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1889年8月の録音・音声記録

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1889年8月の録音・音声記録

1889年8月、フランスではパリ万国博覧会(Exposition Universelle de 1889)が継続し、エッフェル塔(Tour Eiffel)や機械館(Galerie des Machines)が近代産業技術の象徴として注目を集めていました。アフリカ北東部ではマフディー戦争(Mahdist War)のトスキの戦い(Battle of Toski)が起こり、アメリカ合衆国ではスポケーン大火(Great Spokane Fire)が市街地に大きな被害を与えました。イギリスではサヴォイ・ホテル(Savoy Hotel)が開業し、ロンドン港湾ストライキ(London Dock Strike)が広がるなど、帝国政治、都市災害、労働運動、消費文化の変化が重なった月でもありました。

録音史では、エジソン研究所(Edison Laboratory)における音楽シリンダー制作が継続し、録音台帳には1889年8月の録音項目として計164件が残されています。内容はピアノ、クラリネット、フルート、コルネット、バンド演奏などの器楽録音を中心に、行進曲、舞曲、幻想曲、歌曲編曲が混在しています。これらは後年の一般家庭向け大量販売レコードとは異なり、ノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)の地域会社、公開展示、実演、試験的な音楽フォノグラム流通と結びつく初期段階の録音でした。テオ・ヴァンゲマン(Theo Wangemann, 1855–1906)によって整えられた音楽シリンダー制作の流れは、1889年8月には月を通じて多数の録音項目を残す段階に達していました。

この月の確認されている録音:165件

1日(8件)

8月1日は、台帳上「H.G. Piano」と記されたピアノ録音8件です。H.G.は、前後の記録と関連資料からヘンリー・ギーゼマン(Henry Giesemann, 生没年不明)を指す表記と判断できます。曲目はワルツ、マズルカ、スコティッシュ、行進曲で構成され、同一曲名の反復も独立した録音項目として記録されています。「Wedding march」はA・B・Total欄が「– — –」のため、録音本数は資料上確認できません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Life Let Us Cherish WaltzH. G.
Columbine MazurkaH. G.
Columbine MazurkaH. G.
Strauss WaltzH. G.
Exhilaration SchottischeH. G.
Strauss WaltzH. G.
One Heart 1 SoulH. G.
Wedding marchH. G.

【1889年8月1日の出来事】
祖先の記念碑の献堂
アメリカ合衆国(United States of America)マサチューセッツ州プリマスで、祖先の記念碑(National Monument to the Forefathers)が献堂されました。この記念碑は、メイフラワー号(Mayflower)で北アメリカへ渡ったピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)と、プリマス植民地(Plymouth Colony)の宗教的・市民的理念を記念するために建てられた花崗岩の大規模記念碑です。1889年8月1日の献堂は、19世紀後半のアメリカ合衆国で、建国以前の植民地史を国民的記憶として再構成する動きの一例といえます。

2日(10件)

8月2日は、台帳上「H.G. Piano」と記されたピアノ録音5件と、「F. Voss 1st Reg’t Band」と記されたバンド録音5件、計10件です。後半の5件は台帳上「F. Voss 1st Reg’t Band」と記されており、このページでは台帳上の位置に従って8月2日の録音として扱います。曲目は行進曲、ワルツ、スコティッシュ、幻想曲風のバンド曲で構成され、「Colonel Wellington’s march」は同一曲名の反復として独立した録音項目に数えます。「Santiago waltz」は台帳上の本数欄が「– — –」のため、録音本数は資料上確認できません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Wedding MarchH. G.
Pearl Of Pekin Sel.H. G.
Pearl Of Pekin Sel. IIH. G.
Slightly On The MashH. G.
Santiago WaltzH. G.
Colonel Wellington’s marchF. Voss 1st Reg’t Band
Colonel Wellington’s marchF. Voss 1st Reg’t Band
Dance EthiopiaF. Voss 1st Reg’t Band
Spanish FantasieF. Voss 1st Reg’t Band
Song & dance schot. Sweetest of them allF. Voss 1st Reg’t Band

【1889年8月2日の出来事】
ケーテ・シュタイニッツの誕生
ケーテ・シュタイニッツ(Kate Steinitz, 1889–1975)が、上シレジア地方ボイテン(Beuthen, Upper Silesia、現在のポーランド共和国(Republic of Poland)ビトム(Bytom))で生まれました。のちにドイツとアメリカ合衆国(United States of America)で美術家、写真家、美術史研究者、司書として活動し、20世紀前半の前衛芸術やレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452–1519)研究にも関わりました。1920年代にはクルト・シュヴィッタース(Kurt Schwitters, 1887–1948)らの芸術活動と接点を持ち、ダダやバウハウス周辺の資料を後世に伝える人物の一人となりました。

13日(13件)

8月13日は、台帳上「H.G. Piano, J. Mitthauer Cornet」と記されたピアノ伴奏つきコルネット録音13件です。J. Mitthauerは、同じ台帳でジョン・ミットハウアー(John Mitthauer, 生没年不明)として確認できるコルネット奏者です。曲目はオペラ旋律、ポルカ、歌曲・愛唱歌系の旋律で構成されています。「Old folks at home」は同一曲名の反復として独立した録音項目に数えます。台帳のA・B・Total欄には、合計73本が記録されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Aria TrovatoreH. G.
J. Mitthauer
Hattie PolkaH. G.
J. Mitthauer
For Ever & For EverH. G.
J. Mitthauer
Sea Flower PolkaH. G.
J. Mitthauer
Sacred SongH. G.
J. Mitthauer
Culver PolkaH. G.
J. Mitthauer
Old Folks At HomeH. G.
J. Mitthauer
Old Folks At HomeH. G.
J. Mitthauer
Polka BrilliantH. G.
J. Mitthauer
Dream Of LoveH. G.
J. Mitthauer
Surf PolkaH. G.
J. Mitthauer
Lizzie PolkaH. G.
J. Mitthauer
American AirsH. G.
J. Mitthauer

【1889年8月13日の出来事】
硬貨投入式公衆電話の特許
アメリカ合衆国(United States of America)コネチカット州ハートフォードの発明家ウィリアム・グレイ(William Gray, 1850–1903)に、硬貨制御式電話装置(Coin-Controlled Apparatus for Telephones)のアメリカ合衆国特許第408,709号(United States Patent No. 408,709)が付与されました。この装置は、電話を個人契約者や事業所だけでなく、不特定の利用者が料金を支払って使うための仕組みに関わるものでした。係員が料金を受け取る有料電話の先例はありましたが、1889年のグレイの発明は、硬貨投入式公衆電話の普及につながる重要な節目となりました。

15日(13件)

8月15日は、台帳上「C. Kegel Clarinet」と記されたクラリネット録音13件です。台帳上の演奏者表記は「C. Kegel」で、フルネームと生没年は資料上確認できません。曲目はドイツ語歌曲、変奏曲、ポルカ、ワルツ、宗教歌由来の旋律を含む内容で構成されています。「Air Varie」「Aria Bergsohn」「Hungarian polka」「Santiago waltz」は、それぞれ同一曲名または続き番号を持つ反復として、独立した録音項目に数えます。台帳のA・B・Total欄には、合計82本が記録されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
German SongC. Kegel
Air Varie IC. Kegel
Air Varie IIC. Kegel
Glory Glory HallelujahC. Kegel
Hungarian PolkaC. Kegel
DivertisementC. Kegel
Theme With Var.C. Kegel
Liliput PolkaC. Kegel
Aria BergsohnC. Kegel
Aria BergsohnC. Kegel
Hunarian PolkaC. Kegel
Santiago WaltzC. Kegel
Santiago WaltzC. Kegel

【1889年8月15日の出来事】
豪州貿易兼松房治郎商店の創業
兼松房治郎(1845–1913)が、兵庫県神戸市で豪州貿易兼松房治郎商店を創業しました。明治期の日本では、輸出入の大きな部分を外国商館が担っており、兼松房治郎はオーストラリアとの直接貿易を掲げて事業を始めました。翌1890年にはシドニー支店を開設し、羊毛輸入を中心に日豪貿易を広げていきました。1889年8月15日の創業は、近代日本の商社活動と海外直接貿易の拡大を示す出来事の一つです。

16日(12件)

8月16日は、台帳上「Duffy & Imgrund 5th Reg. Band」と記されたバンド録音12件です。曲目は行進曲、ワルツ、スコティッシュ、南部系の楽曲名を含むバンド演奏で構成されています。「4th Virginia Regiment March」と「4th Virginia Reg march」は、台帳上で別行に記録されているため、このページでも独立した録音項目として扱います。台帳には合計62本、所要4時間と記されています。また、この日の欄には「Hagen left」という注記がありますが、ヘンリー・J・ヘイゲン(Henry J. Hagen, 生没年不明)の離任が一時的なものか恒久的なものかは資料上確認できません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
4th Virginia Regiment MarchDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
4th Virginia Reg MarchDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Andante & Waltz E. Eleanorem [?]Duffy & Imground’s 5th Regt. Band
La Bella Italia MarchDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Military SchottischeDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Golden Shower WaltzDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Southern RosesDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
August Club, MarchDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Andante & WaltzDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Delightful ShottischeDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Welcome Home Grand MarchDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Promenade MarchDuffy & Imground’s 5th Regt. Band

【1889年8月16日の出来事】
ロンドン港湾ストライキの大規模行進
ロンドン港湾ストライキ(London Dock Strike of 1889)の初期段階で、ベンジャミン・ティレット(Benjamin Tillett, 1860–1943)は港湾会社側へ賃上げ要求への回答を求めました。満足な回答が得られなかったため、同日、約1万人の港湾労働者による大規模な行進が行われ、ジョン・バーンズ(John Burns, 1858–1943)も支持を示して行進に加わりました。この行動は、賃金引き上げと最低雇用時間を求める港湾労働者の争議を、ロンドン東部の労働問題から全国的・国際的に注目される労働運動へ広げる契機の一つとなりました。

17日(11件)

8月17日は、台帳上「Duffy & Imgrunds 5th Regmt Band」と記されたバンド録音11件です。前日の8月16日に続く同じバンド名義の録音で、行進曲、歌と踊りの曲、各国風の旋律、ワルツ、フォノグラフを題名に含む楽曲が記録されています。「The phonograph serenade」は同一曲名が2回記録されているため、それぞれ独立した録音項目として数えます。「You know, no. 2 [I’m swift?]」は、転写上に判読不確実箇所が残るため、角括弧を含めて記載します。台帳には合計76本、所要4時間と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Nadjy MarchDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Pretty Katie Ryan – Song & DanceDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
The Phonograph SerenadeDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
National AirsDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
Irish AirsDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
French AirsDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
“You Know” No. 1Duffy & Imground’s 5th Regt. Band
You know, no. 2 [I’m swift?]Duffy & Imground’s 5th Regt. Band
Overture Short And SweetDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
The Silver Rheine WaltzesDuffy & Imground’s 5th Regt. Band
The Phonograph SerenadeDuffy & Imground’s 5th Regt. Band

【1889年8月17日の出来事】
ザ・ナイン・バイ・ファイブ・インプレッション・エキシビションの開幕
オーストラリア植民地ヴィクトリア(Colony of Victoria)のメルボルンで、ザ・ナイン・バイ・ファイブ・インプレッション・エキシビション(The 9 by 5 Impression Exhibition)が開幕しました。会場はスワンストン・ストリートのバクストン美術館(Buxton’s Art Gallery)で、チャールズ・コンダー(Charles Conder, 1868–1909)、トム・ロバーツ(Tom Roberts, 1856–1931)、アーサー・ストリートン(Arthur Streeton, 1867–1943)らによる小型作品が展示されました。展示名は、多くの作品が9インチ×5インチほどの小さな板に描かれていたことに由来します。この展覧会は、のちにハイデルバーグ派(Heidelberg School)やオーストラリア印象主義と結びつけて語られる、オーストラリア美術史上の重要な出来事となりました。

20日(6件)

8月20日は、台帳上「N. Vogel (clar), Miss Hangs (Piano)」と記されたクラリネットとピアノによる録音6件です。N. VogelとMiss Hangsのフルネーム・生没年は資料上確認できません。曲目はクラリネット独奏、オペラ由来の旋律、変奏曲、幻想曲で構成されています。「Brilliante variations」と「Brilliant variations」は、台帳上で別行に記録されているため、このページでも独立した録音項目として扱います。台帳には、所要3時間半、合計50本と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Clarinet SoloN. Vogel
Slumber Song From MasanielloN. Vogel
Miss Hangs
On The MeadowN. Vogel
Miss Hangs
Brilliante VariationsN. Vogel
Miss Hangs
Grand FantasiaN. Vogel
Miss Hangs
Brilliant VariationsN. Vogel
Miss Hangs

【1889年8月20日の出来事】
液晶研究の進展
ドイツの物理学者オットー・レーマン(Otto Lehmann, 1855–1922)は、フリードリヒ・ライニッツァー(Friedrich Reinitzer, 1857–1927)から送られたコレステリル安息香酸エステル(cholesteryl benzoate)の試料を観察し、1889年8月20日付の手紙で最初の研究結果を報告しました。オットー・レーマンは、通常の固体・液体・気体の分類だけでは説明しにくい状態として、流動性を持ちながら結晶的性質も示す物質に注目しました。この研究は、のちに液晶(liquid crystals)と呼ばれる物質群の理解につながり、19世紀末の物質科学に新しい視点をもたらしました。

21日(13件)

8月21日は、台帳上「H.G. Piano Mr. Belucci Clarinet」と記されたピアノ伴奏つきクラリネット録音13件です。このページの録音リストでは、演奏者名を台帳表記に従ってH.G.とMr. Belucciで記載します。Mr. Belucciのフルネーム・生没年は、8月21日の台帳欄だけでは資料上確認できません。曲目はオペラ由来の旋律、家庭的な歌曲、ワルツ、ポルカ、変奏曲で構成されています。「Quartett aus Rigoletto」と「Variations」は同一曲名の反復として独立した録音項目に数えます。「Home sweet home var.」は台帳上のA・B・Total欄が空欄のため、録音本数は資料上確認できません。台帳には、合計66本、所要5時間と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Quartett Aus RigolettoH. G.
Mr. Belucci
Quartett Aus RigolettoH. G.
Mr. Belucci
Home Sweet HomeH. G.
Mr. Belucci
Santiago WaltzH. G.
Mr. Belucci
Hungarian PolkaH. G.
Mr. Belucci
Air With Var.H. G.
Mr. Belucci
VariationsH. G.
Mr. Belucci
VariationsH. G.
Mr. Belucci
Waltz Lune Du MielH. G.
Mr. Belucci
Aria Don JuanH. G.
Mr. Belucci
Loin Du BalH. G.
Mr. Belucci
Home sweet home var.H. G.
Mr. Belucci
San Tiago WaltzH. G.
Mr. Belucci

【1889年8月21日の出来事】
リチャード・ニュージェント・オコナーの誕生
リチャード・ニュージェント・オコナー(Richard Nugent O’Connor, 1889–1981)が、英領インド(British India)のスリナガル(Srinagar)で生まれました。のちにイギリス陸軍(British Army)の軍人となり、第一次世界大戦(First World War)と第二次世界大戦(Second World War)に従軍しました。第二次世界大戦初期には西方砂漠軍(Western Desert Force)を指揮し、コンパス作戦(Operation Compass)でイタリア軍に大きな打撃を与えました。1889年8月21日の誕生は、英領インドで生まれた人物が20世紀のイギリス軍事史に関わる将官へ進んだ一例です。

23日(12件)

8月23日は、台帳上「Mr. A. Bellucci Clarinet」と記されたクラリネット録音12件です。台帳上の演奏者表記は「Mr. A. Bellucci」で、フルネームと生没年は資料上確認できません。曲目はオペラ由来の旋律、変奏曲、ポルカ、ワルツ、民謡系の旋律で構成されています。「Moderato Tyrolean」は同一曲名の反復として、台帳上の2行をそれぞれ独立した録音項目に数えます。台帳には、合計79本、所要5時間と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Barbiere Of SevilleMr. A. Belucci
Casta Diva NormaMr. A. Belucci
Air With VariationsMr. A. Belucci
Noderato NormaMr. A. Belucci
Last Rose Of SummerMr. A. Belucci
Charlotten PolkaMr. A. Belucci
New York WaltzMr. A. Belucci
Moderato TyroleanMr. A. Belucci
Moderato TyroleanMr. A. Belucci
Santiago WaltzMr. A. Belucci
Gretta PolkaMr. A. Belucci
New Paris WaltzMr. A. Belucci

【1889年8月23日の出来事】
ジェフリー・カスト・フェイバーの誕生
ジェフリー・カスト・フェイバー(Geoffrey Cust Faber, 1889–1961)が生まれました。のちに詩人、出版人として活動し、1925年にはフェイバー・アンド・グワイヤー社(Faber and Gwyer)の出版事業に関わりました。ティー・エス・エリオット(T. S. Eliot, 1888–1965)を同社の経営陣に迎え、同社は1929年にフェイバー・アンド・フェイバー社(Faber and Faber Limited)へ発展しました。1889年8月23日の誕生は、20世紀英語圏文学の出版環境に大きな影響を与える出版人の出発点となりました。

26日(7件)

8月26日は、台帳上「A.T. Van Winkle. Xylophone & metallophone & bells」と記された録音7件です。このページの録音リストでは、演奏者名を台帳表記に従ってA.T. Van Winkleで記載します。曲目はポルカ、序曲抜粋、スコットランド系歌曲、ギャロップで構成され、「My treasure polka」と「Galop brilliant」は同一曲名の反復として、それぞれ独立した録音項目に数えます。台帳には42本、所要2時間半と記されています。なお、この日の欄には伴奏者名は記されていません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
My Treasure PolkaA. T. Van Winkle
Selections From The Owls OvertureA. T. Van Winkle
Scotch SongsA. T. Van Winkle
Cascade PolkaA. T. Van Winkle
Galop BrilliantA. T. Van Winkle
My Treasure PolkaA. T. Van Winkle
Galop BrilliantA. T. Van Winkle

【1889年8月26日の出来事】
ジョン・ギルドロイ・グラントの誕生
ジョン・ギルドロイ・グラント(John Gildroy Grant, 1889–1970)が、ニュージーランド(New Zealand)タラナキ地方ハウェラ(Hawera, Taranaki)で生まれました。のちに第一次世界大戦(First World War)でニュージーランド遠征軍(New Zealand Expeditionary Force)に従軍し、1918年9月1日のフランス共和国(French Republic)バンクール付近での戦闘における行動により、ヴィクトリア十字章(Victoria Cross)を授与されました。1889年8月26日の誕生は、ニュージーランド出身者が大英帝国圏の戦争記憶と軍事顕彰に深く関わる人物となった一例です。

27日(8件)

8月27日は、台帳上「A.T. Van Winkle Xylophonist, Edward Issler, pianist」と記された木琴とピアノによる録音8件です。エイサ・トマス・ヴァン・ウィンクル(Asa Thomas Van Winkle, 生没年不明)は前日の8月26日に続く録音で、この日の欄ではエドワード・イスラー(Edward Issler, 1855–1922)がピアノで加わっています。このページの録音リストでは、演奏者名を台帳表記に従ってA.T. Van WinkleとEdward Isslerで記載します。曲目はポルカ・マズルカ、変奏曲、ポルカ、ギャロップで構成され、台帳上の反復もそれぞれ独立した録音項目として数えます。台帳には47本、所要2時間半と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Celia Polka MazurkaA.T. Van Winkle
Edward Issler
Celia Polka MazurkaA.T. Van Winkle
Edward Issler
Air With VariationsA.T. Van Winkle
Edward Issler
Air With VariationsA.T. Van Winkle
Edward Issler
Hazel Dell PolkaA.T. Van Winkle
Edward Issler
Hazel Dell PolkaA.T. Van Winkle
Edward Issler
Apollo GalopA.T. Van Winkle
Edward Issler
Apollo GalopA.T. Van Winkle
Edward Issler

【1889年8月27日の出来事】
マックス・ラファエルの誕生
マックス・ラファエル(Max Raphael, 1889–1952)が、プロイセン王国(Kingdom of Prussia)ポーゼン州シェーンランケ(Schönlanke, Province of Posen)で生まれました。のちに美術史家・美術理論家として活動し、近代美術、表現主義、先史美術、マルクス主義美学などをめぐる著作を残しました。ナチス・ドイツ(Nazi Germany)の台頭後はフランスへ移り、第二次世界大戦(Second World War)中には収容を経験したのち、アメリカ合衆国(United States of America)へ亡命しました。1889年8月27日の誕生は、20世紀の美術史研究と美術理論に関わる人物の出発点となりました。

28日(8件)

8月28日は、台帳上「A.T. Van Winkle. Xylophonist, Geo. Schweinfest, pianist」と記された木琴とピアノによる録音8件です。エイサ・トマス・ヴァン・ウィンクルは8月26日、27日に続く録音で、この日の欄ではジョージ・シュヴァインフェスト(George Schweinfest, 生没年不明)がピアノで加わっています。録音リストのArtist欄では、原資料の表記に従ってA.T. Van WinkleとGeo. Schweinfestで記載します。曲目はポルカとギャロップで構成され、「Sea Breeze polka」「Parisian polka」「Cascade polka」は台帳上の反復もそれぞれ独立した録音項目として数えます。8番目の項目は台帳上で番号のみが残り、曲名は資料上確認できません。台帳には42本、所要2時間半と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Sea Breeze PolkaA.T. Van Winkle
Geo. Schweinfest
Sea Breeze PolkaA.T. Van Winkle
Geo. Schweinfest
Apollo GalopA.T. Van Winkle
Geo. Schweinfest
Parisian PolkaA.T. Van Winkle
Geo. Schweinfest
Parisian PolkaA.T. Van Winkle
Geo. Schweinfest
Cascade PolkaA.T. Van Winkle
Geo. Schweinfest
Cascade PolkaA.T. Van Winkle
Geo. Schweinfest
N/AA.T. Van Winkle
Geo. Schweinfest

【1889年8月28日の出来事】
ウィリアム・モリスの講演『独占』
ウィリアム・モリス(William Morris, 1834–1896)は、グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)のヤーマスへ移動し、社会主義同盟(Socialist League)ヤーマス支部が主催した集会で、講演『独占』(Monopoly)を行いました。会場はコーラ・ホール(Cora Hall)でした。ウィリアム・モリスは、デザイナー、詩人、作家としてだけでなく、社会主義運動の活動家としても知られており、この講演は、1880年代末のイギリスにおける社会主義思想、労働問題、産業社会批判の広がりを示す出来事の一つです。

29日(11件)

8月29日は、台帳上「Duffy & Imgrunds Band」と記されたバンド録音10件です。8月16日、17日に記録された「Duffy & Imgrunds 5th Regmt Band」と近い表記ですが、この日の録音リストでは原資料の表記に従ってDuffy & Imgrunds Bandで記載します。曲目は行進曲、ワルツ、ギャロップ、ポルカ、歌と踊りの曲で構成され、騎士団、軍楽、アイルランド系旋律、ミンストレル風の題名を含んでいます。台帳には合計54本、午後1時15分から午後4時30分までの録音として記され、所要時間欄は3時間半とされています。

また同日には、テオ・ヴァンゲマン(Theo Wangemann, 1855–1906)がパリ万国博覧会(Exposition Universelle de 1889)会場で、Tacianu Sistersによる無伴奏声楽四重唱『Russian Melody』を録音しています。この録音はエジソン研究所の録音台帳ではなく、アメリカ合衆国国立公園局(National Park Service)が公開するヴァンゲマン欧州録音資料で確認できるものです。

TitleArtistMatrixCatalog No.
1st Knights of Pythias marchDuffy & Imgrunds Band
Beggar Student WaltzDuffy & Imgrunds Band
Beauty GalopDuffy & Imgrunds Band
Piccollo PolkaDuffy & Imgrunds Band
U. S. Marines MarchDuffy & Imgrunds Band
Golden Hours Song & DanceDuffy & Imgrunds Band
Saw My Leg OffDuffy & Imgrunds Band
Kilarney WaltzDuffy & Imgrunds Band
Irish WaltzesDuffy & Imgrunds Band
The Jolly MinstrelDuffy & Imgrunds Band
Russian MelodyTacianu Sisters

【1889年8月29日の出来事】
ジョージ・カーティス・フォーセット・ロウ(George Curtis Fawcett Rowe, 1832–1889)
ジョージ・カーティス・フォーセット・ロウ(George Curtis Fawcett Rowe, 1832–1889)は、イギリス生まれでオーストラリアやニュージーランド、アメリカで活動した俳優・劇作家です。自作の『デイヴィッド・コパフィールド』舞台作品でのウィルキンズ・マイコーバー役で人気を得ましたが、晩年はニューヨークで困窮のうちに亡くなりました。

30日(19件)

8月30日は、台帳上「Duffy & Imgrund Band」と記されたバンド録音19件です。録音リストのArtist欄では、原資料の表記に従ってDuffy & Imgrund Bandで記載します。曲目は行進曲、ワルツ、ギャロップ、ポルカ、メドレー、歌と踊りの曲で構成され、軍楽・舞曲・劇場音楽系の題名が混在しています。「Sweet dreams waltzes」は台帳上で2行にわたって記録されているため、それぞれ独立した録音項目として数えます。台帳には午前9時から午後4時30分まで、所要6時間半、合計126本と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Invitation MarchDuffy & Imgrunds Band
Fedona WaltzDuffy & Imgrunds Band
Prommonade BrillianteDuffy & Imgrunds Band
Medley “Fast Mail”Duffy & Imgrunds Band
Daughter Of LoveDuffy & Imgrunds Band
Piccollo PolkaDuffy & Imgrunds Band
Mayor Bayntons MarchDuffy & Imgrunds Band
Sweet Dreams WaltzesDuffy & Imgrunds Band
Sweet Dreams WaltzesDuffy & Imgrunds Band
Billington MarchDuffy & Imgrunds Band
Old Oaken BucketDuffy & Imgrunds Band
Golden Shower WaltzDuffy & Imgrunds Band
Funeral March Sleep OnDuffy & Imgrunds Band
Mrs. Brady’s Daughter – Song & DanceDuffy & Imgrunds Band
The “Bagpipe”Duffy & Imgrunds Band
Southern Roses WaltzDuffy & Imgrunds Band
Our Executive MarchDuffy & Imgrunds Band
Irish AirsDuffy & Imgrunds Band
Brunette & Blonde WaltzesDuffy & Imgrunds Band

【1889年8月30日の出来事】
アドリアン・ローラーの誕生
アドリアン・ローラー(Adrian Lawlor, 1889–1969)が、グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)のロンドンで生まれました。のちにオーストラリアへ移住し、画家、作家、美術批評家として活動しました。1930年代にはメルボルンのモダニズム美術と関わり、1938年には保守的な美術制度への対抗として設立されたコンテンポラリー・アート・ソサエティ(Contemporary Art Society)で書記を務めました。1889年8月30日の誕生は、20世紀オーストラリア美術におけるモダニズム受容と美術批評の流れに関わる人物の出発点となりました。

31日(14件)

8月31日は、台帳上「Duffy & Imgrunds Band」と記されたバンド録音14件です。録音リストのArtist欄では、原資料の表記に従ってDuffy & Imgrunds Bandで記載します。曲目は行進曲、ワルツ、ギャロップ、ポルカ、スコティッシュ、セレナーデ、歌と踊りの曲で構成されています。8月29日、30日に続く同じバンド名義の録音で、8月下旬のエジソン研究所におけるバンド録音の集中を示す項目です。台帳には午前10時から午後4時まで、合計102本、所要5時間と記されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Diamond MarchDuffy & Imgrunds Band
“Secret Love”Duffy & Imgrunds Band
I Think Of Thee WaltzDuffy & Imgrunds Band
“Polo” GalopDuffy & Imgrunds Band
Society YorkDuffy & Imgrunds Band
The Monastery Bells – SerenadeDuffy & Imgrunds Band
Gambrinus PolkaDuffy & Imgrunds Band
Sunny Day’s SchottischeDuffy & Imgrunds Band
Sounds From Home – WaltzesDuffy & Imgrunds Band
Lyra PolkaDuffy & Imgrunds Band
Don’t Be In A Hurry – GalopDuffy & Imgrunds Band
The White Rose WaltzDuffy & Imgrunds Band
Pretty VioletsDuffy & Imgrunds Band
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【1889年8月31日の出来事】
ジュールとワットの採用
フランス共和国(French Republic)パリで開かれていた国際電気会議(International Congress of Electricians)で、エネルギーの実用単位としてジュール(joule)、仕事率の実用単位としてワット(watt)が採用されました。ジュールはイギリスの物理学者ジェームズ・プレスコット・ジュール(James Prescott Joule, 1818–1889)、ワットはイギリスの発明家ジェームズ・ワット(James Watt, 1736–1819)に由来する名称です。1889年8月31日の採用は、電気技術が国際的に広がるなかで、測定単位を統一しようとする動きの重要な節目となりました。

1889年8月の録音に関する情報

1889年8月の録音を理解するには、録音リストに残る曲目だけでなく、録音がどのような事業体制、技術条件、公開実演の文脈のなかで作られていたかを確認する必要があります。エジソン研究所(Edison Laboratory)の音楽シリンダー制作は、1889年5月に始まった「Musical Cylinder Account」を基盤として継続しており、8月にはピアノ、クラリネット、コルネット、木琴、バンド演奏など、多様な器楽録音が集中的に記録されました。

この時期の録音は、後年の番号付き市販レコードとは性格が異なります。ノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)の地域会社、公開展示、フォノグラフ実演、ショールームでの再生、音楽フォノグラムの試験的な流通と結びついており、録音・複製・在庫・販売の仕組みはまだ安定していませんでした。そのため、1889年8月の録音は、初期商業録音が実験的な制作段階から、実演用・展示用・流通用の音源へ広がっていく過程を示す資料として重要です。

エジソン研究所の音楽シリンダー制作体制

1889年8月の録音は、エジソン研究所で継続していた音楽シリンダー制作の一部として記録されています。この制作体制は、1889年5月24日に始まった音楽シリンダー会計(Musical Cylinder Account)を基盤としており、録音日、演奏者、曲目、録音本数、所要時間が台帳に残されました。8月の記録では、ピアノ、クラリネット、コルネット、木琴、メタロフォン、ベル、バンド演奏などが扱われ、単独演奏、小編成、伴奏つき独奏、吹奏楽まで、録音対象が広がっていたことが確認できます。

この時期の録音は、後年の整理番号を持つ市販レコードとは異なり、制作・複製・供給の仕組みがまだ形成途上にありました。同一曲名が複数回記録されている場合も、台帳上ではそれぞれ独立した録音項目として扱われています。また、録音本数欄が空欄または「– — –」となっている項目もあり、すべての録音について完成本数が確認できるわけではありません。こうした記録の不均一さは、1889年8月の音楽シリンダー制作が、標準化された商品カタログではなく、実演用・展示用・流通用の録音を試行的に蓄積していた段階にあったことを示しています。

ヴァンゲマンは、エジソン研究所における音楽録音の実務を担い、演奏者の手配、録音項目の記録、フォノグラフ用音楽シリンダーの制作に関わりました。8月の台帳には、多数の器楽録音が短期間に集中して記録されており、同研究所の録音体制が、1889年5月の開始段階から数か月で、より継続的な制作活動へ移っていたことが読み取れます。

1889年8月版『Inspector’s Handbook of the Phonograph』とフォノグラフ運用

1889年8月には、エジソン・フォノグラフ・ワークス(Edison Phonograph Works)が『インスペクターズ・ハンドブック・オブ・ザ・フォノグラフ(Inspector’s Handbook of the Phonograph)』を発行していました。同冊子は、フォノグラフの検査、調整、取り扱いに関わる実務用の手引きであり、録音曲目を記録した台帳ではありません。しかし、1889年8月の音楽シリンダー制作が、録音現場だけでなく、機械の検査・管理・運用を含む事業体制のなかで進められていたことを示しています。

この時期のフォノグラフは、地域会社での貸与、公開展示、ショールームでの実演、音楽フォノグラムの再生にも用いられていました。そのため、音楽録音の利用価値は、録音そのものの出来だけでなく、機械の状態、シリンダーの扱い、再生時の安定性、操作担当者の技能にも左右されました。『インスペクターズ・ハンドブック・オブ・ザ・フォノグラフ』は、1889年8月時点でフォノグラフを事業用機器として運用するための手順が整備されつつあったことを伝える資料です。

同冊子から、個別の録音曲目、録音本数、演奏者を特定することはできません。一方で、1889年8月の録音リストに残る音楽シリンダーが、実験室内の単発的な録音ではなく、フォノグラフの貸与、展示、実演、再生利用を前提とする初期録音事業のなかで作られていたことは確認できます。

ノース・アメリカン・フォノグラフ社と音楽フォノグラムの流通

1889年8月の音楽シリンダー制作は、ノース・アメリカン・フォノグラフ社の初期流通体制と結びついていました。同社は、エジソン式フォノグラフとグラフォフォンを地域会社へ貸与し、事務用途だけでなく、展示、実演、興行的な利用にも広げていました。1889年5月28日付の価格表第1号(Price List of Supplies No. 1)には、音楽フォノグラム(musical phonograms)が6本入りまたは12本入りの箱で掲載されており、音楽シリンダーが販売・供給の対象として扱われていたことがわかります。

ただし、この時期の音楽フォノグラムは、後年の番号付きカタログから曲名を選んで注文する形式にはまだ達していませんでした。エジソン研究所で制作された音楽シリンダーは、地域会社のショールーム、公開実演、展示、フォノグラフ興行での再生に用いられ、フォノグラフの性能を聴衆に伝える役割を担っていました。1889年8月の録音リストに器楽独奏やバンド演奏が多く含まれることも、こうした実演・展示向けの需要と関係していたと考えられます。

この時期の音楽シリンダーは、一般家庭向けに整備された標準商品ではなく、フォノグラフ事業を支える実演用・展示用・流通用の音源でした。ノース・アメリカン・フォノグラフ社の流通体制は、録音を研究所内の試作にとどめず、地域会社や公開の場へ送り出す役割を持っていました。一方、1889年8月に録音された個々のシリンダーが、どの地域会社へ送られ、どの実演で再生されたかまでは資料上確認できません。

地域会社制度と公開実演

1889年8月の録音は、地域会社制度を通じてフォノグラフが各地へ広がり始めた時期の資料でもあります。ノース・アメリカン・フォノグラフ社は、エジソン式フォノグラフとグラフォフォンを地域会社へ貸与し、各地域で事務用途や実演用途に利用する仕組みを整えていました。1889年初頭には複数の地域会社が設立され、独占的な営業区域を割り当てられていましたが、機械の供給数は限られ、操作や保守にも難しさが残っていました。

そのため、地域会社の一部は、機械を単に事務用の録音・再生装置として貸し出すだけでなく、音楽、語り、笑話などを再生する公開実演に活用しました。公開実演では、聴衆がフォノグラフの録音・再生能力を直接体験できたため、音楽シリンダーは機械の性能を示すための重要な素材になりました。1889年8月の録音リストにバンド演奏、独奏、舞曲、行進曲が多く含まれることは、こうした実演向けの音源需要とも結びついています。

ニューヨーク州北部では、エドワード・ハワード・ロー(Edward Howard Low, 生没年不明)が1889年夏にフォノグラフとグラフォフォンの公開実演に関わり、現地での録音にも関係していたとされています。ただし、1889年8月の録音リストに残る各シリンダーが、特定の地域会社や特定の公開実演で再生されたことまでは資料上確認できません。地域会社制度と公開実演は、音楽シリンダーを研究所内の試作から、聴衆に向けた再生用音源へ広げる役割を果たしました。

バッファロー・イブニング・ニュースのフォノグラフ実演記事

1889年8月17日、バッファロー・イブニング・ニュース(Buffalo Evening News)は、新聞社内で行われたフォノグラフ実演を「ヴォイシズ・アンダイング(VOICES UNDYING.)」として報じました。記事は、人間の声や楽音が機械によって保存され、再び聞こえる形で再生されることを紹介しており、フォノグラフが一般読者にとってまだ新奇な技術として受け止められていたことを示しています。

この実演では、話し声だけでなく、歌や楽器演奏も録音・再生の対象になりました。記事には、バッファローのバンジョー奏者キャリー・コクラン(Carrie Cochrane, 生没年不明)の演奏が好意的に取り上げられ、「Drum Major Quickstep」や「Home, Sweet Home」に関する記述も確認できます。これは、1889年8月の時点で、エジソン研究所の台帳に残る音楽シリンダー制作とは別に、新聞社や地域の実演現場でも音楽録音が行われていたことを示す事例です。

この新聞記事で紹介された録音は、後年の市販レコードのように番号付きで流通したものではなく、現場実演の一部として作られた録音でした。保存状況、録音本数、個別の再生履歴は、参照資料上確認できません。それでも、この実演記事は、1889年8月のフォノグラフが研究所内の録音制作だけでなく、新聞社、地域社会、公開実演の場にも広がっていたことを伝えています。

エジソン・トーキング・ドールの録音準備

1889年8月には、エジソン・トーキング・ドール(Edison Talking Doll)のための録音準備も進められていました。エジソン・トーキング・ドールは、玩具人形の内部に小型フォノグラフを組み込み、童謡や詩の朗読を再生することを目指した製品でした。商業用の人形レコードは主に1890年2月–5月に作られたため、1889年8月の段階は完成品の大量録音ではなく、声の訓練と録音内容の準備にあたります。

1889年8月8日、チャールズ・バチェラー(Charles Batchelor, 1845–1910)は、エジソン・フォノグラフ・トイ・マニュファクチャリング社(Edison Phonograph Toy Manufacturing Company)に宛てて、玩具用シリンダーに吹き込む子どもの声の訓練を始めていると伝えました。さらに、人形に入れる詩や短い文句の一覧を求め、フォノグラフでは言い方が重要であるため、あらかじめ練習させたいとも述べています。この記録は、トーキング・ドール用録音が、単に子どもの声を録るだけではなく、発音、声質、朗読の仕方を含む準備作業として進められていたことを示しています。

この準備は、1889年8月の音楽シリンダー制作とは別系統の録音計画でしたが、エジソン研究所と関連事業会社が、音楽、実演、玩具、家庭向け娯楽をめぐる複数の録音用途を同時に模索していたことを示しています。エジソン・トーキング・ドールは1890年に販売されましたが、1889年8月の時点では、録音内容、声の選定、練習方法を整える段階にありました。

パリ万国博覧会とフォノグラフ展示

パリ万国博覧会は、1889年8月のフォノグラフ受容を考えるうえで重要な場でした。同博覧会ではエジソン式フォノグラフが展示され、録音された声や音楽を来場者に聞かせる機械として紹介されました。フォノグラフは事務用の口述・再生機器であると同時に、技術展示、娯楽、宣伝のための装置としても扱われていました。

ヴァンゲマンは、パリ万国博覧会と欧州滞在に関連して録音活動を行いました。1889年8月29日には、同博覧会の会場でTacianu Sistersによる「Russian Melody」が録音されています。この録音は、エジソン研究所の音楽シリンダー台帳に記録されたアメリカ国内の録音とは別に、博覧会場で行われた欧州録音として確認できます。

パリ万国博覧会におけるフォノグラフ展示は、録音技術が研究所や地域会社の範囲を超え、国際的な博覧会の来場者に向けて示されたことを意味します。1889年8月の録音史は、エジソン研究所での音楽シリンダー制作だけでなく、パリの博覧会場での実演・録音とも重なっていました。

ベルリナーのグラモフォンと1889年の欧州展開

1889年8月の録音史を考えるうえでは、エジソン式フォノグラフと並行して進んでいた平盤式録音の動きも重要です。エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)は、シリンダーではなく平盤に横振動の溝を刻むグラモフォン(gramophone)の開発を進め、1887年11月8日に関連するアメリカ合衆国特許を取得していました。1888年5月16日には、アメリカ合衆国(United States of America)フィラデルフィアのフランクリン協会(Franklin Institute)で公開実演を行い、録音を複製して再生する平盤式記録の可能性を示しました。

エミール・ベルリナーは1889年にヨーロッパへ渡り、同年11月にはベルリンでグラモフォンの実演を行いました。この動きは、1889年の録音技術がエジソン式シリンダーだけに限られず、平盤式の録音・複製技術も国際的な事業化へ向かっていたことを示しています。ただし、1889年8月にベルリナー式ディスクが商業発売されたことを確認できる資料はありません。初期の商業用小型ディスクと玩具型グラモフォンの展開は、カンマー・アンド・ラインハルト社(Kämmer & Reinhardt)との契約を経て、1890年以降に具体化したものとされています。

そのため、1889年8月の録音リストには、ベルリナー式グラモフォンの録音を加えません。この項目は、エジソン研究所の音楽シリンダー制作と同じ時期に、後のディスク録音産業につながる別系統の技術と事業構想が欧州で動き始めていたことを示す背景として位置づけます。

References