1918年3月に録音された音楽
1918年3月は、第一次世界大戦の帰趨と各国の制度再編が同時に進んだ月でした。3月3日にはブレスト=リトフスク条約(Treaty of Brest-Litovsk)が結ばれ、旧ロシア帝国領の広い範囲をめぐる東欧秩序が大きく揺れました。12日にはウラジーミル・イリイチ・レーニン(Vladimir Ilyich Lenin, 1870–1924)率いる政府がペトログラードからモスクワへ移り、革命後の国家中枢が再配置されました。19日、アメリカ合衆国では標準時法(Standard Time Act of 1918)が成立し、標準時制度と夏時間の運用が連邦法として整えられました。21日にはドイツ帝国が西部戦線でミヒャエル作戦(Operation Michael)を開始し、戦局は再び激しく動きました。アメリカ合衆国のキャンプ・ファンストン(Camp Funston)では3月に大規模なインフルエンザ様疾患が確認され、のちの世界的流行の初期段階として位置づけられています。23日にはドイツ帝国がリトアニアを承認し、25日にはクロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862–1918)が死去して、政治と文化の両面で大きな節目となりました。
この月の確認されている録音:0曲
1918年3月の録音に関する情報のまとめ
1918年3月の録音関連資料では、戦時色の濃い歌や描写盤と、都市娯楽向けのダンス曲・流行歌が並行して準備されていたことが確認できます。資料上、トーマス・アルバ・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では3月上旬から下旬にかけて実際の録音日が残っており、戦時歌、慰問歌、描写盤、フォックス・トロットが同月内に並んでいました。一方、企業活動としては、アメリカン・グラフォフォン社(American Graphophone Company)の再編、エオリアン社(Aeolian Co.)によるヴォカリオン(Vocalion)の流通拠点整備、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)の新再生機構投入が確認できます。したがって1918年3月は、録音制作と販売・再生機構の両面で動きが見える月です。
エジソン
トーマス・アルバ・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)については、公開ディスコグラフィで1918年3月4日、3月5日、3月7日、3月15日、3月21日の録音が確認できます。内容は、ジョン・ジェイ・キンメル(John J. Kimmel, 1866–1942)による行進曲、「Bing! Bang! Bing ’em on the Rhine」のような戦時歌、「Each Stitch Is a Thought of You, Dear」のような慰問歌、「A Submarine Attack — Descriptive」のような描写盤、さらに「The Tickle Toe — Fox Trot」のようなダンス曲までを含んでいました。1918年3月の同社は、戦時宣伝と大衆娯楽の双方に向けた録音を同時進行で準備していたことが資料上明瞭です。
コロムビア
アメリカン・グラフォフォン社(American Graphophone Company)は、会社史資料では1918年3月にコロムビア・グラフォフォン製造会社(Columbia Graphophone Manufacturing Company)へ再編されたとされています。別資料でも、1918年3月まではアメリカン・グラフォフォン社名義、1918年4月以降はコロムビア・グラフォフォン製造会社名義へ切り替わっていたことが確認できます。したがって1918年3月のコロムビア系では、新譜そのものよりも、製造と販売の役割整理を伴う企業再編が重要な動きでした。
- https://www.radiomuseum.org/dsp_hersteller_detail.cfm?company_id=2179
- https://catalog.hathitrust.org/Record/011450843
エオリアン/ヴォカリオン
『ザ・トーキング・マシン・ワールド(The Talking Machine World)』1918年3月号は、エオリアン社(Aeolian Co.)が3月1日にセントルイスでヴォカリオン(Vocalion)の配給拠点を設けたことを報じています。記事見出しでも、セントルイスにおけるヴォカリオンの進展と配給拠点設置が主題として掲げられており、同社が中西部流通を強化していたことがわかります。これは録音実施そのものではありませんが、1918年3月に確認できる明確な企業活動です。
ブランズウィック
同じく『ザ・トーキング・マシン・ワールド(The Talking Machine World)』1918年3月号では、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)の「ウルトナ・サウンドボックス」が新たに業界向けに投入されたものとして紹介されています。見出しでは、各種レコードを再生する新方式であることが前面に出されており、1918年3月の同社がソフトの供給だけでなく、再生互換性そのものを商品力として打ち出していたことが確認できます。戦時下の市場でも、どの形式を再生できるかは重要な競争要素でした。
