1960年に録音された音楽

この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク

1960年に録音された音楽

1960年は、第二次世界大戦後の国際秩序が「脱植民地化」と「冷戦」の二つの軸で同時に大きく揺れ、そこに大衆文化と技術革新が重なって、世界の出来事が録音・放送・映像といったメディアを介して急速に共有されていった年です。とりわけ「アフリカの年」と呼ばれるほど独立が相次ぎ、旧宗主国の支配から新国家が次々と誕生しました。一方で、独立直後の政治的空白は深刻な危機も生み、コンゴ共和国(現・コンゴ民主共和国)では独立後まもなく混乱が拡大し、パトリス・ルムンバ(Patrice Lumumba, 1925–1961)らをめぐる対立の中で、国際連合安全保障理事会(United Nations Security Council)の決議にもとづく国際連合コンゴ活動(United Nations Operation in the Congo)が開始されました。年末には国際連合総会(United Nations General Assembly)で植民地独立付与宣言(Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples)が採択され、世界規模で「帝国の時代」からの転換が原則として言語化されます。

冷戦の緊張も、象徴的な事件で可視化されました。アメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)の対立は、フランシス・ゲーリー・パワーズ(Francis Gary Powers, 1929–1977)が操縦していた偵察機が撃墜されたユーツー偵察機撃墜事件(U-2 incident)で一気に表面化し、首脳会談の空気を決定的に冷やします。同じ年、南アフリカ共和国ではシャープビル虐殺事件(Sharpeville massacre)が起き、差別政策に抗議する人びとへの発砲が国際的な非難を呼び、社会運動が「現場の映像や証言」と結びついて広がる時代の入口を示しました。アメリカ合衆国でも、グリーンズボロ座り込み(Greensboro sit-ins)を契機に抗議行動が連鎖し、学生非暴力調整委員会(Student Nonviolent Coordinating Committee)が結成されるなど、公民権運動の担い手が世代交代していきます。政治の側では、アメリカ合衆国大統領選挙(1960 United States presidential election)でジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy, 1917–1963)が当選し、テレビ討論を含むメディア選挙の手触りが世界に共有されました。日本では、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States of America)が発効し、街頭の熱と政治の節目が同じ年の記憶として刻まれます。

経済と資源の面では、産油国の主導権をめぐる動きが形になり、石油輸出国機構(Organization of the Petroleum Exporting Countries)が設立されました。資源価格の交渉力が「組織」として立ち上がったことは、のちの世界経済の波(インフレーション、景気循環、輸送コスト、レコード原料を含む工業素材の価格)にまでつながる長い影響を持ちます。自然災害でも、1960年チリ地震(Gran terremoto de Valdivia)は観測史上最大級の規模として記録され、津波は環太平洋へ到達して日本の沿岸にも被害を及ぼしました。地球規模の出来事が「同じ海」を介して連動する現実が、統計や報道で強い説得力を持って突きつけられた年でもあります。

科学技術と大衆文化は、こうした政治・社会の緊張と絡み合いながら加速しました。アメリカ航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration)は世界初の気象衛星としてタイロス1号(TIROS-1)を打ち上げ、空から地球を観測することが「研究」から「運用」へ移る段階に入ります。テオドール・メイマン(Theodore Maiman, 1927–2007)が初めてレーザー発振に成功したことも、通信・計測・映像記録の未来を押し広げる出来事でした。スポーツでは、第17回オリンピック競技大会(Games of the XVII Olympiad)が1960年8月25日–9月11日にローマで開催され、アベベ・ビキラ(Abebe Bikila, 1932–1973)やウィルマ・ルドルフ(Wilma Rudolph, 1940–1994)、カシアス・クレイ(Cassius Clay, 1942–2016)らの活躍が国境を越えて語られます。映画では『サイコ』(Psycho)が公開され、アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock, 1899–1980)の演出は映像表現の語彙を更新しました。音楽の側でも、ビートルズ(The Beatles)が1960年に改名して活動を本格化させ、ジョン・レノン(John Lennon, 1940–1980)とポール・マッカートニー(Paul McCartney, 1942–)らが核となる「次の波」の胎動が始まります。独立、対立、災害、発明、そして娯楽が同じ年の地層として折り重なり、それらが録音物・放送・ニュース映像を通じて同時代の感覚として共有されていく――1960年は、その結び目がはっきり見える年です。