1946年に録音された音楽
1946年は、第二次世界大戦の終結を受けて、国際秩序が「理念」から「制度」へと急速に移行した年です。国際連合(United Nations)は1946年1月10日に国際連合総会(United Nations General Assembly)の第1会期をロンドンで開き、1月17日には国際連合安全保障理事会(United Nations Security Council)が同地で初会合を開きました。さらに国際連合総会は1月24日に「原子力の発見によって生じた問題を取り扱う委員会の設置」に関する決議を採択し、国際連合原子力委員会(United Nations Atomic Energy Commission)を設けて、核をめぐる課題を国際政治の中心に置きました。3月5日にはウィンストン・チャーチル(Winston Churchill, 1874–1965)がミズーリ州フルトンで「平和の筋肉(The Sinews of Peace)」演説を行い、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884–1972)の同席のもと、「鉄のカーテン(iron curtain)」という比喩が戦後世界の分断を象徴する語として広がっていきます。
戦争犯罪の追及も、戦後秩序の重要な柱として進みました。ドイツの主要戦争犯罪人を裁く国際軍事裁判所(International Military Tribunal)は1946年10月1日にニュルンベルクで判決を言い渡し、死刑判決の執行は10月16日に行われました。アジアでも、極東国際軍事裁判所(International Military Tribunal for the Far East)が1946年4月29日に東京で開廷し、5月3日に検察側が冒頭陳述を開始しています。主権と統治の再編も各地で進行し、フィリピン共和国(Republic of the Philippines)は1946年7月4日に独立を回復し、同日に「アメリカ合衆国とフィリピン共和国の一般関係条約(Treaty of General Relations Between the United States of America and the Republic of the Philippines)」が署名され、批准書交換後の10月22日に発効しました。ヨーロッパでは、フランス共和国(French Republic)で10月13日の国民投票により第四共和政(French Fourth Republic)の憲法案が承認され、10月27日に「1946年10月27日フランス共和国憲法(Constitution of the French Republic of 27 October 1946)」が公布されました。一方、脱植民地化と武力衝突は早くも深刻化し、フランス領インドシナ(French Indochina)では1946年12月19日のハノイでの戦闘を契機に第一次インドシナ戦争(First Indochina War)が本格化します。
科学技術は、戦後社会の基盤を塗り替える方向で前進しました。エニアック(Electronic Numerical Integrator and Computer)は1946年2月14日に公表され、電子式計算が大規模な情報処理の中核になりうることを示します。核の現実もまた、制度と世論を強く揺さぶりました。ビキニ環礁(Bikini Atoll)ではクロスロード作戦(Operation Crossroads)が実施され、1946年7月1日のエイブル(Able)と7月25日のベイカー(Baker)という2回の核実験が行われます。とりわけベイカー実験は水中爆発により放射能汚染の問題を可視化し、「核時代」の社会的な影響を早期に突きつけました。アメリカ合衆国(United States of America)では1946年8月1日に「1946年原子力法(Atomic Energy Act of 1946)」が署名され、原子力の統制を平時体制へ移す枠組みが整えられていきます。保健分野では、1946年6月19日–7月22日にニューヨークで開かれた国際会議で「世界保健機関憲章(Constitution of the World Health Organization)」が採択され、7月22日に署名されました。人道支援では、国際連合総会が1946年12月11日に国際連合国際児童緊急基金(United Nations International Children’s Emergency Fund)を設立し、戦後の児童救援を国際機構が担う枠組みが明確になります。文化と教育の領域でも、国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)の憲章が1946年11月4日に発効し、平和構築が「知」の制度としても整えられました。
大衆文化の側面では、戦後の国際交流が現実のイベントとして再開します。フランスのカンヌでは、1946年9月20日–10月5日に第1回カンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)が開催され、映画が国際的な競争と交流の舞台へ復帰しました。また、クロスロード作戦のエイブル実験で投下された爆弾が、映画『ギルダ』(Gilda, 1946)とリタ・ヘイワース(Rita Hayworth, 1918–1987)にちなむ名称で呼ばれたことは、軍事とメディアが同じ時代の空気を共有していた事実を示しています。戦争の「終わり」がただの終結ではなく、制度・科学技術・文化が絡み合う新しい世界の始まりであったことを、1946年は具体的な出来事として刻みました。
