年9月)は都市インフラと金融に長い影響を残しました。

録音・娯楽史の視点では、1926年は「音が部屋を出てネットワークになる」転換がはっきり見える年です。電気録音の普及により、マイクロフォンを前提とした歌唱や演奏の設計が一般化し、レコードの音質と表現はアコースティック期から別物になっていきます。同時にラジオは事業として巨大化し、ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー(National Broadcasting Company, NBC, 1926年)が放送網を形成すると、流行歌・ダンス音楽・ニュースは「同時に聴かれる」商品へ変わります。映画でもヴィタフォン(Vitaphone)方式による長編『ドン・ファン』(Don Juan, 1926年)が公開され、上映空間に同期音が常設される道が開かれました。こうした動きは、蓄音機が家庭の中心にあった時代から、放送と映画館が同時代の音楽体験を規定する時代への移行を告げています。文化面では、アラン・アレクサンダー・ミルン(A. A. Milne, 1882–1956)の『クマのプーさん』(Winnie-the-Pooh, 1926年)や、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway, 1899–1961)の『日はまた昇る』(The Sun Also Rises, 1926年)が同時代感覚を形にし、ハリー・フーディーニ(Harry Houdini, 1874–1926)の死(1926年10月31日)は大衆娯楽の象徴の交代を印象づけました。