1889年3月の録音・音声記録
1889年3月は、政治、災害、通信技術、建築、スポーツの動きが重なった月でした。アメリカ合衆国ではベンジャミン・ハリソン(Benjamin Harrison, 1833–1901)が大統領に就任し、ベーリング海のオットセイ漁と毛皮動物保護をめぐる規制が布告されました。エチオピア帝国ではヨハネス4世(Yohannes IV, 1831–1889)が死去し、サモアでは3月15日–16日にアピア港暴風雨が発生しました。通信技術では3月12日に自動電話交換機(Automatic telephone-exchange)の特許が出願され、イギリスではシェフィールド・ユナイテッド・フットボール・クラブ(Sheffield United Football Club)が創設されました。フランスでは3月31日にエッフェル塔(Eiffel Tower)が完成し、同年のパリ万国博覧会(Exposition Universelle, 1889)を象徴する構造物となりました。
この月に関連する音楽録音としては、1889年3月頃にニュージャージー州ウェスト・オレンジまたはその近郊で録音された『The Fifth Regiment March』が確認できます。資料上の録音日は “c. March 1889” であり、正確な日付は確認できません。演奏はイスラーズ・オーケストラ(Issler’s Orchestra)、録音はウォルター・H・ミラー(Walter H. Miller, 生没年不明)です。この録音は、1888年–1889年のエジソン展示録音(Edison Exhibition Recordings)の一部として扱われる初期フォノグラフ録音です。
この月の確認されている録音:4件
3月24日頃(3曲)
1889年3月25日付のニュー・ヘイブン・ニュース掲載記事 “Concert Without Voices” では、記事中で「前日」にエジソン研究所で録音されたものとして、ニューヨークのコートニー四重唱団による歌唱、吹奏楽の選曲、コルネット独奏が紹介されています。記事掲載日からは1889年3月24日頃の録音と読めますが、資料上、正確な録音日は確定できません。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| N/A(歌唱) | Courtney Quartet | ||
| N/A(吹奏楽の選曲) | N/A | ||
| N/A(コルネット独奏) | N/A |
【1889年3月24日頃の出来事】
・ジョン・ブライトの死去
イギリスの政治家ジョン・ブライト(John Bright, 1811–1889)がロッチデールで死去しました。ジョン・ブライトは、反穀物法同盟(Anti-Corn Law League)の共同創設者のひとりで、自由貿易、議会改革、宗教的自由をめぐる運動で知られました。
3月頃(1曲)
1889年3月頃には、ニュージャージー州ウェスト・オレンジまたはその近郊で『The Fifth Regiment March』が録音されたとされています。資料上の録音日は “c. March 1889” であり、正確な日付は確認できません。演奏はイスラーズ・オーケストラ、録音はウォルター・H・ミラーです。所蔵資料番号 EDIS 564 は確認できますが、これは所蔵機関側の管理番号であり、販売用カタログ番号ではありません。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| Fifth Regiment March | Issler’s Orchestra |
【1889年3月頃の出来事】
・オクラホマ未割当地開放の布告
ハリソン大統領は、インディアン準州(Indian Territory)の一部である未割当地(Unassigned Lands)を、同年4月22日正午から入植に開く布告を出しました。この布告は、翌月に大規模な土地取得競争として知られるオクラホマ・ランド・ラッシュ(Oklahoma Land Rush)へつながりました。
The Fifth Regiment Marchの録音
『The Fifth Regiment March』は、1889年3月頃に録音された初期フォノグラフ録音です。録音場所は、資料上、ニュージャージー州ウェスト・オレンジまたはその近郊とされています。録音を行ったのはウォルター・H・ミラー、演奏はイスラーズ・オーケストラです。
この録音は、エジソン研究所(Edison Laboratory)で進められていた改良型フォノグラフの実演・展示用録音のひとつとして位置づけられます。曲名は行進曲を示していますが、資料では “Goodnight Ladies”“Merrily We Roll Along”“Some Folks Do” など、当時の流行曲を含むメドレーとして説明されています。
初期フォノグラフでは、楽器ごとの録音適性に差がありました。この録音でも、金管楽器、フルート、ピッコロは比較的よく捉えられた一方、打楽器の音は自然な音色としては残りにくかったことが指摘されています。『The Fifth Regiment March』は、1889年3月頃の単独の音楽録音であると同時に、実験室内の音響実験から1890年代の商業録音へ向かう過渡期を示す録音です。
Edison exhibition recordingsとの関係
『The Fifth Regiment March』は、1888年–1889年に録音されたエジソン展示録音(Edison Exhibition Recordings)の1本です。アメリカ合衆国議会図書館(Library of Congress)の全米録音資料登録簿(National Recording Registry)では、『Around the World on the Phonograph』、『The Pattison Waltz』、『Fifth Regiment March』の3本が、初期フォノグラフの重要な録音としてまとめられています。
『Around the World on the Phonograph』は、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)がジェイムズ・G・ブレイン(James G. Blaine, 1830–1893)に向けて吹き込んだ音声書簡です。『The Pattison Waltz』は、1889年2月25日に録音されたエフィー・スチュワート(Effie Stewart, 生没年不明)の歌唱録音です。『The Fifth Regiment March』は、1889年3月頃に録音されたイスラーズ・オーケストラの器楽録音です。
この3本は、実験室内での録音・再生実験が、1890年代の商業録音へつながっていく過程を示しています。音声、歌唱、器楽をそれぞれ記録した一連の録音として見ることで、『The Fifth Regiment March』は単独の行進曲録音にとどまらず、初期フォノグラフが音楽再生装置として紹介されていく流れの中に置くことができます。
The Fifth Regiment Marchの保存と資料伝来
『The Fifth Regiment March』を含むエジソン展示録音は、早い時期から歴史的価値を認識されていました。これらのシリンダーは、録音に用いられたレコーダー(recorder)とリプロデューサー(reproducer)とともに、ガラスと木のケースに収められて保存されました。
この録音媒体は、白色ワックス・シリンダー(white wax cylinder)と呼ばれた媒体でしたが、資料上は黄色パラフィン(yellow paraffin)を主体とするものとして説明されています。これは、1890年代以降に広く商業化されたブラウン・ワックス・シリンダー(brown wax cylinder)より前の段階に属する録音媒体であり、改良型フォノグラフの実演・展示用録音としての性格を持っています。
その後、エジソン展示録音はトーマス・エジソン国立歴史公園(Thomas Edison National Historical Park)で保管される資料となりました。『The Fifth Regiment March』は、1889年3月頃の音楽録音であるだけでなく、初期フォノグラフ録音がどのように保存され、後世に伝えられたかを示す資料でもあります。
1889年3月の録音産業
1889年3月の録音産業では、エジソンの改良型フォノグラフを実際に運用するための準備、実演、技術紹介が進んでいました。ノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Co.)の地域会社に関する書簡からは、メトロポリタン・フォノグラフ社(Metropolitan Phonograph Co.)のオペレーター訓練計画や、オハイオ・フォノグラフ社(Ohio Phonograph Co.)による新しいフォノグラフの機構習得をめぐる動きが確認できます。
同じ月には、エジソン研究所での改良型フォノグラフ実演を伝えるニュー・ヘイブン・ニュース(New Haven News)の報道や、電話とフォノグラフを組み合わせた長距離音楽伝送実験の報道も確認できます。1889年3月の資料から見えるのは、商業レコードの発売体制ではなく、機械の操作訓練、地域会社への技術移転、実演による宣伝、通信技術との接続実験が並行して進んでいた段階です。
メトロポリタン・フォノグラフ社のオペレーター訓練計画
1889年3月4日付の書簡では、チャールズ・A・チーヴァー(Charles A. Cheever, 生没年不明)に対し、3月2日付でエジソン宛に送られた書簡を受領したことが伝えられています。宛先には、メトロポリタン・フォノグラフ社のニューヨーク市フィフス・アヴェニュー257番地が記されています。
この書簡によれば、メトロポリタン・フォノグラフ社は、その週の都合のよい時点で4名または5名のオペレーター(operator)を送り、新しいフォノグラフの取り扱いを学ばせる予定でした。返信側は、彼らが機械に慣れるために必要な便宜を与えると述べています。
この資料は、1889年3月時点で、改良型フォノグラフの導入が単なる機械供給だけでなく、地域会社の担当者に対する操作訓練を伴っていたことを示しています。録音産業の形成期には、録音物そのものの制作だけでなく、機械を扱う人員の育成も重要な課題になっていました。
オハイオ・フォノグラフ社による技術習得をめぐる書簡
1889年3月16日付の書簡では、オハイオ・フォノグラフ社のジオ・S・ダンハム(Geo. S. Dunham, 生没年不明)が、エジソンに対し、新しいフォノグラフの機構習得をめぐる連絡について書いています。
この書簡によれば、ジオ・S・ダンハムは、ノース・アメリカン・フォノグラフ社から、新しいフォノグラフの機構を学ぶためにオハイオ・フォノグラフ社側の誰かが東部へ戻る必要がある、という趣旨の連絡を受けていました。ジオ・S・ダンハムは、自分が旧フォノグラフの操作と機構に関わった経験を持つことを述べ、ウォルター・H・ミラーができるのであれば自分にもできる、と主張しています。
一方で、ジオ・S・ダンハムは、エジソンが必要と判断するなら、電報を受け取りしだい東部へ向かうとも述べています。この資料は、1889年3月時点で、地域会社が改良型フォノグラフの操作だけでなく、機構そのものの理解を求められていたことを示しています。初期の録音産業では、装置の導入と並行して、各地の担当者が機械の扱い方を習得する体制づくりも進められていました。
ニュー・ヘイブンの「Concert Without Voices」報道
1889年3月25日付のニュー・ヘイブン・ニュースは、“Concert Without Voices” という見出しで、ニュージャージー州オレンジのエジソン研究所における改良型フォノグラフの実演を報じています。記事では、エリクソン・F・ブッシュネル(Ericsson F. Bushnell, 生没年不明)が記者を伴って研究所を訪れ、T・A・ヴァンゲマン(T. A. Wangemann, 生没年不明)が装置の試験と説明を行ったとされています。
実演では、黄色パラフィンのシリンダーが機械に取り付けられ、1889年2月20日に録音された “Ave Maria” が再生されました。記事では、この録音がエフィー・スチュワートの歌唱と、モード・パウエル(Maud Powell, 生没年不明)のヴァイオリン・オブリガートによるものとして紹介されています。続いて、前日に研究所で録音されたニューヨークのコートニー四重唱団(Courtney Quartet)の歌唱、吹奏楽の選曲、コルネット独奏なども再生されたと報じられています。
この記事は、1889年3月時点で、エジソン研究所の改良型フォノグラフが、歌唱、器楽、四重唱、吹奏楽、独奏を再生できる装置として紹介されていたことを示しています。記事中には、数週間以内に700台のフォノグラフを市場へ出すというエジソンの発言も掲載されており、改良型フォノグラフの実演が、事業化を見据えた宣伝の場にもなっていたことがわかります。
メトロポリタン・フォノグラフ社関係者のパリ万国博覧会行き希望
1889年3月29日付の書簡では、メトロポリタン・フォノグラフ社のH・C・ベイリー(H. C. Bailey, 生没年不明)が、エジソンに対し、雇用希望とパリ万国博覧会行きへの関心を伝えています。
H・C・ベイリーは、3月28日付のエジソンからの返信を受け取り、もっと早く応募しなかったことを残念に思うと述べています。また、将来空きがあれば自分を覚えておいてほしいと書き、20年の商業経験があることも説明しています。書簡の末尾では、ヨーロッパ、特にパリ万国博覧会へ行きたいと述べています。
この書簡は、1889年3月時点で、地域会社の関係者がエジソンのフォノグラフ事業や海外展示の機会に関心を寄せていたことを示しています。ただし、この書簡だけでは、H・C・ベイリーが実際に採用されたこと、またはパリ万国博覧会へ派遣されたことは確認できません。
電話とフォノグラフを組み合わせた長距離音楽伝送実験の報道
1889年3月20日付の新聞記事 “Sending Songs by Telephone” では、長距離電話とフォノグラフを組み合わせ、ニューヨークとフィラデルフィアの間で音楽を送る実験が報じられています。この実験は、フィラデルフィアのフランクリン協会(Franklin Institute)で行われた、W・J・ハマー(W. J. Hammer, 生没年不明)によるエジソンの生涯と発明に関する講演の中で実施されました。
記事によれば、ニューヨーク側の実験参加者はアメリカン・テレフォン・アンド・テレグラフ社(American Telephone and Telegraph Company)の操作室に集まりました。セント・パトリック大聖堂(St. Patrick’s Cathedral)のソプラノ歌手であるエフィー・スチュワートと、コルネット奏者のセオドア・ホッホ(Theodore Hoch, 生没年不明)が演奏し、その音楽は103マイルの電話線を通じて、フィラデルフィアのフランクリン協会へ送られました。記事では、コルネット独奏は会場全体で明瞭に聞こえた一方、エフィー・スチュワートの歌唱はそれほどよく聞こえなかったとされています。
記事はさらに、フォノグラフから電話へ音楽を送り、同じシリンダーから同じ曲を3回連続で送ったことも伝えています。また、フィラデルフィア側では、電話と接続したフォノグラフに音楽を受け、その後に聴衆へ再生したとされています。この報道は商業録音の発売情報ではありませんが、1889年3月時点で、フォノグラフが電話通信と組み合わされ、遠隔地への音楽伝送、再生、再録音の実験に用いられていたことを示しています。
医学録音へのフォノグラフ応用
1889年3月5日付のニューヨーク・タイムズ(The New York Times)は、“Phonograph in Medicine” という記事で、フォノグラフを医学検査に応用する試みを報じています。記事では、J・M・ブライヤー(J. M. Bleyer, 生没年不明)がその有用性を示した人物として紹介されています。
この記事によれば、フォノグラフは、人間の耳では聞き取りにくい低い振動を記録し、再生時に音の高さを変えることで聞き取りやすくできる装置として説明されています。検査方法としては、フォノグラフを診察者の近くに置き、耳管に似た器具を録音シリンダーへ接続し、その大きな開口部を胸部の調べたい部位に当てるとされています。さらに、検査部位を示すために、鎖骨上部などの解剖学的名称を音声で記録し、その後に呼吸に伴う胸部の音をワックス・シリンダーへ記録する手順が説明されています。
この報道は、1889年3月時点で、フォノグラフが音楽や演説の再生だけでなく、身体音を記録・再生する医療用記録装置としても構想されていたことを示しています。ただし、この記事は医学的応用の説明であり、音楽録音や商業用シリンダー発売の記録ではありません。
ノース・アメリカン・フォノグラフ社の供給遅延報道
1889年3月24日付のニューヨーク・タイムズ(The New York Times)は、“The Talking Machine. Cause of the Delay in Introducing Phonographs to Public Uses” という記事で、ノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)のフォノグラフ供給遅延を報じています。
記事によれば、ノース・アメリカン・フォノグラフ社は660万ドルの資本金で組織され、当初は1889年2月1日までに1万台のフォノグラフを用意するとされていました。しかし、装置の構造が繊細で、製造に慎重な作業を要したため、供給は予定より遅れていたと説明されています。その結果、1万台を超える注文が未充足のまま残っていたと報じられています。
同記事は、工場で1日あたり約250台が製造されているとの会社側説明も伝えています。また、各地に地域会社が設立され、その数は32社に達していたとされます。ニューヨークのメトロポリタン・フォノグラフ社(Metropolitan Phonograph Company)は100万ドルの資本金を持つ会社として紹介され、各地域会社を含めた資本金総額は約2,000万ドルに近いと報じられています。
この報道は、1889年3月時点でフォノグラフの実用化構想が広く展開されていた一方、装置の製造・供給が需要に追いついていなかったことを示しています。録音そのものの記事ではありませんが、同時期のフォノグラフ事業が、録音内容の普及以前に、装置供給と地域会社網の整備という課題を抱えていたことを確認できる資料です。
マンション・ハウスにおけるフォノグラフ実演と音楽録音
1889年3月9日、ロンドンのマンション・ハウス(Mansion House)で、ジャーナリスト協会(Institute of Journalists)発足に関連する集会が開かれました。1889年3月22日付の『テレグラフィック・ジャーナル・アンド・エレクトリカル・レビュー(The Telegraphic Journal and Electrical Review)』によれば、この集会では電気関連の展示が行われ、ジョージ・エドワード・グーロー(George Edward Gouraud, 1842–1912)が貸し出した4台のエジソン式フォノグラフも紹介されました。記事では、4台のうち1台が録音用、1台が再生用、2台が低音量の記録再生用だったと説明されています。
同記事には、展示されたフォノグラムが「Speech Records」「Musical Records」「Low Records」に分けて記載されています。音楽記録としては、アメリカン・ブラス・ヴィレッジ・バンド(American brass village band)、イングリッシュ・ストリート・ブラス・バンド(English street brass band)、コーチホーン独奏、ポストホーン独奏、コルネット独奏、ロンドン・スコティッシュ・ライフルズ(London Scottish Rifles)のバグパイプ、ユージン・ストラットン(Eugene Stratton, 1861–1918)の「The Whistling Coon」、ピアノ独奏、バンジョー独奏、チャールズ・コバーン(Charles Coborn, 1852–1945)の「Two Lovely Black Eyes」などが挙げられています。1889年3月のロンドンでは、音楽フォノグラムが公開展示のなかで具体的な聴取対象として示されていたことがわかります。
この集会では、ロンドン市長がフォノグラフを通じてトーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)宛てに短い挨拶を録音し、その数分後に明瞭に再生されたことも伝えられています。一方で、記事には列挙された音楽記録それぞれの録音日、録音場所、原シリンダー番号、現存状況は記されていません。
地域会社制度によるフォノグラフとグラフォフォンの商業展開
1889年3月22日付の『テレグラフィック・ジャーナル・アンド・エレクトリカル・レビュー(The Telegraphic Journal and Electrical Review)』は、ニュー・ジャージー・フォノグラフ社(New Jersey Phonograph Company)の設立定款がニュー・ジャージー州で提出されたことを伝えています。同記事によれば、同社の資本金は625,000ドルで、ニュー・ジャージー州内において、フォノグラフとグラフォフォンをリースおよび販売する権利を持つ会社として設立されました。
記事では、この権利がエジソン=テインター=ベル特許(Edison-Tainter and Bell patents)に基づくものとして説明されています。1889年3月時点で、音声記録装置の商業化は、単一の発明品の販売だけでなく、地域ごとの会社に販売・リース権を割り当てる制度として展開されていました。また、ここでフォノグラフとグラフォフォンが併記されていることから、同時代の録音・再生装置市場では、エジソン式フォノグラフだけでなく、ベル=テインター系のグラフォフォンも商業展開の対象として扱われていたことがわかります。
この資料からは、ニュー・ジャージー・フォノグラフ社が1889年3月時点で具体的な音楽録音を制作・販売していたことまでは確認できません。しかし、音楽フォノグラムが各地域で展示・販売されていく前提として、地域会社による装置のリース、販売、公開利用の仕組みが整えられつつあったことを示しています。
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https://patents.google.com/patent/US447918A/en - Naval History and Heritage Command. “The Storm at Apia, Samoa, 15-16 March 1889.”
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