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1878年 – 1886年に録音された音楽

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1878年 – 1886年に録音された音楽

1878年から1886年にかけての時期は、エジソンの蓄音機発明(1877年)の直後にあたり、録音技術が「実験装置」から「再生可能な記録」として形になっていく過渡期にあたります。このころの録音は、実演会や研究室での試験的なものがほとんどで、後世まで物理的に残った音源はごくわずかです。ここでは、現時点で音源の存在が確認でき、録音年代がおおむね特定できる録音を中心に、1878年から1886年までの動きを年ごとに整理します。
※「この年の確認されている録音」の数は、音楽・肉声・環境音などを含め、「再生可能な音源」として確認できるものをカウントしています。

1878年に録音された音楽

1878年(明治11年)、日本では西南戦争後の近代国家づくりが進み、欧米の技術・制度導入が本格化していました。一方アメリカやヨーロッパでは、エジソンの錫箔蓄音機を使った公開実演が各地で行われ、「人の声や音を残せる」という衝撃が広まり始めます。

録音史の上では、この年に残された数点の記録が、現在まで再生可能な最古級の音源として扱われています。特にセントルイスでの錫箔実演録音と、フランク・ランバートによる「実験用時計」の録音は、後の蝋管・ディスク録音へとつながる重要なマイルストーンとされています。

この年の確認されている録音:3曲

1878年の主な録音

TitleArtist
St. Louis tinfoil phonograph demonstration
(cornet solo, nursery rhymes)
n/a
Metropolitan Elevated Railroad from 40 feet awayThomas A. Edison
Charles Batchelor
Experimental Talking ClockFrank Lambert

1878年の録音まわりの出来事

  • アメリカ・ミズーリ州セントルイスで行われたエジソン式蓄音機の実演では、コルネット独奏と「Mary Had a Little Lamb」「Old Mother Hubbard」といった童謡の朗唱が錫箔に記録されました。後年の復元により、現在最古級の「音楽と肉声を含む再生可能な録音」として位置づけられています。
  • エジソンと助手チャールズ・バチェラーは、ニューヨーク市の高架鉄道(Metropolitan Elevated Railroad)の走行音を、音響測定の一環として記録しました。これは都市環境音を対象とした最初期の実験録音とみなされています。
  • フランク・ランバートは、鉛のシリンダーを用いた「実験用トーキング・クロック」に、自身の声で時刻を読み上げる音と鐘のような音を刻みました。この録音は、機械そのものの仕組みだけで再生できる最古の音源の一つとされています。(年代については異説もあります)

References

1879年に録音された音楽

1879年(明治12年)、日本では電信や鉄道網の整備が進み、産業化の基盤が整えられつつありました。欧米では電灯実用化に向けたエジソンの活動が注目を集め、音声記録の研究は一時「発明ショー」の余韻の中で細々と続いていた時期でもあります。

資料上は、1879年製とされる蓄音機本体や実演記録への言及が残されていますが、具体的な録音内容・話者・録音日が特定できる形で現存し、かつ音として再生されている例は確認されていません。そのため、本サイトでは1879年について「再生可能な確認済み録音」はカウントしていません。

この年の確認されている録音:0曲

1879年の録音まわりの出来事

  • ノルウェー・オスロの遊園地ティボリで録音されたとされる錫箔記録(1879年2月頃)がノルウェー技術博物館に所蔵されており、2009年に短時間のデジタル復元が試みられていますが、音源はきわめて断片的で、現時点では一般公開も限定的です。

References

1880年に録音された音楽

1880年(明治13年)、日本では国会開設の勅諭が出され、立憲制への準備が進んでいました。音響技術の世界では、蓄音機の改良と同時に、録音媒体や機構の耐久性・実用性を高める試みが続けられていました。

史料によれば、19世紀後半の錫箔レコードがいくつかアメリカの博物館に所蔵されており、その中には1879〜1880年ごろのものと推定される例もありますが、1878年のセントルイス録音に次ぐ最古級の蓄音機録音とみなされています。ただし、録音内容や日付が明確に公開されておらず、音源も一般公開されていないため、本サイトでは「参考情報」として言及にとどめ、曲数には含めていません。

この年の確認されている録音:0曲

1880年の録音まわりの出来事

  • エジソン型蓄音機の実験・実演は続いており、錫箔媒体の改良や機構の安定化を図る試みが行われていましたが、現時点で具体的な音源が公開されている録音は確認されていません。

References

1881年に録音された音楽

1881年(明治14年)、日本では自由民権運動が高まり、国会開設運動が政治の中心的トピックとなりました。世界的には都市化と産業化が進み、その騒音や環境の変化が社会問題として意識され始めます。

この年、アレクサンダー・グラハム・ベルらが設立した「ヴォルタ研究所」では、エジソンの錫箔蓄音機を凌ぐ音質・耐久性をめざして、蝋や金属板など多様な媒体を用いた実験録音が行われました。現在までに、1881年10月ごろに録音されたとみられる実験ディスクが復元されており、数字の読み上げや音叉による純音が聞き取れる状態で残されています。

この年の確認されている録音:1曲

1881年の主な録音

TitleArtist
Volta Laboratory experimental disc
(numbers and tuning fork tones)
Alexander Graham Bell
Chichester Bell
Charles Sumner Tainter

1881年の録音まわりの出来事

  • ヴォルタ研究所の実験ディスクには、数を数える声と音叉の音が含まれており、蝋やガラス板に刻まれた溝から現代技術で音が復元されています。これらは「エジソン以外の研究者による初期の再生可能録音」として重要視されています。
  • 同じく1881年の実験録音のひとつには、ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』の一節「There are more things in heaven and earth, Horatio…」を引用する朗読が収められており、アレクサンダー・メルヴィル・ベル(Alexander Melville Bell, 1819–1905)が自らの発声法を試験する目的で録音したものと考えられています。この録音は、文学作品のテキストを比較的完全なかたちで音声として記録しようとした最初期の例のひとつであり、後年の詩や戯曲朗読の録音へとつながる重要なステップとみなされています。

References

1882年に録音された音楽

1882年(明治15年)、日本では福沢諭吉らによる啓蒙活動が盛んになり、新聞・雑誌を通じて「文明開化」の議論が広がっていました。同じく欧米では、電話・電信・電灯に加えて音声記録技術も徐々に社会の関心を集めていきます。しかし、現時点で1882年に録音されたと明確に日付が特定され、なおかつ音源が再生可能な形で復元・公開されている記録は確認されていません。ヴォルタ研究所や他の実験室での試験録音は継続していたと考えられますが、音源と年次が結びつくかたちで公開されていないため、本サイトでは曲数を0としています。

この年の確認されている録音:0曲

1882年の録音まわりの出来事

  • アメリカ・ワシントンD.C.のヴォルタ研究所(Volta Laboratory)では、1882年4月21日付けと明記された実験用サウンドレコーディングが残されています。製作者はヴォルタ研究所協同組合(Volta Laboratory Associates)とされ、ワックスやガラスなどを使った「グラフォフォン」系録音の、ごく初期の確実な日付入り資料の一つとみなされています。
  • チャールズ・サムナー・テインター(Charles Sumner Tainter, 1854–1940)の1880年代前半のノート『Home Notes』の中で、同年10月27日から11月11日にかけてオルゴールの音楽を録音しようと試みた実験を報告しています。これはヴォルタ研究所における「楽器音(音楽)」録音の最初期の試行とされ、後の音楽シリンダー録音につながる重要な布石と考えられます。

References

1883年に録音された音楽

1883年(明治16年)、日本では鹿鳴館時代が始まり、西洋音楽や舞踏が外交儀礼の一部として取り入れられます。こうした文化的変化の背景には、欧米の音楽・文化を「記録して持ち帰る」ことへの関心も芽生えつつありました。

一方、ヴォルタ研究所では、エジソンとは異なる記録方式(蝋への切削記録やディスク型媒体など)が検討されていました。のちに「ハムレットの独白(To be or not to be)」とされる朗読ディスクがこの前後の年代のものと推定されていますが、正確な録音年は1883年〜1885年の間とされており、1883年に限定できる確実な証拠はありません。そのため、本ページでは1883年の「確認された録音」としてはカウントしていません。

この年の確認されている録音:0曲

1883年の録音まわりの出来事

  • チチェスター・ベール(Chichester A. Bell, 1848–1924)は、1883年11月ごろから「ガラスや真鍮の板を下地にしたワックス・ディスク録音」を本格的に試し始めたことを、自身のノートで報告しています。これに対応するとみられる実験ディスクが、スミソニアン協会のコレクションに複数残されており、従来の錫箔シリンダーから「ワックス・ディスク」という新しい媒体への移行がこの年に始まったことがわかります。
  • この時期の成果として、緑色のワックスを真鍮板に塗布して録音した「ハムレットの独白(Hamlet’s Soliloquy)」ディスク(NMAH 287920)が知られており、ノート上の記述から1883〜1884年頃の録音と推定されています。朗読者はアレクサンダー・メルヴィル・ベル(Alexander Melville Bell, 1819–1905)またはチチェスター・ベール自身と考えられており、後年の娯楽用録音よりも一足早く、「文学テキストを完全な形で音声記録する」という発想が実験レベルで実現していた例と位置づけられます。

References

1884年に録音された音楽

1884年(明治17年)、日本では秩父事件など自由民権運動の緊張が高まりつつありました。国際的には、植民地支配の拡大と産業技術の進歩が同時に進行し、科学実験の成果がメディア報道を通じて広く共有されるようになります。

この年、ヴォルタ研究所では「声のバロメーター(barometer of speech)」と呼ばれる実験が行われ、1884年11月17日付けのディスク録音が残されています。これは、声の強さや抑揚を測定する目的で作られた実験的録音で、後年の復元により、実験説明のナレーションなどが聞き取れる音源として知られています。

この年の確認されている録音:1曲

1884年の主な録音

TitleArtist
Volta Laboratory experimental disc
“barometer of speech” test
Volta Laboratory staff
(Alexander G. Bell et al.)
Volta Laboratory experimental sound recording,
glass disc(4 May 1886)
Volta Laboratory staff

1884年の録音まわりの出来事

  • 「声のバロメーター」実験ディスクは、音声の物理的特性を定量化しようとした試みに属し、音楽というよりは科学実験の記録ですが、再生可能な音源として19世紀後半の録音史における重要な位置を占めています。

References

1885年に録音された音楽

1885年(明治18年)、日本では内閣制度が発足し、伊藤博文内閣が成立します。政治・制度の近代化と並行して、西洋音楽や演劇も徐々に都市部の文化として定着していきました。

同年、ヴォルタ研究所では複数の重要な実験録音が行われました。中でもよく知られているのが、1885年4月15日に録音されたアレクサンダー・グラハム・ベル自身の声のディスクです。復元された音源では、ベルが数字を読み上げたのちに「Hear my voice. Alexander Graham Bell.」と名乗る箇所が確認され、発明者本人の肉声を直接伝える貴重な記録とされています。

同じく1885年には、無名のコルネット四重奏による「Killarney」「Hot-Shot March」の演奏が、ワックスを塗布したバインダーズボード製ディスクに録音されています。後年の復元によって音源が公開されており、Volta研究所における最初期の純粋な「音楽録音」として特に重要視されています。

この年の確認されている録音:3曲

1885年の主な録音

TitleArtist
Hear my voice. Alexander Graham Bell.
(Volta Laboratory disc, 15 April 1885)
Alexander Graham Bell
Killarneyn/a
Hot Shot Marchn/a

1885年の録音まわりの出来事

  • 1885年のヴォルタ研究所コレクションには、上記のベル本人のディスクのほか、詩の朗読や数え上げ、実験的なメッセージ録音など複数の音源が含まれており、のちの商業録音以前の「研究室内ボイスレコーディング」の姿を伝えています。

References

1886年に録音された音楽

1886年(明治19年)、日本ではノルマントン号事件などを通じて不平等条約改正問題への関心が高まり、国際関係と国内世論のあいだで緊張が続きました。世界ではベルらによるグラフォフォン関連特許が成立し、録音・再生装置が「ビジネス向け機械」としても意識され始めます。

この年、アレクサンダー・グラハム・ベルらによるグラフォフォン関連特許が1886年5月4日に成立し、音声記録装置が「発明ショーの見世物」から、ビジネス用の実用機器としても意識され始めました。ヴォルタ研究所では引き続きガラスや蝋を用いた実験録音が行われていたと考えられますが、録音日が明確に特定でき、かつ現代技術で再生された音源が公開されている1886年の録音は、現時点では確認されていません。

この年の確認されている録音:0曲

1886年の録音まわりの出来事

  • 1886年5月4日に成立したグラフォフォン関連特許は、のちにアメリカ・グラフォフォン社を通じて商業用の録音・再生装置が普及していく出発点のひとつとみなされます。
  • ヴォルタ研究所の1880年代前半〜半ばにかけての実験ディスク群は、蝋や金属だけでなくガラスなど多様な媒体が試されていたことを示す資料であり、のちにグラフォフォンや商業用蓄音機へとつながる設計思想を読み取ることができます。

References