Music recorded in July 1928
1928年7月は、政治、技術、映画、スポーツの各分野で大きな転換が重なった月でした。7月2日にはイギリスで国民代表法(平等選挙権)法1928年(Representation of the People (Equal Franchise) Act 1928)が成立し、男女が同じ21歳で選挙権を持つ体制が整いました。7月3日にはジョン・ロジー・ベアード(John Logie Baird, 1888–1946)がロンドンで公開カラー・テレビジョン実演を行い、映像技術の新段階を示しました。7月17日にはメキシコの大統領当選者アルバロ・オブレゴン(Álvaro Obregón, 1880–1928)が暗殺され、同国政局は大きく揺れました。7月25日にはアメリカ合衆国と中華民国との関税関係条約(Treaty Regulating Tariff Relations Between the United States of America and the Republic of China)が北京で調印され、中国の関税自主権をめぐる外交関係が新たな局面に入りました。映画界ではワーナー・ブラザース映画社(Warner Bros. Pictures, Inc.)の『ニューヨークの灯』(Lights of New York)が7月18日に公開され、音声付き長編映画の存在感をいっそう強めました。さらに7月28日には第9回オリンピック競技大会アムステルダム大会(Games of the IX Olympiad, Amsterdam 1928)が開会し、近代オリンピックで初めて競技場の聖火が点火され、女子陸上競技と女子体操が正式に加わりました。
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1928年7月の録音に関する情報のまとめ
1928年7月の録音業界では、レコードそのものの発売だけでなく、ラジオ受信機との複合機、外国語盤の流通、映画音響設備への進出、法務対応までが同時に動いていました。1928年7月号の同時代業界資料で動きを確認できる企業としては、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、オーケー・レコード(Okeh Records)、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)が確認できます。
Victor
1928年7月のヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、家庭用複合機と外国語盤流通の両面で動いていました。『The Talking Machine World』1928年7月号の広告では、ヴィクター・エレクトローラ・ラジオラ(Victor Electrola Radiola)がチューブ込み750ドルで示され、ラジオと再生機を一体化した高価格帯商品の販売が前面に出ています。同号の会議報告では、ダニエル・デスフォルデス(Daniel Desfoldes, 1892–1952)が外国語盤流通について講演したことが記されており、同社が1928年7月時点で外国語レコード部門を重視していたことが分かります。また7月21日付の映画業界紙では、同社がハリウッドに大規模音響設備を建設する計画を進めていたと報じられており、レコード製造企業から映画音響企業への拡張も同月に進行していました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1928-07.pdf
- https://www.recordingpioneers.com/RP_DESFOLDES1.html
- https://mainspringpress.org/tag/movie-sound-track-soundtrack-discs-produced-by-victor/
Brunswick
1928年7月のブランズウィック=バルケ=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)は、ブランズウィック・パナトロープ(Brunswick Panatrope)とラジオ複合機を軸に秋商戦の準備を進めていました。『The Talking Machine World』1928年7月号の広告は「A Great Music House … Offers Radio」と掲げ、同社がその秋に完全なラジオ受信機ラインを用意すると業界向けに明示しています。さらに同号ではブランズウィック・パナトロープとラジオラ複合機が前面に置かれており、1928年7月の同社が蓄音機単体ではなく、ラジオを含む家庭用総合音響機器の売場構成へ軸足を移していたことが確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1928-07.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1928-08.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/20s/Radio-Retailing-1928-07.pdf
Columbia
1928年7月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、コロムビア=コルスター・ヴィヴァ=トーナル(Columbia-Kolster Viva-tonal)を複合機商品として店頭展開していました。『The Talking Machine World』1928年7月号には、同社バッファロー支店のメイン街店舗が、新しいヴィヴァ=トーナル機と新型コルスター受信機を組み合わせたモデルを展示しているという記事が見えます。1928年7月のコロムビアは、電気再生式蓄音機とラジオ受信機を結び付けた商品を支店段階で実演し、店頭販売の新しい柱として育てていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1928-07.pdf
- https://archive.org/stream/talkingmachinew24bill/talkingmachinew24bill_djvu.txt
Edison
1928年7月のトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、ラジオ付き蓄音機の導入と新譜訴求を同時に進めていました。『The Talking Machine World』1928年7月号の断片には、エジソンの新ラインに radio phonograph models が含まれるとの発表があり、販売店側の関心を集めていたことが示されています。また同号の新譜案内にはフランキー・マーヴィン(Frankie Marvin)、ポンス・シスターズ(The Ponce Sisters)、ボブ・ピアース(Bob Pierce, 生没年不明)らの名が見え、同社が大衆歌手やデュオを用いた新譜供給を継続していたことも確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1928-07.pdf
- https://archive.org/stream/talkingmachinew24bill/talkingmachinew24bill_djvu.txt
- https://mainspringpress.org/category/free-information-articles-about-old-antique-phonograph-record-players/
OK
1928年7月のオーケー・レコード(Okeh Records)は、国際展開を意識した営業活動を続けていました。『The Talking Machine World』1928年7月号では、オットー・ハイネマン(Otto Heineman, 1876–1965)がロンドン、パリ、ベルリン、スイスを訪れる欧州出張に出ること、そしてオーケーの業績が1927年を上回っていることが報じられています。1928年7月のオーケーは、国内販売だけでなく、欧州との往来を含む広域市場を前提に営業を組み立てていたことが分かります。
- https://www.recordingpioneers.com/RP_HEINEMAN1.html
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1928-07.pdf
Sonora
1928年7月のソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)については、『The Talking Machine World』1928年7月号に「Sonora Sustained in Name Controversy」という見出しの記事が掲載されています。ここから、同社が当月に社名をめぐる法的争点を抱えながらも、業界紙に取り上げられるだけの営業上の存在感を維持していたことが確認できます。1928年7月のソノラは、新製品広告よりもまず会社名と営業権をめぐる法務対応が表面化していた時期でした。
- https://archive.org/stream/talkingmachinew24bill/talkingmachinew24bill_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1928-07.pdf
