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1887年の録音・音声記録

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1887年の録音・音声記録

1887年は、世界的には産業・帝国・科学・社会制度が大きく動いた年です。フランスでは1月26日にエッフェル塔(Eiffel Tower)の基礎工事が始まり、アメリカ合衆国では2月4日に州際通商法(Interstate Commerce Act)、2月8日にドーズ法(Dawes Act)として知られる各インディアン居留地におけるインディアンへの土地個別割当を定める法律(An Act to Provide for the Allotment of Lands in Severalty to Indians on the Various Reservations)が承認されました。イギリスではヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819–1901)の即位50周年記念式典が行われ、科学の分野ではマイケルソン=モーリーの実験(Michelson–Morley experiment)が報告されました。また、人工言語エスペラント(Esperanto)の基礎となる国際語の教科書も1887年に刊行されました。録音史では、チチェスター・A・ベル(Chichester A. Bell, 1848–1924)とチャールズ・サムナー・テインター(Charles Sumner Tainter, 1854–1940)のグラフォフォン(Graphophone)、エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)のグラモフォン(Gramophone)特許、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)のフォノグラフ(Phonograph)研究再開が重なり、録音技術は再び実用化と事業化へ向かい始めました。1887年は、ワックスシリンダー、ディスク録音、改良フォノグラフ、玩具用フォノグラフが交差した録音史上の転換点にあたります。

1887年に確認できる現存録音

1887年に録音されたことを日付・録音内容・録音主体まで確定できる現存録音は、資料上確認できません。ヴォルタ研究所(Volta Laboratory)に関係する実験録音は、スミソニアン国立アメリカ歴史博物館(National Museum of American History, Smithsonian Institution)にまとまった資料群が残されていますが、1887年の確定録音として整理できるものではありません。ベルリナーのグラモフォンは1887年の特許が重要ですが、1887年に録音された個別の現存ディスクとして曲目を立てられる段階ではありません。エジソンのトーキング・ドール用録音も、確認できる録音資料は1888年以降の範囲で扱われます。エジソン系の市販シリンダー録音はさらに後の展開であり、ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)の録音事業や商業録音リストとは区別する必要があります。1887年は、現存録音の曲目を一覧化できる年ではなく、録音技術と事業化の準備が進んだ年にあたります。

1887年の録音技術と事業化の動き

1887年の録音技術は、記録媒体、再生方式、特許、会社組織、用途開発の面で具体的な分岐を見せました。グラフォフォンは業務用録音機としての実用化を目指し、グラモフォンはディスク録音による複製可能性を示し、フォノグラフはワックスシリンダー(wax cylinder)を用いる改良機へ向かいました。さらに、玩具用フォノグラフの構想は、録音技術を事務機器や実験装置だけでなく、家庭内の娯楽や玩具へ応用する方向を示しました。1887年の動きは、録音物そのものの流通よりも、録音技術をどのような媒体・機械・事業体制で扱うかを定めていく過程として重要です。

ベル=テインター・グラフォフォンとワックスシリンダー

ベル=テインター系のグラフォフォンは、エジソンの錫箔式フォノグラフ(tinfoil phonograph)が用いた錫箔(tinfoil)とは異なり、ワックスシリンダーを録音媒体として用いる点に特徴がありました。チチェスター・A・ベルとチャールズ・サムナー・テインターは、音の振動を押しつけて刻む方式ではなく、ワックス表面を切削して記録する方式を発展させ、録音後に再生できる実用的な機械を目指しました。この方式は、録音媒体を交換できること、音声を比較的安定して記録できること、事務用途や口述録音への応用を想定していたことから、1887年の録音技術を考えるうえで重要です。グラフォフォンは、現存録音の曲目を残した装置というより、録音を一時的な実験から業務用の記録手段へ近づけた技術として位置づけられます。

アメリカン・グラフォフォン・カンパニー

1887年には、グラフォフォンを実用品として販売するための会社組織が整えられました。アンドリュー・ディヴァイン(Andrew Devine, 1832–1909)、ジェームズ・オギルヴィ・クレフェイン(James Ogilvie Clephane, ca. 1840–1910)、ジョン・H・ホワイト(John H. White, 生没年未確認)は、1887年3月28日にヴォルタ・グラフォフォン・カンパニー(Volta Graphophone Company)と販売契約を結び、これがアメリカン・グラフォフォン・カンパニー(American Graphophone Company)の成立につながりました。同社の動きは、ワックスシリンダーを用いるグラフォフォンを研究室内の実験装置から、口述録音や事務用途を想定した商品へ移すものでした。1887年の時点で同社が音楽録音を体系的に販売していたことは確認できませんが、録音機器を会社組織によって製造・販売しようとした点で、のちの録音産業形成に直結する動きでした。

ベルリナーのグラモフォン特許

ベルリナーは1887年、グラモフォンに関するアメリカ合衆国特許第372,786号『Gramophone』(United States Patent No. 372,786, “Gramophone”)を成立させました。この特許は、フォノグラフやグラフォフォンが主にシリンダー状の媒体を用いたのに対し、のちのディスク録音へつながる発想を示した点で重要です。ベルリナーの方式では、音の振動を横方向の動きとして記録する横振動カット(lateral cut)の考え方が中心になりました。1887年の時点では、ベルリナーによる市販用ディスク録音の体系的な発表は確認できません。1887年のグラモフォン特許は、のちにディスク録音が録音産業の主要形式へ発展していくための技術的出発点にあたります。

エジソンのフォノグラフ研究再開

1887年、エジソンはフォノグラフ研究に本格的に戻りました。1877年の錫箔式フォノグラフは、音を記録して再生できる装置でしたが、錫箔は反復再生や交換、保存に適した媒体ではありませんでした。ベル=テインター系グラフォフォンの動きは、エジソンにフォノグラフの再設計を促しました。エジソンはエズラ・T・ギリランド(Ezra T. Gilliland, 生没年未確認)の協力を得て改良を進め、チャールズ・バチェラー(Charles Batchelor, 1845–1910)には錫箔に代わる録音面の開発が割り当てられました。さらにジョナス・エイルズワース(Jonas Aylsworth, 生没年未確認)がシリンダー材料の研究に加わり、ワックスシリンダーを用いる方向が強まりました。1887年11月26日には、改良フォノグラフに関する特許出願が行われ、エジソンの録音技術は錫箔式の実験装置から、実用的な録音・再生機械へ進む段階に入りました。

エジソン・フォノグラフ・カンパニーの設立

1887年10月、エジソン・フォノグラフ・カンパニー(Edison Phonograph Company)が設立されました。同社は、エジソンの改良フォノグラフとシリンダーに関する特許・製造権を保持するための会社でした。エジソンは、1870年代のエジソン・スピーキング・フォノグラフ・カンパニー(Edison Speaking Phonograph Company)とは別に、改良フォノグラフを扱う新しい事業体制を整えました。1887年の時点で、同社が一般向けの音楽シリンダーを体系的に販売していたことは確認できません。同社の役割は、改良フォノグラフを口述録音や業務用途に向けた機械として管理し、製造・販売へ移すための基盤を作ることにありました。

ウェスト・オレンジ研究所と録音技術の再整備

1887年11月、エジソンはニュージャージー州ウェスト・オレンジに新しい研究所・製造複合施設を開きました。ウェスト・オレンジ研究所(West Orange Laboratory)は、メンロパーク研究所(Menlo Park laboratory)に続くエジソンの主要な研究拠点となり、改良フォノグラフの開発を継続する場所になりました。ここでは、錫箔式フォノグラフの限界を前提に、録音媒体、カッター、再生機構、動力機構などの再検討が進められました。1887年11月26日には改良フォノグラフに関する特許出願が行われ、フォノグラフは一時的な実験装置から、ワックスシリンダーを用いる実用的な録音・再生機械へ移行していきました。ウェスト・オレンジ研究所の整備は、エジソン系の録音技術を継続的に改良するための基盤になりました。

トーキング・ドール構想と玩具用フォノグラフの準備

1887年には、エジソン・トーキング・ドール(Edison Talking Doll)につながる、フォノグラフを玩具に応用する構想も具体化し始めました。エジソンは1887年10月1日、ローウェル・C・ブリッグス(Lowell C. Briggs, 生没年未確認)とウィリアム・W・ジャック(William W. Jacques, 生没年未確認)に、フォノグラフ人形と玩具用フィギュアを製造・販売する権利を許諾しました。同年10月27日には、エジソン・フォノグラフ・トイ・マニュファクチャリング・カンパニー(Edison Phonograph Toy Manufacturing Company)の会社組織証明がメイン州で提出されました。さらに同年12月26日には、チャールズ・バチェラーが玩具用フォノグラフの作業に割り当てられていたことが確認できます。1887年のトーキング・ドール構想は、録音技術を事務用途だけでなく、家庭内の娯楽や子ども向け玩具へ応用しようとする動きでした。ただし、この段階で市販されたエジソン・トーキング・ドールや、そのための市販録音が存在したことは確認できません。

1887年秋のオーケストラ録音実験報道

1887年10月24日付のチャールストン・コマーシャル・ニュース(Charleston Commercial News)は、“Edison’s Greatest Wonder” という見出しで、エジソンの完成型フォノグラフ(Perfected Phonograph)を紹介しています。記事はニューヨーク発10月21日として掲載されており、完成型フォノグラフが声だけでなく音楽の記録と再生にも用いられていたことを伝えています。

記事中では、エジソンがオーケストラの音楽を記録したと述べ、その再生では弦楽器、金管楽器、フルート、オーボエなどの音を区別できたと説明されています。また、音の強弱も再現できたとされ、繊細な響きまで聞き分けられるという趣旨の記述があります。ただし、この記事からは、録音された曲名、演奏団体名、録音日、録音場所を確定することはできません。

この報道は、1887年時点の完成型フォノグラフが、単なる音声記録装置としてではなく、音楽録音・音楽再生の可能性を示す装置として紹介されていたことを示しています。現存する録音資料として曲名や演奏者を特定できる段階ではありませんが、エジソンが1887年秋までにオーケストラ録音実験を行っていたことを伝える同時代報道として重要です。

1887年前後と誤認されやすい録音・音声資料

1887年前後には、1887年の特許・会社設立・研究再開と近接して言及される音声資料がいくつかあります。ヴォルタ研究所の実験録音、ベルリナーの初期グラモフォン実験録音、エジソン・トーキングドールに関係する録音は、いずれも初期録音技術の流れを示す資料ですが、1887年の録音として日付・内容・録音主体を確定できるものではありません。これらの音声資料は、1887年の技術的転換と連続する一方で、録音年や用途の点では別個に位置づける必要があります。

ヴォルタ研究所の実験録音

ヴォルタ研究所の実験録音は、1887年の録音技術と深く関係する初期音声資料群です。ベル=テインター系の研究では、ワックスシリンダーだけでなく、ディスク状の録音媒体も試みられました。後年の調査で確認されたヴォルタ研究所関係の資料群は、189本のシリンダー、275点のディスクまたはその他の平盤状媒体、1本のテープリール、計465点に及び、そのうち約275点に何らかの録音が含まれます。これらの実験は、グラフォフォンの開発や、録音媒体を交換・保存できる形式へ進めるうえで重要でした。ただし、ヴォルタ研究所関係の資料は1880年代前半から中頃の実験を多く含み、後年に目録化された資料にも推定や未同定の要素が残ります。1887年のグラフォフォン事業化と技術的には連続していますが、1887年に録音された個別音声資料として日付・内容・録音主体を確定できるものではありません。

ベルリナーの初期グラモフォン実験録音

ベルリナーの初期グラモフォン実験録音は、1887年の特許と近接して語られますが、1887年録音として日付・内容・録音主体を確定できる資料は確認できません。ベルリナーは1888年5月16日、ペンシルベニア州フィラデルフィア(Philadelphia, Pennsylvania)のフランクリン協会(Franklin Institute)で、人間の声を平盤に刻むグラモフォンの仕組みを公開しました。この方式は、シリンダーではなくディスクを用い、音の振動を横方向の溝として記録する点に特徴がありました。グラモフォンの商業録音はヨーロッパで先行し、アメリカ合衆国では1894年末に販売用ディスクの展開が確認できます。アメリカ合衆国で最初期の販売用ディスク一覧は1894年11月1日付で、52タイトルを含むものとされています。1887年のグラモフォン特許は、販売用ディスク録音そのものではなく、その後のディスク録音産業へつながる技術的出発点にあたります。

エジソンのトーキング・ドール用録音

エジソンのトーキング・ドール用録音は、1887年の玩具用フォノグラフ構想と直接つながる音声資料です。1887年には、エジソン・トーキングドールの製造・販売に向けた権利許諾と会社組織の準備が進み、チャールズ・バチェラーも玩具用フォノグラフの作業に割り当てられていました。一方、実際に人形へ組み込むための録音や、現存するトーキング・ドール用録音は、1888年以降から1890年の市販化にかけての資料として位置づけられます。トーキング・ドール用録音は、音楽録音や業務用口述録音とは異なり、短い発話や童謡を玩具の内部機構で再生することを目的としていました。1887年の時点では、録音技術を玩具へ応用する構想と事業準備が進んでいましたが、同年録音として日付・内容・録音者を確定できる資料は確認できません。

References