1922年4月に録音された音楽

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1922年4月に録音された音楽

1922年4月は、戦後秩序の立て直しと各国政治の再編が同時に進んだ月でした。ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin, 1878–1953)はこの月にロシア共産党(ボリシェヴィキ)(Russian Communist Party (Bolsheviks))の中央委員会書記長となり、党内権力の集約を進める位置に就きました。4月10日にはイタリア王国(Kingdom of Italy)のジェノヴァでジェノヴァ会議(Conference of Genoa)が始まり、ヨーロッパ経済の再建とロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(Russian Socialist Federative Soviet Republic)との関係が主要議題となりました。会議の最中の4月16日には、ドイツ国(German Reich)とロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(Russian Socialist Federative Soviet Republic)がラパッロ条約(Treaty of Rapallo)を結び、相互請求権の放棄と国交正常化に踏み出しました。アメリカ合衆国では4月1日にアメリカ合衆国炭鉱労働者総同盟(United Mine Workers of America)による大規模ストライキが始まり、燃料供給と産業活動に強い影響を与えました。同月15日にはティーポット・ドーム事件(Teapot Dome Scandal)をめぐる上院調査が動き出し、政界腐敗が大きな争点となります。月末の4月30日には、チャーリー・ロバートソン(Charlie Robertson, 1896–1984)がメジャーリーグ史上5度目の完全試合を達成し、スポーツ面でも記憶される月となりました。

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1922年4月の録音に関する情報のまとめ

1922年4月の録音業界では、録音そのものの話題だけでなく、専属契約の獲得、外国語盤市場の拡張、地方ディーラー網の増強、地元紙を使った特別発売告知など、販売と流通を軸にした動きが目立ちました。当月の資料で比較的はっきり確認できるのは、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)、ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corp.)のオーケー・レコード(Okeh Records)、エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)、ペース・フォノグラフ社(Pace Phonograph Corporation)のブラック・スワン・レコード(Black Swan Records)、スター社(Starr Piano Company)のジェネット・レコード(Gennett Records)の動きです。4月の資料群からは、大手各社が新譜一点ごとの競争よりも、販路と顧客層をどう広げるかに重点を置いていたことが読み取れます。

コロムビア

4月15日号の『The Talking Machine World』には、フランク・ウェストファル(Frank Westphal, 1889–1948)とレインボー・オーケストラがコロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)と専属録音契約を結んだという記事が見えます。さらに4月20日付の『Richmond Palladium』では、フランク・ウェストファル(Frank Westphal, 1889–1948)楽団名義のコロムビア盤が小売価格75セントで告知されており、同社が1922年4月の時点でダンス音楽系アーティストの補強と新譜流通を進めていたことが確認できます。

オーケー

4月15日号の『The Talking Machine World』には「Okeh Foreign Language Records」と題する記事が掲載され、ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corp.)のオーケー・レコード(Okeh Records)が外国語盤市場を重要分野として扱っていたことが確認できます。同記事では、外国語盤の売れ行きが予想以上で、ニューヨーク地域での販売がとくに好調だったことが示されており、1922年4月の同社が英語盤以外の顧客層を積極的に開拓していたことが分かります。

ヴォカリオン

1922年上半期の『The Talking Machine World』本文には、オスカー・W・レイ(Oscar W. Ray, 生没年不明)が率いる卸売部門のもとで、エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)がデトロイトとクリーブランドの両地域で新しいディーラーを増やしていたことが記されています。さらに4月22日付の『Music Trade Review』では、ソノラ・ディストリビューティング社(Sonora Distributing Co.)がピッツバーグにおけるヴォカリオン赤盤の卸売代理店に任命されたと報じられており、4月の同ブランドが地方流通網の拡張を進めていたことが確認できます。

ブラック・スワン

4月号の『The Crisis』には、ペース・フォノグラフ社(Pace Phonograph Corporation)がブラック・スワン・レコード(Black Swan Records)の事業拡大を進めていたことが具体的な数字とともに載っています。同誌によれば、同社はニューヨーク市で3階建ての建物を取得し、事務・出荷部門に15人、楽団に8人、主要都市に7人の地区支配人を置き、販売店・代理人は1,000に達し、1営業日あたり2,500枚を発送していました。1922年4月のブラック・スワンは、単なる新興レーベルではなく、全国販売網を持つ事業体として成長していたことが確認できます。

ジェネット

スター社(Starr Piano Company)のジェネット・レコード(Gennett Records)については、4月8日付の『Richmond Palladium』に「Gennett Records are better therefore more satisfactory」という販売文句を伴う広告が確認でき、4月18日付同紙には「Special Release of Gennett Records」という特別発売告知が掲載されています。1922年4月のジェネットは、地元リッチモンドの新聞広告を継続的に使いながら、通常販売と特別発売の両面で店頭需要を喚起していたことが分かります。