1893年7月に録音された音楽

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1893年7月に録音された音楽

1893年7月は、世界経済の動揺と帝国主義的な緊張、そして新しい技術と文化の見世物が同時進行した月でした。フランス第三共和政(French Third Republic)とシャム王国(Kingdom of Siam)の対立は、1893年7月13日のパークナーム事件(Paknam incident)として武力衝突に至り、インドシナ半島の勢力図をめぐる圧力が可視化しました。アメリカ合衆国ではグロバー・クリーブランド(Grover Cleveland, 1837–1908)が1893年7月1日に極秘手術を受け、同年の金融不安下で政治と情報の管理が問題化します。日本では御木本幸吉(1858–1954)が1893年に養殖真珠の創出に成功したとされ、宝飾と海洋産業の近代化に連なりました。シカゴ万国博覧会(World’s Columbian Exposition)の会期中でもあり、フレデリック・ジャクソン・ターナー(Frederick Jackson Turner, 1861–1932)が1893年7月12日に発表した論考は、歴史観をめぐる議論の出発点になりました。

この月の確認されている録音:0曲

1893年7月の録音に関する情報のまとめ

1893年7月に限定して、年月日まで特定できる「新規の録音」そのものは資料上確認できません。ただし同月は、シカゴ万国博覧会(World’s Columbian Exposition)が開催中で、フォノグラフが「新しい娯楽・展示・教育用途」として来場者の前に置かれていた時期に当たります。録音物は「作品」としてだけでなく、博覧会という場での実演・体験を通じて流通し得ることが示され、後年の録音産業の販促や展示形態(コイン投入式の聴取など)を考える手がかりになります。

ワールズ・コロンビアン・エクスポジションとフォノグラフ

シカゴ万国博覧会(World’s Columbian Exposition)では、フォノグラフが来場者にとっての“目新しい技術”として言及され、電気関連の展示空間でもフォノグラフ展示が語られます。1893年7月は会期の中盤に当たり、録音は「家庭内の再生」だけでなく、会場での見世物や技術デモンストレーションとして位置づけられていたことが読み取れます。

ターナーの発表と同時代の「記録」観

フレデリック・ジャクソン・ターナー(Frederick Jackson Turner, 1861–1932)の発表(1893年7月12日)は、同時代の「歴史をどう記述し、何を証拠として残すか」という関心を象徴します。録音はまだ万能な記録媒体ではありませんでしたが、同じ博覧会空間で「音を残す技術」が展示・実演されていた事実は、文章・統計・展示物に加えて“音そのもの”が資料化され得る時代の入口を示します。

コイン投入式の聴取体験と博覧会

博覧会は、多人数に短時間で“体験”を売る装置でもあり、録音再生機はその構造と相性が良いものでした。1893年7月時点で、フォノグラフが会場体験の一部として想定されていたことは、録音を「商品」として成立させる条件(場所、課金、運用)を考えるうえで重要です。