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1890年1月の録音・音声記録

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1890年1月の録音・音声記録

1890年1月は、ワシントンD.C.(Washington, D.C.)で第一回アメリカ諸国国際会議(First International Conference of American States)が続き、米州諸国の通商、仲裁、交通をめぐる協議が進められていました。1日には、イタリア王国(Kingdom of Italy)がエリトリア植民地(Colonia Eritrea)を組織し、同じ日にカリフォルニア州パサデナ(Pasadena, California)ではトーナメント・オブ・ローゼズ(Tournament of Roses)の第一回行事が開かれました。この行事は、花で飾った馬車行列や屋外競技を通じて、冬の南カリフォルニアを紹介する催しでした。1889–1890年インフルエンザ流行(1889–1890 influenza pandemic)は欧米でなお大きな社会的影響を及ぼしていました。25日には、アメリカ合衆国(United States of America)のジャーナリスト、ネリー・ブライ(Nellie Bly, 1864–1922)が世界一周を終え、同日、オハイオ州コロンバス(Columbus, Ohio)では全米鉱山労働者組合(United Mine Workers of America)が結成されました。

録音史では、エジソン研究所(Edison Laboratory)の録音台帳『ザ・ファースト・ブック・オブ・フォノグラフ・レコード(The First Book of Phonograph Records)』に、1月14日から20日までの音楽シリンダー制作記録が残されています。日付と題名が確認できる録音は14日、16日、17日、18日、20日に集中し、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンド(Duffy and Imgrund’s Fifth Regiment Band)、デイヴィッド・B・ダナ(David B. Dana, 生没年不明)、エドワード・イスラー(Edward Issler, 1855–1922)らの録音が確認できます。10日にはミス・ヴェルナー(Miss Werner, 生没年不明)とミスター・ハンデル(Mr. Handel, 生没年不明)による実験録音の記録がありますが、題名と件数は確認できません。台帳では同一題名の反復記録も別行として記されており、この月の確認件数は75件です。

この月の確認されている録音:77件

14日(14件)

1月14日は、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が記録されています。この日の台帳には、14件の題名とともに、作業量として「76 records taken」と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Everybody’s DarlingDuffy & Imgrund Band
The Song That Reached My HeartDuffy & Imgrund Band
The Monastery BellsDuffy & Imgrund Band
Daughter Of Love WaltzesDuffy & Imgrund Band
Golden Hours Song & DanceDuffy & Imgrund Band
Erminie WaltzDuffy & Imgrund Band
Kilarney waltzDuffy & Imgrund Band
Bay State CommanderyDuffy & Imgrund Band
The Night AlarmDuffy & Imgrund Band
The Old Oaken BucketDuffy & Imgrund Band
The pearl of PekingDuffy & Imgrund Band
Tube Rose WaltzesDuffy & Imgrund Band
Sounds Of Home WaltzDuffy & Imgrund Band
American AirsDuffy & Imgrund Band

【1890年1月14日の出来事】
アーサー・ホームズの誕生
アーサー・ホームズ(Arthur Holmes, 1890–1965)は、1890年1月14日にイングランド(England)のヘバーン・オン・タイン(Hebburn-on-Tyne)で生まれた地質学者です。放射年代測定を地球の年齢推定に応用し、マントル対流によって大陸移動を説明する考え方を示すなど、地質年代学と地球科学の発展に影響を与えました。

16日(14件)

1月16日は、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が記録されています。この日の台帳には、14件の題名とともに、作業量として「106 records taken」と記されています。同一タイトルの反復録音も、台帳上の1行を1件として扱います。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Everybody’s DarlingDuffy And Imgrunds Band
The Beggar StudentDuffy And Imgrunds Band
Mikado SelectionDuffy And Imgrunds Band
Monastery BellsDuffy And Imgrunds Band
Monastery BellsDuffy And Imgrunds Band
Old Oaken BucketDuffy And Imgrunds Band
American AirsDuffy And Imgrunds Band
Selection ErminieDuffy And Imgrunds Band
Golden HoursDuffy And Imgrunds Band
Oneida MarchDuffy And Imgrunds Band
Oneida [March]Duffy And Imgrunds Band
Song And DanceDuffy And Imgrunds Band
Society York (I)Duffy And Imgrunds Band
Society York (I)Duffy And Imgrunds Band

【1890年1月16日の出来事】
カール・フロイントの誕生
カール・フロイント(Karl Freund, 1890–1969)は、1890年1月16日にオーストリア=ハンガリー帝国(Austria-Hungary)のボヘミア(Bohemia)、ドヴール・クラーロヴェー・ナド・ラベム(Dvůr Králové nad Labem)で生まれた撮影監督・映画監督です。のちに『メトロポリス(Metropolis)』や『吸血鬼ドラキュラ(Dracula)』などの撮影に関わり、映画撮影とテレビ番組制作の発展に影響を与えました。

17日(15件)

1月17日は、デイヴィッド・B・ダナとエドワード・イスラーによる録音が15件記録されています。この日の台帳には、作業量として「92 records taken」と記されています。同一タイトルの反復録音も、台帳上の1行を1件として扱います。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Psalms [Palms?] Branches – SongD. B. Dana
Ed Issler
The Palm TreeD. B. Dana
Ed Issler
Dancing In The BarnD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Anna – PolkaD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Old Folks At HomeD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Hartman’s FavoriteD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Jamie DearD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Casta DivaD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler

【1890年1月17日の出来事】
クリストファー・ライス・マンセル・タルボットの死去
クリストファー・ライス・マンセル・タルボット(Christopher Rice Mansel Talbot, 1803–1890)は、1890年1月17日に亡くなったウェールズの地主・実業家・政治家です。1830年から亡くなるまでイギリス庶民院(House of Commons)の議員を務め、グラモーガン(Glamorgan)を長く代表しました。マーガム(Margam)の所領を発展させ、鉄工業、鉄道、港湾の整備を進めた人物としても知られ、ポート・タルボット(Port Talbot)の地名にも関わる存在です。

18日(16件)

1月18日は、デイヴィッド・B・ダナとエドワード・イスラーによる録音が16件記録されています。この日の記録は1月17日に続く録音で、同一タイトルの反復録音も、台帳上の1行を1件として扱います。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Little Fisher MaidenD. B. Dana
Ed Issler
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Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Love’s Dreamland WaltzD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Song – Only To See Her FaceD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Emily PolkaD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Il TrovatoreD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Waltz Sweet 16D. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Song – That I Alone Can KnowD. B. Dana
Ed Issler
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Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler

【1890年1月18日の出来事】
アマデオ1世の死去
スペイン王アマデオ1世(Amadeo I of Spain, 1845–1890)は、1890年1月18日にイタリア王国(Kingdom of Italy)のトリノ(Turin)で亡くなった人物です。サヴォイア家(House of Savoy)の出身で、1870年にスペイン王国(Kingdom of Spain)の国王に選ばれましたが、政治的混乱のなかで1873年に退位しました。スペイン王国ではその後、第一共和政の時期を経て王政復古へ向かいました。

20日(18件)

1月20日は、デイヴィッド・B・ダナとエドワード・イスラーによる録音が18件記録されています。この日の台帳には「105 total」と記されています。同一タイトルの反復録音も、台帳上の1行を1件として扱います。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Ave MariaD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Goble SongD. B. Dana
Ed Issler
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Ed Issler
Ave MariaD. B. Dana
Ed Issler
The Song That Reached My HeartD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Waltz – White RoseD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Culver PolkaD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Maritana No. 1D. B. Dana
Ed Issler
“ “ no. 1D. B. Dana
Ed Issler
“ “ no. 2D. B. Dana
Ed Issler
“ “ no. 2D. B. Dana
Ed Issler
KillarneyD. B. Dana
Ed Issler
“ “D. B. Dana
Ed Issler
Levy Athen PolkaD. B. Dana
Ed Issler

【1890年1月20日の出来事】
フランツ・パウル・ラハナーの死去
フランツ・パウル・ラハナー(Franz Paul Lachner, 1803–1890)は、1890年1月20日にドイツ帝国(German Empire)のバイエルン王国(Kingdom of Bavaria)、ミュンヘン(Munich)で亡くなった作曲家・指揮者です。交響曲、室内楽、声楽曲などを手がけ、バイエルン王国の宮廷楽長として、ミュンヘンを拠点に宮廷・劇場音楽に関わりました。

1890年1月の録音に関する情報のまとめ

1890年1月は、エジソン研究所の音楽シリンダー制作が、地域会社向けの供給や展示・再生用途と結びついていた時期にあたります。14日と16日にはダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドの録音が行われ、17日、18日、20日にはダナとイスラーによる器楽録音が続きました。10日には実験録音の記録もありますが、題名と件数は確認できません。この月の台帳には、題名ごとの記録行と「records taken」「total」などの作業量を示す表記が併存しており、初期シリンダー制作の記録方法も読み取れます。

1890年1月10日の実験録音

1月10日には、ヴェルナーとハンデルによる実験録音が記録されています。録音台帳のこの日の欄には「Experimenting, no account kept」とあり、題名や作業量は記されていません。題名と件数を確認できないため、この記録は日付別の録音リストには含めていません。

エジソン研究所の1月20日までの録音記録

1890年1月の録音台帳では、題名と件数を確認できる音楽録音が1月14日から20日までの短い期間に集中しています。14日と16日にはダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドの録音が行われ、17日、18日、20日にはダナとイスラーによる器楽録音が続きました。同一タイトルの反復録音も記録されており、初期の音楽シリンダー制作が、まとまった日程のなかで集中的に進められていたことがうかがえます。

作業量表記と題名別記録の読み方

1890年1月の録音台帳には、題名ごとの記録行とは別に、「records taken」や「total」といった作業量を示す表記が残されています。1月14日は14件の記録行に対して「76 records taken」、1月16日は14件の記録行に対して「106 records taken」、1月20日は18件の記録行に対して「105 total」と記されています。これらの数値は録音リストの件数とは一致しないため、題名ごとの記録行と作業量の表記は区別して読む必要があります。

ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドの継続録音

ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドは、1889年12月に続き、1890年1月にもエジソン研究所の録音台帳に登場します。1月14日と16日には、同バンドによる録音がそれぞれ14件ずつ記録されています。ワルツ、行進曲、選曲、歌曲・舞曲に関わる曲目が並び、初期の音楽シリンダーで軍楽隊・吹奏楽系のレパートリーが継続して用いられていたことを示しています。

ダナとイスラーによるコルネットとピアノの録音

1月17日、18日、20日には、ダナのコルネットとイスラーのピアノによる録音が続けて記録されています。台帳には、歌曲、ポルカ、ワルツ、オペラ由来の曲目などが並び、同一タイトルの反復録音も多く見られます。ダナとイスラーの組み合わせは、1889年にもエジソン研究所の音楽シリンダー制作に登場しており、1890年1月の記録からも、器楽録音が継続して制作されていたことが分かります。

エジソン研究所から地域会社による自社録音へ

1890年1月の記録は、エジソン研究所での音楽シリンダー制作が、地域会社向けの供給や複製の問題と結びついていた時期の資料です。トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)は、ノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)向けの音楽シリンダー供給を続ける一方で、品質や未処理注文をめぐる負担を抱えていました。1月20日以後、この月の台帳では、題名と件数を確認できる録音は確認できません。録音済みシリンダーの需要はその後も続き、地域会社が自社で音楽シリンダーを録音する動きへとつながっていきました。

パシフィック・フォノグラフ社の年始再生事例

パシフィック・フォノグラフ社(Pacific Phonograph Company)は、ノース・アメリカン・フォノグラフ社の地域会社として、カリフォルニア州(State of California)、アリゾナ準州(Arizona Territory)、ネバダ州(State of Nevada)を営業地域としていました。1890年1月1日には、ネバダ州カーソンシティ(Carson City, Nevada)の年越し舞踏会で、サンフランシスコ・ファースト・レジメント・バンド(First Regiment Band of San Francisco)とルイス・グラス夫人(Mrs. Louis Glass, 生没年不明)の録音が再生されたことが報告されています。この事例は、エジソン研究所だけでなく、地域会社側でも音楽録音が行われていたことを示す早い記録です。録音日、題名、件数は確認できないため、日付別の録音リストには含めていません。

コロンビア・フォノグラフ社の1890年2月7日パンフレットと1月録音の境界

コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、ノース・アメリカン・フォノグラフ社の地域会社として1889年1月に設立され、同年11月には自社の音楽シリンダー録音と販売を始めていました。1890年2月7日付のカタログ付き広告パンフレットには音楽フォノグラムの欄がありますが、この欄の録音はエジソン・フォノグラフ・ワークス(Edison Phonograph Works)が制作し、ノース・アメリカン・フォノグラフ社が頒布する録音として扱われています。このため、同パンフレットはコロンビア・フォノグラフ社の初期販売活動を示す資料ですが、1890年1月の同社自社録音として扱える記録ではありません。

初期の録音アナウンス

初期の商業用フォノグラムでは、演奏に入る前に題名や出所を声で告げる録音アナウンスが用いられていました。1890年1月の録音台帳には、日付、演者、題名、作業量が記録されていますが、各シリンダーの冒頭でどのような言葉が声で告げられたかは確認できません。この月の録音では、台帳上の題名と、実際の録音内で声で告げられた題名や出所を区別して扱います。

モスクワ私的録音とユリウス・ブロック

1890年1月には、ロシア帝国(Russian Empire)のモスクワ(Moscow)でも、エジソン式フォノグラフによる私的な録音が行われました。ユリウス・ブロック(Julius Block, 1858–1934)は、エジソン式フォノグラフをロシアで紹介した人物で、旧暦1月6日/新暦1月18日から、旧暦1月10日/新暦1月22日までの間に、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840–1893)らに関わる録音が行われたとされています。この録音は初期録音史上重要な事例ですが、商業用シリンダーの制作記録ではなく、日付も新暦・旧暦を含む範囲で示されるため、日付別の録音リストには含めていません。

References