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1860年までの録音・音声記録

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1860年までの録音・音声記録

1850年代から1860年にかけて、エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル(Édouard-Léon Scott de Martinville, 1817–1879)は、フォノートグラフ(Phonautograph)を用いて、音の振動を紙上に記録する実験を進めました。これらは、後のフォノグラフ(Phonograph)のように録音時点で再生を目的としたものではなく、音の振動を視覚的な線として紙上に固定し、声、歌唱、朗読、楽器音、音階、発音、強弱、音色を観察するためのフォノートグラム(Phonautogram)でした。それでも、21世紀に入って一部が音として再生されるようになり、再生を目的とした商業録音以前に、人間の声や音楽的素材が機械的に記録されていたことを示す重要な資料として位置づけられています。

スコット・ド・マルタンヴィルは、1853年または1854年頃に、声と楽器音を固定しようとする最初期の実験を行ったとされています。1857年にはフォノートグラフの特許を取得し、音を紙上に記録する実験は、より体系的な音響研究へと発展しました。1859年には、ルドルフ・ケーニヒ(Rudolph Koenig, 1832–1901)との関係を通じて装置の改良が進み、フォノートグラフは、音を聴くための機械ではなく、音の形を測定し、比較し、保存するための実験装置としての性格を強めていきました。

1860年には、歌唱、朗読、発音練習、声の音階、宗教曲、オペラ・コミック由来の旋律など、多様な音がフォノートグラムとして記録されました。この年の記録には、音叉による時間基準が併記されたものがあり、後年の再生・解析にとって重要な手がかりになりました。なかでも1860年4月9日の「Au Clair de la Lune」は、現在までに再生・聴取可能になった最古級の人声記録として知られています。ただし、これらは現代的な意味での商業録音ではありません。音を商品として聴き返すためではなく、音の形を保存し、声や音楽を科学的に観察するために作られた記録でした。

同時期の世界では、政治、通信、経済、国際関係をめぐる大きな変化も相次いでいました。グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)とフランス第二帝政(French Second Empire)は、1860年にコブデン=シュヴァリエ条約(Cobden–Chevalier Treaty)を結び、通商関係の自由化を進めました。アメリカ合衆国(United States of America)ではポニー・エクスプレス(Pony Express)が運用を開始し、同年11月6日の大統領選挙でエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln, 1809–1865)が当選しました。12月20日にはサウスカロライナ州(South Carolina)が連邦離脱を宣言し、南北戦争へ向かう緊張が決定的になりました。日本では桜田門外の変で井伊直弼(1815–1860)が殺害され、江戸幕府(Tokugawa shogunate)をめぐる国内政治の緊張が表面化しました。フォノートグラムは、こうした変化の時代に、消えてしまう音を後世に残る記録として扱おうとした初期の試みでした。

1853年または1854年頃

1853年または1854年頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが、声とギターの音の振動を視覚的な線として固定する初期実験を行いました。この時期の記録は、後年のヘリカル記録とは異なり、平面上に音の痕跡を残す段階のものです。発話とギターの音を対象としたこの試みは、フォノートグラフ実験の出発点に近い記録として位置づけられます。

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premiers essais de fixation du sonÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1853年または1854年頃の出来事】
・クリミア戦争と日米和親条約
1853年10月には、クリミア戦争(Crimean War)が始まり、ヨーロッパと黒海周辺の国際秩序を揺るがす大規模な戦争へ発展しました。1854年3月31日には、マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry, 1794–1858)の来航を背景に、日米和親条約(Treaty of Peace and Amity between the United States of America and the Empire of Japan)が締結され、日本とアメリカ合衆国の正式な外交関係が始まりました。

1857年

1857年には、スコット・ド・マルタンヴィルによるフォノートグラフ実験が本格化しました。この年の記録には、平面上に音の痕跡を残す初期的な試みと、円筒に巻いた紙へらせん状に音の振動を記録する方式(ヘリカル記録)の両方が含まれています。記録対象も、人間の声、歌唱、コルネット、朗読、発音、音階、音色の比較などに広がり、音を視覚的な線として固定し、観察するための実験が急速に体系化していきました。1857年のフォノートグラムは、後の1860年の時間基準付き記録へつながる重要な段階として位置づけられます。

1857年初期

1857年初期には、スコット・ド・マルタンヴィルが、平面上に音の痕跡を残すフォノートグラムを作成しました。この時期の記録には、人間の声を離れた位置から記録しようとした「phonautographie de la voix humaine à distance」と、コルネット(cornet)の半音階を対象にした「cornet: gamme par demi-tones」が含まれます。これらは、後年の円筒に巻いた紙へのヘリカル記録とは異なり、フォノートグラフ(phonautograph)が音の振動を視覚的な線として固定し、声と楽器音を比較・観察するために使われ始めた段階を示しています。

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phonautographie de la voix humaine à distanceÉdouard-Léon Scott de Martinville
cornet: gamme par demi-tonesÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年初期の出来事】
・ドレッド・スコット対サンドフォード判決
1857年3月6日、アメリカ合衆国最高裁判所(Supreme Court of the United States)は、ドレッド・スコット対サンドフォード判決(Dred Scott v. Sandford)を下しました。この判決は、奴隷制と連邦領土をめぐる対立をさらに深め、アメリカ合衆国が南北戦争へ向かう過程で大きな政治的緊張を生みました。

7月

1857年7月には、スコット・ド・マルタンヴィルが「chant de la voix – changements de ton」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、後年まで残るスコット・ド・マルタンヴィルのフォノートグラムの中で、最初期のヘリカル記録として位置づけられます。記録対象は、声による歌唱または音高の変化とされていますが、具体的な旋律や曲名は資料上確認できません。また、1857年7月の記録であることは確認できますが、7月中の正確な作成日は確認できません。

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chant de la voix – changements de tonÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年7月の出来事】
・インド大反乱の拡大
1857年7月頃、インド大反乱(Indian Rebellion of 1857)は北インド各地で続いていました。イギリス東インド社(East India Company)の支配体制に対する反乱は、軍事、植民地支配、通信、行政をめぐる大きな危機となり、19世紀半ばの国際秩序にも強い影響を与えました。

8月

1857年8月には、スコット・ド・マルタンヴィルが「voix humaine – chant」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、人間の声による歌唱を対象としたもので、7月の「chant de la voix – changements de ton」に続く歌唱実験として位置づけられます。声の持続や音高の変化を視覚的な線として固定しようとする試みであり、1857年のフォノートグラフ実験が歌唱の観察へ広がっていたことを示しています。正確な作成日は確認できません。

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voix humaine – chantÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年8月の出来事】
・1857年恐慌の発端
1857年8月24日、アメリカ合衆国でオハイオ・ライフ・インシュアランス・アンド・トラスト社(Ohio Life Insurance and Trust Company)のニューヨーク支店が破綻し、1857年恐慌(Panic of 1857)が広がるきっかけになりました。金融不安は銀行、商業、鉄道投資に影響を及ぼし、19世紀半ばの経済成長が信用制度の不安定さと結びついていたことを示しました。

8月17日

1857年8月17日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「jeune jouvencelle」をフォノートグラムとして記録しました。この記録には、1857年8月17日の日付が記されており、現存するスコット・ド・マルタンヴィルのフォノートグラムの中でも、具体的な作成日を伴う重要な例として位置づけられます。記録対象は声による歌唱ですが、「jeune jouvencelle」が曲名、歌詞、主題のいずれを示すのかは確定していません。特定日付を伴う初期の歌唱フォノートグラムとして重要な記録です。

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Jeune JouvencelleÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年8月17日の出来事】
・1857年恐慌直前のアメリカ合衆国経済
1857年8月17日は、アメリカ合衆国で1857年恐慌が本格化する直前の時期にあたります。1週間後の8月24日には、オハイオ・ライフ・インシュアランス・アンド・トラスト社(Ohio Life Insurance and Trust Company)のニューヨーク支店破綻が表面化し、金融不安は銀行、商業、鉄道投資へ急速に広がりました。

8月–10月頃

1857年8月–10月頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが、歌唱、声の抑揚、木製管の振動、記録針の素材を対象に複数のフォノートグラムを作成しました。これらの記録では、人間の声だけでなく、声が膜や木製管に与える振動、剛毛の記録針による線の違いも観察対象になっています。声や素材の振動を視覚的な線として固定し、音の性質を比較しようとした実験群です。

【1857年8月–10月頃の出来事】
・金融不安と植民地反乱の同時進行
1857年8月–10月頃には、アメリカ合衆国の1857年恐慌と、インド大反乱が同時進行していました。金融、商業、鉄道投資をめぐる不安が広がる一方で、イギリス東インド社の支配体制も大きく揺らぎ、19世紀半ばの世界は経済と植民地支配の両面で不安定化していました。

10月頃

1857年10月頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが、声の音色、低い声、木製管の振動、カデンツ、強弱、叫び声と歌唱の違い、膜の反応を対象に複数のフォノートグラムを作成しました。これらの記録では、声の高さや旋律だけでなく、音の質感、発声の強さ、叫び声と歌唱の違い、膜や管がどのように振動するかが観察されています。フォノートグラフ実験が、歌唱の記録から音響現象の比較へ広がっていたことを示す記録群です。

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notes du médium tenues et vocalisantÉdouard-Léon Scott de Martinville
un son de voix graveÉdouard-Léon Scott de Martinville
tuyau de frêne (c)Édouard-Léon Scott de Martinville
cadencesÉdouard-Léon Scott de Martinville
mouvement de sforzendo sur chaque tonÉdouard-Léon Scott de Martinville
vocalises / hurlements et crisÉdouard-Léon Scott de Martinville
affollementÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年10月頃の出来事】
・1857年恐慌の拡大
1857年10月頃、アメリカ合衆国では1857年恐慌の影響が広がり、銀行、商業、鉄道投資をめぐる不安が深刻化していました。信用制度の動揺は、19世紀半ばの経済成長が金融市場の不安定さと結びついていたことを示し、都市社会にも大きな影響を与えました。

10月

1857年10月には、スコット・ド・マルタンヴィルが「notre père qui êtes aux cieux」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、主の祈り(Lord’s Prayer)を声で唱えたもので、歌唱ではなく発話の動きを視覚的な線として固定しようとした初期の試みです。声の高さや音色だけでなく、言葉を発する際の音の変化を観察する方向へ、フォノートグラフ実験が広がっていたことを示しています。

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notre père qui êtes aux cieuxÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年10月の出来事】
・シェフィールド・フットボール・クラブの創設
1857年10月24日、イングランド(England)でシェフィールド・フットボール・クラブ(Sheffield Football Club)が創設されました。このクラブは、近代サッカーが学校や地域の慣習からクラブ組織による競技へ発展していく過程を示す存在となり、19世紀後半のスポーツ文化の広がりを象徴する出来事になりました。

11月上旬頃

1857年11月上旬頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが「s’il faut qu’à ce rival (a)」と「s’il faut qu’à ce rival (b)」をフォノートグラムとして記録しました。これらは、ジャン=フランソワ・デュシス(Jean-François Ducis, 1733–1816)の『オテロ(Othello)』第4幕第2場に由来する台詞を声で読み上げた朗読系の記録です。歌唱ではなく、言葉の抑揚、強弱、声の流れを視覚的な線として固定しようとしたもので、フォノートグラフ実験が話し言葉や劇的な発声の観察へ広がっていたことを示しています。

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s’il faut qu’à ce rival (a)Édouard-Léon Scott de Martinville
s’il faut qu’à ce rival (b)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1857年11月上旬頃の出来事】
・インド大反乱とラクナウの戦闘
1857年11月上旬頃、インド大反乱の中で、ラクナウ(Lucknow)をめぐる戦闘が続いていました。イギリス東インド社の支配に対する反乱は、軍事、行政、植民地支配をめぐる大きな危機となり、19世紀半ばの国際情勢にも強い影響を与えました。

11月頃

1857年11月頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが、声の音階、音色、抑揚、音叉による振動数の確認を対象に複数のフォノートグラムを作成しました。「gamme de do à do」は声の音階を、「timbre de la voix」は声の音色を、「l’onde d’inflexion : vocalises」と「l’onde d’inflexion」は声の抑揚に伴う線の変化を扱う記録です。また、「diapason donnant 512 vibrations par seconde」は、音叉の振動を用いて音の振動数を確認しようとした実験として位置づけられます。フォノートグラフ実験が、声の記録から音響現象の測定と比較へ進んでいたことを示す記録群です。

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gamme de do à doÉdouard-Léon Scott de Martinville
timbre de la voixÉdouard-Léon Scott de Martinville
l’onde d’inflexion : vocalisesÉdouard-Léon Scott de Martinville
l’onde d’inflexionÉdouard-Léon Scott de Martinville
diapason donnant 512 vibrations par secondeÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年11月頃の出来事】
・1857年恐慌後の社会不安
1857年11月頃、アメリカ合衆国では1857年恐慌の影響が続き、銀行信用の収縮、商業不安、失業の拡大が社会問題になっていました。鉄道投資と金融市場の動揺は、19世紀半ばの経済成長が信用制度の不安定さと隣り合わせで進んでいたことを示しました。

11月25日

1857年11月25日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「conduit de plâtre」をフォノートグラムとして記録しました。この記録では、外耳道の曲線を模した石膏製の導管が用いられています。導管そのものの固有音を抑え、声の振動をより安定して膜へ伝えるための実験であり、フォノートグラフが声や歌の記録だけでなく、音を受け取る装置の材質や形状を検証するためにも使われていたことを示しています。1857年のフォノートグラムの中でも、具体的な日付を伴う重要な記録です。

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conduit de plâtreÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年11月25日の出来事】
・インド大反乱とラクナウからの撤退
1857年11月下旬、インド大反乱の中で、ラクナウをめぐる戦闘と撤退が続いていました。イギリス東インド社の支配に対する反乱は、軍事作戦だけでなく、通信、補給、都市支配のあり方にも大きな影響を与えました。

11月下旬–12月上旬頃

1857年11月下旬–12月上旬頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが「timbre du cornet à piston (a)」と「timbre du cornet à piston (b)」をフォノートグラムとして記録しました。これらは、コルネット(Cornet)の音色を視覚的な線として観察しようとした記録です。声の高さや抑揚だけでなく、楽器音の音色を比較・記録する方向へ、フォノートグラフ実験が広がっていたことを示しています。

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timbre du cornet à piston (a)Édouard-Léon Scott de Martinville
timbre du cornet à piston (b)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1857年11月下旬–12月上旬頃の出来事】
・第二次カーンプルの戦い
1857年11月19日–12月6日、インド大反乱の中で、第二次カーンプルの戦い(Second Battle of Cawnpore)が起こりました。カーンプル(Cawnpore, 現在のKanpur)をめぐる戦闘は、ラクナウ周辺の軍事状況とも結びつき、北インドにおける反乱の展開を左右する局面になりました。

1857年後半

1857年後半には、スコット・ド・マルタンヴィルが「cri de rugissement / chant」と「voix et cornet」をフォノートグラムとして記録しました。「cri de rugissement / chant」は、叫び声と歌唱の振動の違いを比較した記録です。歌唱では振動が規則的に続くのに対し、叫び声では振動が不規則になる点が観察されています。「voix et cornet」では、声とコルネットが同じスタイラス位置で比較され、声と楽器音の違いが視覚的な線として記録されています。これらは、フォノートグラフ実験が、声や楽器音を単独で記録する段階から、異なる音の性質を比較する段階へ進んでいたことを示しています。

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cri de rugissement / chantÉdouard-Léon Scott de Martinville
voix et cornetÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1857年後半の出来事】
・第二次アヘン戦争と広州攻撃
1857年12月、第二次アヘン戦争(Second Opium War)の中で、グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)とフランス第二帝政(French Second Empire)の連合軍は、清(Qing dynasty)の広州(Guangzhou)を攻撃しました。この戦闘は、東アジアにおける通商、外交、軍事力の関係を大きく揺さぶり、19世紀半ばの国際秩序の変化を示す出来事になりました。

1859年

1859年には、スコット・ド・マルタンヴィルが「étalonnage d’un son au moyen du chronomètre」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、声や楽器音そのものを観察するだけでなく、クロノメーターを用いて音の振動数を測定しようとした実験です。1857年のフォノートグラムが声、歌唱、朗読、楽器音、音色の比較を中心としていたのに対し、1859年の実験では、音の振動を時間の基準と結びつけて数える方向が明確になります。この試みは、1860年の時間基準付きフォノートグラムへつながる重要な段階です。

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Diapason at 435 HzÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1859年の出来事】
・キャリントン・イベント
1859年9月1日–2日、キャリントン・イベント(Carrington Event)と呼ばれる大規模な太陽嵐が発生しました。この現象では、オーロラが広い地域で観測され、電信網にも影響が出ました。音の振動を線として記録しようとしたフォノートグラフ実験と同じ時代に、自然現象を観測し、記録し、通信技術との関係で理解しようとする科学的関心も広がっていました。

1859年中頃–後半または1860年

1859年中頃–後半または1860年には、スコット・ド・マルタンヴィルが「hommage à m. le professeur regnault」と「divers mouvements inscrits automatiquement」をフォノートグラムとして記録しました。これらは、声の倍音、基音と倍音の関係、音叉による同時記録、複数の声、母音、衝撃音などを対象とした実験断片です。「hommage à m. le professeur regnault」は、アンリ=ヴィクトール・ルニョー(Henri-Victor Regnault, 1810–1878)へ提示された資料で、音叉を用いて声の振動を時間基準とともに記録する方向が明確になっています。「divers mouvements inscrits automatiquement」では、声だけでなく、複数声や物体への衝撃による振動も扱われています。これらの記録は、フォノートグラフ実験が、声や楽器音の観察から、音の成分、時間、振動の比較へ進んでいたことを示しています。

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hommage à m. le professeur regnault (fragments)Édouard-Léon Scott de Martinville
divers mouvements inscrits automatiquement (fragments)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1859年中頃–後半または1860年の出来事】
・『種の起源』の刊行
1859年11月24日、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809–1882)の『種の起源(On the Origin of Species)』初版が刊行されました。この著作は、生物の多様性と変化を観察、比較、説明する新しい枠組みを提示し、19世紀の自然科学に大きな影響を与えました。音の振動を視覚的に記録しようとしたフォノートグラフ実験と同じ時代に、自然現象を記録と比較によって理解しようとする科学的関心が広がっていました。

1860年

1860年には、スコット・ド・マルタンヴィルのフォノートグラフ実験が、時間基準付きのフォノートグラムへ大きく進展しました。この年の記録では、音叉を用いて声や歌唱の振動を同時に記録し、音の高さ、抑揚、倍音、発音、声と楽器音の違いをより細かく観察しようとしています。1860年4月9日の「au clair de la lune (a)」は、歌唱と音叉の時間基準を同時に残した重要な人声記録です。その後も、朗読、声の音階、発音練習、宗教曲、オペラ・コミック由来の旋律などが記録され、さらに耳小骨や卵円窓を模した装置を使って、音がどのように膜や固体を通じて伝わるかを検証する段階へ進みました。これらのフォノートグラムは、音を商品として再生するための商業録音ではなく、声と音楽を視覚的な線として保存し、測定し、比較するための実験記録でした。

4月

1860年4月には、スコット・ド・マルタンヴィルが、歌唱、朗読、声の音階、和音、倍音、発音を対象に、複数のフォノートグラムを作成しました。この月の記録には、音叉による時間基準を伴う歌唱記録、演劇的な朗読、声の音階、発音の分解、耳の構造を意識した装置実験が含まれます。1860年4月のフォノートグラムは、音を視覚的な線として残すだけでなく、声の高さ、響き、抑揚、発音、時間基準を比較する方向へ、フォノートグラフ実験が進んでいたことを示しています。

4月9日

1860年4月9日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「au clair de la lune (a)」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、歌唱と音叉による時間基準を同時に記録した重要な人声記録です。声の振動を視覚的な線として残すだけでなく、音の高さや時間の基準をあわせて観察しようとしたもので、フォノートグラフ実験が測定性を強めていたことを示しています。

【1860年4月9日の出来事】
・ポニー・エクスプレスの最初の東発便がソルトレイクシティに到着
1860年4月9日、アメリカ合衆国のポニー・エクスプレスで、東から出発した最初の騎手がソルトレイクシティ(Salt Lake City)に到着しました。馬による長距離郵便輸送は、電信網が大陸横断で整備される前の時期に、東西の情報伝達を速めるための試みでした。音の振動を紙上に記録しようとしたフォノートグラフ実験と同じ時代に、遠隔地へ情報を速く届けるための通信上の試みも進んでいました。

4月17日

1860年4月17日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「au clair de la lune (b)」と「s’il faut qu’à ce rival (c)」をフォノートグラムとして記録しました。「au clair de la lune (b)」は、歌唱と音叉による時間基準を同時に記録したもので、4月9日の「au clair de la lune (a)」に続く歌唱実験です。「s’il faut qu’à ce rival (c)」は、1857年にも記録された同じ台詞を声で読み上げた朗読系の記録です。この日の2件は、歌唱と朗読の両方で、声の高さ、抑揚、時間基準を視覚的な線として比較しようとした記録です。

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Au Clair de la Lune (b)Édouard-Léon Scott de Martinville
s’il faut qu’à ce rival (c)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1860年4月17日の出来事】
・トム・セイヤーズとジョン・カメル・ヒーナンの試合
1860年4月17日、イングランドのファーンバラ(Farnborough)で、トム・セイヤーズ(Tom Sayers, 1826–1865)とジョン・カメル・ヒーナン(John Camel Heenan, 1834–1873)のベアナックル・ボクシング試合が行われました。試合は長時間に及び、観客がリングへ入ったことで引き分けとなりました。この出来事は、19世紀の大衆スポーツが国境を越えた興行として注目を集めていたことを示しています。

4月18日

1860年4月18日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「gamme de la voix (a)」「d’accord parfait」「la même déclamation」「épellation du mot rira」をフォノートグラムとして記録しました。「gamme de la voix (a)」は、声の音階を音叉による時間基準とともに記録したものです。「d’accord parfait」は完全和音に関する記録で、「la même déclamation」は朗読に含まれる倍音を示すための記録です。ただし、「la même déclamation」が何と同じ朗読を指すのかは確定していません。「épellation du mot rira」では、「rira」という語を分解し、喉奥で発音されるr音と母音の関係が観察されています。この日の記録は、声を旋律や言葉として残すだけでなく、音階、和音、倍音、子音と母音の結びつきを視覚的な線として比較しようとした実験群です。

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Gamme de la Voix (a)Édouard-Léon Scott de Martinville
D’accord parfaitÉdouard-Léon Scott de Martinville
La même déclamationÉdouard-Léon Scott de Martinville
Épellation du mot riraÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1860年4月18日の出来事】
・ポニー・エクスプレスの危険な郵便輸送
1860年4月18日、アメリカ合衆国で、サンフランシスコ(San Francisco)からセント・ジョセフ(Saint Joseph)へ向かったポニー・エクスプレスの騎手が、行程中に落馬事故で死亡しました。高速の郵便輸送は、遠隔地の情報伝達を速める一方で、夜間走行、悪路、長距離移動を伴う危険な仕事でもありました。音の振動を紙上に記録しようとしたフォノートグラフ実験と同じ時代に、情報をより速く届けるための通信上の試みも、危険と隣り合わせで進められていました。

4月19日

1860年4月19日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「le jour nê pa plus pur ke le fon de mon keur」をフォノートグラムとして記録しました。これは、ジャン・ラシーヌ(Jean Racine, 1639–1699)の『フェードル(Phèdre)』第4幕第2場に由来する一節「Le jour n’est pas plus pur que le fond de mon cœur」を、発音に近い綴りで記録したものです。このフォノートグラムには、一節を一度通して読み上げたあと、二度目に途中まで繰り返した痕跡が残されています。単音節語が連続するこの一節は、声の流れ、音節の切れ目、発話のリズムを視覚的な線として観察するために適した素材として使われました。

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le jour nê pa plus pur ke le fon de mon keurÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1860年4月19日の出来事】
・ウィリアム・ペンフロ・ローランズの誕生
1860年4月19日、ウェールズ(Wales)の作曲家・教会音楽家であるウィリアム・ペンフロ・ローランズ(William Penfro Rowlands, 1860–1937)が生まれました。ローランズは後に、賛美歌旋律「ブラインウェルン(BLAENWERN)」を作曲しました。この旋律は、20世紀以降、英語圏の賛美歌で広く用いられるようになり、19世紀に生まれた音楽家の作品が、後の礼拝音楽の中で長く歌い継がれていく例になりました。

4月20日

1860年4月20日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「au clair de la lune (c)」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、4月9日と4月17日に続く「au clair de la lune」の記録ですが、単なる再記録ではありません。記録上には、鼓膜の自然な傾き、卵円窓、ゴムに関する記述があり、耳の構造を意識した装置構成で歌唱を記録しようとした実験として位置づけられます。声の高さや時間基準だけでなく、音色や音の伝わり方を視覚的な線として捉えようとする試みでした。

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Au Clair de la Lune (c)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1860年4月20日の出来事】
・スミソニアン協会による観測協力依頼
1860年4月20日、スミソニアン協会(Smithsonian Institution)のジョセフ・ヘンリー(Joseph Henry, 1797–1878)は、ハドソン湾会社(Hudson’s Bay Company)の職員に対し、ハドソン湾地域(Hudson Bay Territory)での気象・気候観測と自然史資料の収集への協力を求める依頼文を送りました。この依頼文は、北米北部の気候に関する記録を集めるとともに、鳥類、魚類、昆虫などの自然史資料を収集することを目的としていました。音の振動を紙上に記録しようとしたフォノートグラフ実験と同じ時代に、自然現象を観測し、記録し、比較するための仕組みも広がっていました。

4月–5月頃

1860年4月–5月頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが「chi crederia che sotto forme umane」をフォノートグラムとして記録しました。これは、トルクァート・タッソ(Torquato Tasso, 1544–1595)の『アミンタ(Aminta)』冒頭に由来するイタリア語の一節を用いた記録です。この実験では、声の高さや旋律ではなく、言葉の強勢が音高としてどのように現れるかが観察されました。記録には、ルニョーの求めに応じた音高アクセントの研究であることが示されています。また、人工鼓膜の膜を複数の弾性層で構成する工夫も記されており、フォノートグラフ実験が発話のリズム、音高アクセント、耳の構造を模した装置の検証へ広がっていたことを示しています。

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Opening lines from Tasso’s AmintaÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1860年4月–5月頃の出来事】
・千人隊遠征の開始
1860年5月、ジュゼッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi, 1807–1882)は、志願兵を率いて千人隊遠征(Expedition of the Thousand)を開始しました。この遠征は、シチリア島(Sicily)と南イタリアの政治状況を大きく動かし、両シチリア王国(Kingdom of the Two Sicilies)の崩壊とイタリア統一へつながる重要な出来事になりました。音の振動を記録し、比較しようとしたフォノートグラフ実験と同じ時期に、ヨーロッパでは国家統一をめぐる政治的変化も急速に進んでいました。

5月

1860年5月には、スコット・ド・マルタンヴィルのフォノートグラフ実験が、声の音階、音叉による時間基準、倍音、人工鼓膜の膜処理を結びつける方向へ進みました。4月の記録で試みられた歌唱、朗読、発音、耳の構造を意識した装置実験は、5月の記録でさらに測定性を強めています。声を旋律として残すだけでなく、声の振動を時間基準と照合し、倍音や膜の反応を視覚的な線として観察しようとする段階に入っていました。

5月17日

1860年5月17日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「Gamme de la Voix (b)」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、声の音階を音叉による時間基準とともに記録したものです。5月17日の記録では、声の主振動の中に倍音が示され、ルニョーの指示に基づいて処理された膜が用いられています。また、余白には、人工鼓膜の膜を中心で固定し、音叉を同時に行間へ記録したことが記されています。4月18日の「Gamme de la Voix (a)」に続き、声の高さだけでなく、倍音、時間基準、膜の反応をあわせて観察しようとした記録です。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Gamme de la Voix (b)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1860年5月17日の出来事】
・テーエスファウ・ミュンヘン・フォン・1860の創設
1860年5月17日、ミュンヘン(Munich)でテーエスファウ・ミュンヘン・フォン・1860(TSV München von 1860)が創設されました。後にサッカー部門でも知られるようになる団体ですが、創設時点では体操・スポーツ団体として始まりました。19世紀半ばには、音や自然現象を記録・観察する科学的な試みが進む一方で、都市社会では身体活動やクラブ組織を通じた新しい余暇文化も広がっていました。

9月

1860年9月には、スコット・ド・マルタンヴィルのフォノートグラフ実験が、耳の構造を意識した装置構成と、音叉による時間基準を組み合わせる方向へさらに進みました。この月の記録では、歌唱、声の音階、宗教曲、オペラ・コミック由来の旋律が用いられています。4月から5月にかけて試みられた、声の高さ、倍音、人工鼓膜、卵円窓をめぐる実験は、9月には耳小骨や鐙骨の底板を意識した記録へ広がりました。声を視覚的な線として保存するだけでなく、耳が音を受け取り、振動を伝える仕組みを装置上で再現しようとする段階に入っていました。

9月1日

1860年9月1日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「Et Incarnatus Est de Chérubini」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、ルイジ・ケルビーニ(Luigi Cherubini, 1760–1842)の「ニ短調荘厳ミサ曲(Missa Solemnis in D minor)」に含まれる「Et Incarnatus Est」に由来するとみられる歌唱記録です。記録上には、声の歌唱を鐙骨の底板によって記録し、卵円窓に固定節を作ることが示されています。5月までの人工鼓膜や膜処理をめぐる実験を受けて、9月1日の記録では、耳小骨の連鎖を意識した装置構成によって、声の振動を視覚的な線として捉えようとする段階へ進んでいました。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Et Incarnatus Est de ChérubiniÉdouard-Léon Scott de Martinville

【1860年9月1日の出来事】
・コヒマラマ会議の議事録掲載
1860年9月1日、ニュージーランド植民地(Colony of New Zealand)の二言語新聞「マオリ・メッセンジャー:テ・カレレ・マオリ(Maori Messenger : Te Karere Maori)」に、オークランド(Auckland)近郊で開かれたコヒマラマ会議(Kohimarama Conference)の議事録が掲載されました。この会議は、マオリ首長と植民地政府の関係をめぐる重要な会議であり、当時の政治的対話が新聞紙面に記録された例です。音の振動を紙上に残そうとしたフォノートグラフ実験と同じ時期に、政治的な発言や会議の内容も、後に参照できる文字記録として残されていました。

9月上旬頃

1860年9月上旬頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが「Gamme de la Voix (c)」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、声の音階を卵円窓と鐙骨の底板を意識した装置構成で記録したものです。9月1日の「Et Incarnatus Est de Chérubini」と同じ流れにあり、音叉を行間に同時記録しながら、声の高さを視覚的な線として捉えようとしています。4月18日と5月17日の声の音階記録に続き、この記録では、声の振動を耳小骨の連鎖を模した装置構成と結びつけて観察する方向がさらに明確になっています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Gamme de la Voix (c)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1860年9月上旬頃の出来事】
・レディ・エルギン号の沈没
1860年9月8日、アメリカ合衆国のミシガン湖(Lake Michigan)で、レディ・エルギン号(Lady Elgin)がスクーナーのオーガスタ号(Augusta)と衝突し、沈没しました。この事故では、およそ300人規模の犠牲者が出たとされています。19世紀半ばには、人や情報の移動が活発になる一方で、湖上交通や長距離移動には大きな危険も伴っていました。

9月15日

1860年9月15日には、スコット・ド・マルタンヴィルが「Vole, Petite Abeille (a)」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、ヴィクトル・マッセ(Victor Massé, 1822–1884)のオペラ・コミック『レーヌ・トパーズ(La Reine Topaze)』に含まれる「ラ・シャンソン・ド・ラベイユ(La Chanson de l’Abeille)」の旋律を用いた歌唱記録です。記録上には、単純な膜と、膜を外した鐙骨の底板による記録が示され、音叉も行間に同時記録されています。9月1日と9月上旬頃の記録で試みられた耳小骨を意識した装置実験を受けて、この記録では、歌唱を人工耳小骨の末端でどのように線として捉えるかが試みられていました。

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Vole, Petite Abeille (a)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1860年9月15日の出来事】
・ハーパーズ・ウィークリーにセントラル・パークの版画が掲載
1860年9月15日、アメリカ合衆国の雑誌ハーパーズ・ウィークリー(Harper’s Weekly)に、ウィンスロー・ホーマー(Winslow Homer, 1836–1910)によるセントラル・パーク(Central Park)の版画が掲載されました。この作品は、ニューヨーク市(New York City)の都市公園を馬車で行き交う人々の姿として描いたものです。音の振動を紙上に残そうとしたフォノートグラフ実験と同じ時期に、都市の風景や余暇文化も、新聞・雑誌の版画によって記録されていました。

9月中旬–下旬頃

1860年9月中旬–下旬頃には、スコット・ド・マルタンヴィルが「Vole, Petite Abeille (b)」をフォノートグラムとして記録しました。この記録は、9月15日の「Vole, Petite Abeille (a)」と同じ旋律を用いた歌唱記録です。9月15日の記録では、膜を外した鐙骨の底板による記録が試みられていましたが、この記録では、耳小骨の連鎖の末端にある鐙骨の底板、計測用音叉、増幅用スタイラスが用いられています。鐙骨の動きは弱いため、増幅用スタイラスによってその動きを記録可能な大きさにしようとした実験です。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Vole, Petite Abeille (b)Édouard-Léon Scott de Martinville

【1860年9月中旬–下旬頃の出来事】
・カステルフィダルドの戦い
1860年9月18日、サルデーニャ王国(Kingdom of Sardinia)軍と教皇領(Papal States)軍が、カステルフィダルド(Castelfidardo)で戦いました。この戦いはサルデーニャ王国側の勝利となり、イタリア統一へ向かう政治的・軍事的な流れを大きく進めました。音の振動を装置で捉えようとする実験が進む一方で、ヨーロッパでは国家の枠組みをめぐる大きな変化も進行していました。

References