1930年に録音された音楽
1930年は、1929年の株価暴落後に進行していた世界恐慌(Great Depression)が、貿易・金融・政治の各回路で同時に深まり、国際秩序の「協調」と「亀裂」が並走した年でした。アメリカ合衆国では保護主義的な関税法である関税法(Tariff Act of 1930、通称 Smoot–Hawley Tariff Act)が1930年6月17日に成立し、報復関税の応酬を招いて国際貿易の縮小圧力を強めます。金融面では、ニューヨークのバンク・オブ・ユナイテッド・ステーツ(Bank of United States)が1930年12月11日に業務停止となり、信用不安が「実体経済の不況」と結び付いて連鎖する局面を象徴しました。一方で、国際金融の制度として国際決済銀行(Bank for International Settlements, BIS)が1930年5月17日に業務を開始し、戦後賠償と国際決済を扱う枠組みが制度化されていきます。
軍縮・安全保障では、ロンドン海軍軍縮会議(London Naval Conference)の帰結としてロンドン海軍軍縮条約(Treaty for the Limitation and Reduction of Naval Armament/International Treaty for the Limitation and Reduction of Naval Armament)が1930年4月22日に調印されました。しかし国内政治の緊張は各地で高まり、ドイツでは1930年9月14日の国会選挙(1930 German federal election)で国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei, NSDAP)が議席を12から107へ急増させ、議会政治の不安定化が進みます。日本では条約をめぐる対立が先鋭化するなか、首相の濱口雄幸(Hamaguchi Osachi, 1870–1931)が1930年11月14日に東京駅で狙撃され、政治的分断が暴力を伴って噴出する現実を示しました。
帝国支配と抵抗の面では、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi, 1869–1948)が主導した塩の行進(Salt March/Dandi Salt March)が1930年3月12日–4月6日に行われ、非暴力不服従が世界的な注目を集めます。さらにインド統治の制度改革をめぐる円卓会議(Round Table Conferences (India))の第1回会合が、ジョージ5世(George V, 1865–1936)によって1930年11月12日にロンドンで開会し(会期は1930年11月12日–1931年1月19日)、帝国の再編構想と民族運動のせめぎ合いが可視化されました。中国では中原大戦(Central Plains War/中原大战)の主要局面が1930年5月–11月に展開し、国家統合の過程が軍事衝突と不可分であったことを示します。
科学技術と大衆文化では、「遠くの出来事」が即座に共有される回路がさらに太くなります。天文学者クライド・トンボー(Clyde Tombaugh, 1906–1997)は1930年2月18日に冥王星(Pluto)を発見し、宇宙像の更新がニュースとして流通しました。航空技術ではフランク・ホイットル(Frank Whittle, 1907–1996)がジェット推進に関する特許を1930年1月16日に出願し、のちの航空機設計の方向性を先取りします。北米のグレートプレーンズでは1930年夏から乾燥化が進み、のちにダスト・ボウル(Dust Bowl)と呼ばれる環境危機の前提条件が形成されました。社会改革ではトルコ共和国(Republic of Turkey)で市町村法(Municipal Code)の採択により、女性の市町村選挙での選挙権・被選挙権が1930年4月3日に認められます。国際スポーツでは1930 FIFAワールドカップ(1930 FIFA World Cup)が1930年7月13日–30日にウルグアイで開催され、国民国家の競争と祝祭が世界イベントとして定着しました。娯楽産業は恐慌の直撃を受け、米国のレコード販売(units)は1927年の1億400万から1930年の1000万へ急減したという整理もあります。こうした市場収縮とラジオ普及の同時進行のなかで、録音物と放送は競合しつつも相互に影響し合い、音楽の流通は「買うメディア」と「届くメディア」の二重構造へ深く入り込みました。
