1916年3月に録音された音楽
1916年3月は、戦争と外交の緊張が拡大する一方で、科学と芸術にも大きな節目が現れた月でした。3月9日にはフランシスコ・“パンチョ”・ビリャ(Francisco “Pancho” Villa, 1878–1923)の部隊がアメリカ合衆国(United States)のニューメキシコ州コロンバスを襲撃し、ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson, 1856–1924)政権はジョン・J・パーシング(John J. Pershing, 1860–1948)率いる懲罰遠征軍をメキシコへ進めました。同じ3月9日にはドイツ帝国(German Empire)がポルトガル共和国(Portuguese Republic)へ宣戦し、3月24日には英仏海峡で旅客船サセックス号(Sussex)が攻撃を受けて国際関係がさらに悪化しました。東アジアでは袁世凱(1859–1916)が3月22日に帝政を撤回し、中華民国(Republic of China)体制へ戻りました。科学ではアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879–1955)の一般相対性理論の総括論文が3月20日付で示され、文化面ではエンリケ・グラナドス(Enrique Granados, 1867–1916)が3月24日に海難で没しました。政治、軍事、科学、芸術の各分野が同時に激しく動いた月でした。
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1916年3月の録音に関する情報のまとめ
1916年3月の録音関連資料では、企業ごとの動きは録音日そのものよりも、販売体制の調整、新譜告知、部門広告、売場再編として現れる例が目立ちます。トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)ではシリンダー供給と流通制度の見直しが進み、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)では地域的な販売好調と在庫逼迫が報じられました。ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)は翌月新譜の告知を行い、エオリアン社(The Aeolian Company)はエオリアン=ヴォカリオン部門の拠点と展示体制を示しています。加えて、主要販売会社ではステート・ストリート・パテフォン社(State Street Pathephone Co.)の新店舗開設や、W・W・キンボール社(W. W. Kimball Co.)の売場移転が確認でき、1916年3月は録音産業の制作面と販売面が同時に動いていた月として位置づけられます。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の1916年3月号『The Edison Phonograph Monthly』では、「Jacking Up Record Service」と題する記事で、アンベロール系販売店が注文したレコードを完全かつ迅速に受け取れない事例が出ていることが明記されています。記事は、原因がジョバー側か工場側か、あるいは両方にある可能性を示しつつ、責任の所在を調べて遅滞なく是正すると述べており、3月時点で同社がシリンダー供給体制の立て直しを重要課題として扱っていたことが確認できます。
同じ3月号では、景気上昇によって一部地域の消費者が蓄音機とレコードに余剰所得を向けていることにも触れられており、需要増加が一部レコードの不足を招いていると説明されています。さらに1916年4月号掲載の3月17日付販売店向け通知では、ブルー・アンベロールの小売発売日を全国でそろえる方針が示され、5月補充盤を「5月–6月補充盤」として1916年5月25日に売り出す計画が告知されました。したがって1916年3月のエジソンは、需要増への対応、供給是正、発売制度の標準化を同時に進めていたといえます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1916-Vol-14.pdf
- https://archive.org/details/edisonphonograph14moor
コロンビア
コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)については、1916年3月号『The Talking Machine World』に、サンフランシスコで大量注文が入り、一部製品で在庫不足が生じていたことが報じられています。これは単なる広告ではなく、地域市場での販売伸長と供給の逼迫が同時に起きていたことを示す記事です。
同じ1916年3月号には、フレッド・A・デニソン(Fred A. Dennison, 生没年不明)が地区責任者として、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)の事業が自分の管区全体で良好であると述べる記事も見えます。資料上、1916年3月の個別録音日一覧までは確認できませんが、企業活動としては販売網の活況と供給圧力が明瞭です。
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)については、1916年3月号『The Talking Machine World』に1916年4月分のレコード告知が掲載されています。これにより、同社が1916年3月の段階で翌月新譜の販売告知を進めていたことが確認できます。
今回確認した同号では、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)の1916年3月における個別録音日までは確認できませんでしたが、少なくとも月内資料上では、新譜の流通準備と販売告知が進められていました。
エオリアン=ヴォカリオン
エオリアン社(The Aeolian Company)については、1916年3月号『The Talking Machine World』に、エオリアン=ヴォカリオン部門(Aeolian-Vocalion Department)の広告が掲載されています。この広告では、ニューヨークのエオリアン・ホール(Aeolian Hall)とシカゴのファイン・アーツ・ビルディング(Fine Arts Building)が示されており、1916年3月の時点で同社がこれらの拠点で部門を告知していたことが確認できます。
今回確認した1916年3月の資料では、エオリアン社(The Aeolian Company)名義の当月録音日や当月発売開始日までは確認できませんでした。そのため、1916年3月について本文に記載できるのは、エオリアン=ヴォカリオン部門(Aeolian-Vocalion Department)の広告掲載と拠点の明示です。
ステート・ストリート・パテフォン
1916年3月号『The Talking Machine World』には、ステート・ストリート・パテフォン社(State Street Pathephone Co.)が1916年3月1日にシカゴで新店舗を開いたことが記されています。1916年3月のパテ系販売網では、新たな販売拠点の開設が確認できる動きでした。
同号の記事では、この新店舗をシカゴにおけるパテフォン販売の新拠点として扱っています。一方で、取扱商品の詳細や開店後の販売実績までは示されていません。
W・W・キンボール
1916年3月号『The Talking Machine World』には、W・W・キンボール社(W. W. Kimball Co.)のトーキング・マシン部門が1916年3月15日に新ビル1階へ移る予定であることが記されています。1916年3月の同社では、蓄音機関連売場の配置変更が進められていました。
この移転は、トーキング・マシン部門の店頭運営を見直す動きとして位置づけられます。一方で、移転後の売場構成や取扱商品の変化までは同号では示されていません。
