1895年7月に録音された音楽

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1895年7月に録音された音楽

1895年7月は、交通・政治・文化が一体化して「大衆が同じものを共有する回路」が広がった月でした。アメリカ合衆国ではキャサリン・リー・ベイツ(Katharine Lee Bates, 1859–1929)の詩『アメリカ・ザ・ビューティフル』(America the Beautiful)が1895年7月4日に『コンギリゲーショナリスト』(The Congregationalist)に初掲載されました。南部アフリカではデラゴア湾鉄道(Delagoa Bay railway line)が1895年7月8日に公式開通し、内陸と港湾を結ぶ流通が強化されます。ロシア帝国ではドゥホボール派(Doukhobors)が7月10日–11日(新暦)に武器を焼却し、非暴力の宗教運動が弾圧を受けました。ヨーロッパではサビノ・アラナ・ゴイリ(Sabino Arana Goiri, 1865–1903)が1895年7月31日にバスク民族主義党(Basque Nationalist Party)を創設し、地域アイデンティティの政治化が進みます。日本では第四回内国勧業博覧会が1895年4月1日–7月31日に京都で開催され、電力利用の展示などが都市の近代化を象徴しました。

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1895年7月の録音に関する情報のまとめ

1895年7月前後の録音技術は、円筒式の普及と、円盤式の量産化が並走し、さらに映像と音を同期させる試みも具体化していました。家庭・興行・展示の場で「同じ音を繰り返し届ける」仕組みが整い始めた時期として位置づけられます。

円盤の素材転換と量産の加速

エミール・ベルリナー(Emil Berliner, 1851–1929)の円盤方式では、1895年にデュラノイド・カンパニー(Duranoid Company)がシェラック(shellac)によるプレス盤を製造し、1895年中頃には同社製造が主流になったとされています。複製の容易さが「同一の音源を多数に配る」方向性を強めました。

円筒式の駆動改良と家庭利用の現実味

円筒式では、1895年にばねモーター駆動の円筒式蓄音機(spring motor phonograph)が登場し、手回しの負担を軽減して日常的な再生を後押ししたとされています。家庭に「録音を置く」条件が、機構面から整っていった段階です。

映像と録音の同期という新領域

映像装置キネトスコープ(Kinetoscope)と録音装置フォノグラフ(phonograph)を組み合わせるキネトフォン(Kinetophone)の構想は、1894年秋には実験段階にあり、1895年春までに商品として提示されたとされています。録音が「音楽」だけでなく「視覚メディアの一部」として組み込まれていく入口でした。