1922年5月に録音された音楽

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1922年5月に録音された音楽

1922年5月の世界では、第一次世界大戦後の秩序調整と新しい制度・技術の定着が同時に進みました。ジェノヴァ会議(Conference of Genoa)は5月19日に閉幕し、ヨーロッパ経済の再建とソヴィエト・ロシア(Soviet Russia)との関係が主要な論点になりました。アメリカ合衆国最高裁判所(Supreme Court of the United States)は5月15日に児童労働税法を違憲と判断し、連邦権限の限界を示しました。五月末にはトロント大学(University of Toronto)とイーライ・リリー・アンド・カンパニー(Eli Lilly and Company)の協力が具体化し、インスリンの量産体制が動き始めました。ウラジーミル・イリイチ・レーニン(Vladimir Ilyich Lenin, 1870–1924)は5月26日に最初の脳卒中を起こし、ソヴィエト政権の今後に大きな影を落としました。5月29日にはアメリカ合衆国最高裁判所がプロ野球を州際通商とはみなさない判断を示し、翌30日にはワシントンD.C.でリンカーン記念堂(Lincoln Memorial)が献堂されました。

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1922年5月の録音に関する情報のまとめ

1922年5月の録音業界では、ラジオの急成長を前にした対応策と、販売現場での実演・宣伝強化が同時に進みました。同月の業界誌では、レコード会社や蓄音機会社が放送との関係を意識し始めたこと、販売店が演奏会や店頭企画を通じて需要を押し上げようとしていたこと、さらに流通と特販の体制が細かく組み替えられていたことが確認できます。以下では、当月の資料上で活動を確認できる企業・系統ごとに整理します。

エジソン

『The Talking Machine World』1922年5月15日号には「Charles Edison Discusses Radio」が掲載され、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)がラジオの広がりを正面から論じていたことが確認できます。この記事では、フォノグラフ業界が直ちに深刻な打撃を受けるわけではないという見通しが示されており、同社が1922年5月の時点でラジオを競合であると同時に無視できない新市場として認識していたことがわかります。

ヴィクター

『Music Trade Review』1922年5月20日号によれば、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)は六月初旬の業界大会に合わせ、カーネギー・ホールで招待演奏会を開く準備を進めていました。録音部門責任者のC・G・チャイルド(C. G. Child, 生没年不明)が出演陣を整えており、同社が単なる新譜供給だけでなく、業界全体に向けた大規模な対外宣伝を1922年5月の段階で進めていたことが確認できます。

コロムビア

同じく『Music Trade Review』1922年5月20日号では、T・B・ナイルズ(T. B. Niles, 生没年不明)がピッツバーグ支店からニューヨーク本社へ移り、特販業務と社内機関紙『Columbia Record』の編集を担うと報じられています。コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)は1922年5月に販売促進と販路支援の中枢を本社側で強めていたことになり、流通網の維持と拡張を重視していた様子がうかがえます。

オーケー

ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corp.)のオーケー(Okeh)系統では、1922年5月にラジオとの接近がはっきり確認できます。『Music Trade Review』1922年5月20日号には、オーケー卸部門の責任者だったランバート・フリードル(Lambert Friedl, 生没年不明)が退職し、トライアングル・ラジオ・サプライ社(Triangle Radio Supply Co., Inc.)を設立したことが載っています。さらに『The Talking Machine World』1922年5月15日号では、同社の新子会社ゼネラル・ワイヤレス社(General Wireless Corp.)が無線製品の製造・輸入に乗り出すと報じられており、レコード流通の周辺がラジオ商材へ広がり始めていたことがわかります。

ブラック・スワン

『The Talking Machine World』1922年5月15日号の「Black Swan Artists Broadcast」では、ブラック・スワン・トルバドゥアーズ(Black Swan Troubadours)がニューオーリンズで放送に出演し、好評を得たことが伝えられています。ペイス・フォノグラフ社(Pace Phonograph Corporation)のブラック・スワン・レコード(Black Swan Records)は、1922年5月の時点で黒人資本のレーベルとして放送を宣伝に取り込み、レコード販売の拡大に結びつけようとしていました。

ヴォカリオン

『Music Trade Review』1922年5月20日号では、ニューヨーク州トロイのクルエット&サンズ(Cluett & Sons)が音楽週間中に毎日ヴォカリオン・コンサートを開いたことが報じられています。エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)は、販売店の店頭催事と専属歌手の出演を通じて需要を直接押し上げており、1922年5月の販売現場では実演を軸にした販促が重要な役割を果たしていました。