1914年2月に録音された音楽
1914年2月は、第一次世界大戦直前の政治不安と、大衆娯楽・大型技術の拡大が同時に進んだ月でした。スウェーデンではグスタフ5世(Gustaf V, 1858–1950)が防衛強化を支持する姿勢を強く示し、立憲政治をめぐる対立が深まって、自由党政権の退陣とヒャルマル・ハンマルシェルド(Hjalmar Hammarskjöld, 1862–1953)の新内閣成立へつながりました。映画ではチャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin, 1889–1977)が1914年2月7日公開の『ベニスの子供自動車競走』(Kid Auto Races at Venice)で「リトル・トランプ」を初めて明確に示し、映画スターと反復可能なスクリーン人格の時代を押し広げました。舞台芸術ではリッカルド・ザンドナーイ(Riccardo Zandonai, 1883–1944)作曲の『フランチェスカ・ダ・リミニ』(Francesca da Rimini)が1914年2月19日にトリノ王立歌劇場(Teatro Regio Torino)で初演され、イタリア近代オペラの新作として注目されました。海運では『ブリタニック』(HMHS Britannic)が1914年2月26日に進水し、タイタニック号事故後の見直しを経ながらも大型客船競争が続いていたことを示しました。政治制度の揺らぎ、映画文化の定着、歌劇の新作上演、巨大輸送技術の前進が並んだことに、1914年2月の時代相がよく表れています。
この月の確認されている録音:0曲
1914年2月の録音に関する情報のまとめ
1914年2月の録音業界では、ディスクとシリンダーの競合がなお続く一方で、実際の販売現場ではダンス曲需要と高価格機需要がともに強まっていました。トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、エジソン・ディスク・フォノグラフ(Edison Disc Phonograph)を押し出しながらも、エジソン・ブルー・アンベロール(Edison Blue Amberol)の新譜編成と海外出荷を続けており、シリンダー事業をまだ明確に維持していました。ヴィクター・トーキング・マシン会社(Victor Talking Machine Company)とコロムビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)では、ダンス・レコード需要が販売の牽引力として目立ちます。1914年2月は、媒体そのものの競争だけでなく、どの種類の音楽を、どの価格帯の機械で、どの層に売るかがいっそう具体化した月でした。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、1914年2月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)において、エジソン・ディスク・フォノグラフ(Edison Disc Phonograph)の強い年末商戦成果と、エジソン・ブルー・アンベロール(Edison Blue Amberol)の継続展開が同時に示されています。同号は高価格帯の機械販売が目立ったことを伝える一方、1914年4月売りのエジソン・ブルー・アンベロール(Edison Blue Amberol)新譜を告知し、その発売日を1914年3月25日と明示しました。さらに同号では、オーストラリア向けに240,476本のエジソン・ブルー・アンベロール(Edison Blue Amberol)を出荷したこと、4月リストに新しい歌手を加えたことも報じられており、1914年2月時点で同社がシリンダー事業を止めず、国内販売と海外供給の両面で拡張を続けていたことが確認できます。加えて、1914年3月号の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)が伝える1914年2月の販売状況では、ニューヨークの主要販売会社であるハードマン・ペック社(Hardman, Peck & Co.)が、エジソン・ディスク・フォノグラフ(Edison Disc Phonograph)の販売は好調で、とくに高価格帯中心に動いたと述べています。したがって、1914年2月のエジソン陣営は、ディスク機で利益を確保しつつ、エジソン・ブルー・アンベロール(Edison Blue Amberol)を数量・新譜・輸出で維持する二本立ての構えだったとみてよさそうです。
- https://archive.org/stream/edisonphonograph12moor/edisonphonograph12moor_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1914-Vol-12.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1914-03.pdf
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン会社(Victor Talking Machine Company)については、1914年3月号の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)が、1914年2月に特別ダンス・レコードが販売に投入されていたことを伝えています。ニューヨーク・トーキング・マシン会社(New York Talking Machine Company)は、1914年3月新譜と1914年2月投入分を合わせた出荷が、前年同時期に比べてほぼ倍増したと述べており、この時点でダンス曲が販売現場の重要商品になっていたことがわかります。また同号では、ヴァーノン・キャッスル(Vernon Castle, 1887–1918)とアイリーン・キャッスル(Irene Castle, 1893–1969)夫妻がヴィクターのダンス・レコード監修に加わったことも報じられています。初回監修盤そのものは後続のリストで具体化されますが、少なくとも1914年2月前後には、社交ダンス流行を録音商品へ直結させる販売戦略が、ヴィクター・トーキング・マシン会社(Victor Talking Machine Company)で明確に動き始めていました。機械そのものの性能競争に加えて、流行舞踏をすぐ商品化する速度が重視されていた点が、この月の特徴です。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1914-03.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1914-04.pdf
コロムビア
コロムビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)でも、1914年2月の販売実績は強かったことが確認できます。1914年3月号の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)で、シンシナティの販売責任者は、1914年2月の売上が過去のどの2月をも上回り、とくにレコード売上がきわめて強かったと述べています。記事は、コロムビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)のダンス・レコードが従来不足していた需要を満たしたこと、さらに1914年2月中に新規販売店契約が多数まとまったことも伝えています。また同号の別記事では、セントルイス市場でヴィクター・トーキング・マシン会社(Victor Talking Machine Company)とトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の人気盤棚が薄くなる一方、コロムビア側は需要に見合う在庫を保っていたと報告されています。したがって、1914年2月前後のコロムビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)は、ダンス曲需要の波に乗っただけでなく、供給の安定でも優位に立っていたと考えられます。録音内容の流行対応と流通在庫の確保が結びついていた点が、この月の同社の強みでした。
