1899年12月に録音された音楽

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1899年12月に録音された音楽

1899年12月は、帝国主義的な勢力圏調整と植民地戦争が同時進行した月でした。12月2日、サモア諸島に関するアメリカ合衆国・ドイツ帝国・グレートブリテン及びアイルランド連合王国間条約(Convention between the United States, Germany, and Great Britain to adjust amicably the questions between the three Governments in respect to the Samoan group of islands)がワシントンで署名され、サモアの帰属問題を三国間で整理する枠組みが確定します。同日、フィリピン=アメリカ戦争(Philippine–American War)ではティラド峠の戦い(Battle of Tirad Pass)が起き、グレゴリオ・デル・ピラール(Gregorio del Pilar, 1875–1899)がエミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo, 1869–1964)の退却を援護して戦死しました。南部アフリカでは第二次ボーア戦争(Second Boer War)の「ブラック・ウィーク」として、ストームバーグの戦い(Battle of Stormberg、12月10日)、マゲルスフォンテーンの戦い(Battle of Magersfontein、12月11日)、コレンソの戦い(Battle of Colenso、12月15日)でイギリス側が続けて苦戦し、12月18日にはフレデリック・スレイ・ロバーツ(Frederick Sleigh Roberts, 1832–1914)が南部アフリカの総司令官に任命されます。国際法の面では、ハーグ平和会議最終議定書(Final Act of the Hague Peace Conference, 1899)が1899年12月31日まで署名可能と定めた期限を迎えました。文化面では、のちに英国演劇界で大きな存在となるノエル・カワード(Noël Coward, 1899–1973)が12月16日に生まれています。

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1899年12月の録音に関する情報のまとめ

1899年12月時点の録音(およびトーキングマシン産業)の動向は、業界誌ザ・フォノスコープ(The Phonoscope)の1899年12月号(Vol. III, No. 12)から具体的に確認できます。同号は、アメリカン・グラフォフォン・カンパニー(American Graphophone Company)が株主向けに公表した報告(対象期間:1893年5月1日–1899年9月30日)を紹介し、コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)との「実質的な統合」や、販売拠点の拡大、欧州での録音・ブランク供給体制などに言及しています。また、同号には「トーキングマシン用の新譜レコード」欄が設けられ、主要メーカーから送付されたリストを基に新譜情報を集約する編集方針が示されています。広告面では、シリンダー系の供給だけでなく、ディスク式トーキングマシンを含む製品が併売されていること、さらに特許訴訟をめぐる不確実性が市場の関心事になっていることも読み取れます。

アメリカン・グラフォフォン・カンパニーとコロンビア・フォノグラフ・カンパニーの事業報告(1893年5月1日–1899年9月30日)

ザ・フォノスコープ(The Phonoscope)1899年12月号は、アメリカン・グラフォフォン・カンパニー(American Graphophone Company)の株主向け報告(1893年5月1日–1899年9月30日)を紹介し、1895年にコロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)と「実質的な統合」が行われ、前者が製造、後者が販売(流通)を担う形になったと述べています。販売拠点の拡大(1890年代後半の各都市展開)に加え、フランスおよびドイツでのレコード製造拠点、パリ近郊でのブランク・シリンダー生産工場の設置にも言及しており、1899年末時点での国際展開を裏づける一次記述になっています。

「トーキングマシン用の新譜レコード」欄の設置

ザ・フォノスコープ(The Phonoscope)1899年12月号には「トーキングマシン用の新譜レコード」欄があり、「アメリカ合衆国の主要トーキングマシン会社から送付されたリストをもとに、新譜レコードの一覧を編纂した」とする編集方針が明記されています。同号は同時に「最新のポピュラー・ソング」欄も置いており、録音物の新譜情報と、楽曲の流行情報を並走して扱う誌面構成が確認できます。

ディスク式トーキングマシン広告(ヴィタフォン)

ザ・フォノスコープ(The Phonoscope)1899年12月号の広告には、アメリカン・トーキング・マシン・カンパニー(American Talking Machine Co.)が「ヴィタフォン・トゥウェンティース・センチュリー・ディスク・トーキング・マシン(Vitaphone 20th Century Disk Talking Machine)」を掲出し、ディスク式機械が市場で明確に販売されていたことが確認できます。広告は価格(本体一式15ドル)や「レッド・ディスク・レコード(Red Disk Records)」同梱を示しており、1899年末の段階で、ディスク式の製品がカタログ的に流通していた状況を具体的に示しています(ただし、広告文は販売側の主張であり、性能評価そのものを裏づける資料ではありません)。

特許訴訟をめぐる「Wants and For Sale」欄

ザ・フォノスコープ(The Phonoscope)1899年12月号の「Wants and For Sale」欄には、アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(U. S. Phonograph Co.)、ベルリナー・グラモフォン・カンパニー(Berliner Gramophone Co.)、ナショナル・グラモフォン・カンパニー(National Gramophone Co.)などを名指しし、特許訴訟の勝敗に関する賭け(bet)を売りに出す記載が掲載されています。これは、当時の市場参加者にとって、特許係争が事業リスクとして日常的に意識されていたことを示す材料になります(ただし、当該欄は個人による売買広告であり、訴訟の実態や帰趨を直接証明する一次資料ではありません)。