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グルーオーの “phonogramic album”(1888–1891頃)

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グルーオーの “phonogramic album”(1888–1891頃)

アメリカ生まれの実業家ジョージ・エドワード・グルーオー(George Edward Gouraud, 1842–1912)は、1888年にトマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の改良型蓄音機を携えてロンドンに渡り、著名人や音楽演奏の録音を体系的に集める構想を「phonogramic album(フォノグラム的アルバム)」と呼びました。

このアルバムは、写真アルバムになぞらえて、1888〜1890年ごろに録音された政治家・文学者・音楽家・戦争英雄などの声を「不滅の声の図書館(Library of Immortal Voices)」として保存し、エジソンのもとへ送ることを狙った企画と理解されています。

このページでは、1888〜1890年にジョージ・エドワード・グルーオーとそのスタッフによって制作された録音のうち、一次資料・信頼できる研究によって確認できるものを、音源の現存状況も含めて整理します。歴史的にはさらに多くの録音が行われていた可能性がありますが、現時点では確認できないものについては、文献記録として別途記載します。

用語としての “phonogramic album”

当時「phonogram(フォノグラム)」という語は、エジソンとグルーオーの文脈では「音声を吹き込んだ手紙=録音メッセージ」を指し、郵便で世界中に送る新しい通信手段として構想されていました。ジェイソン・カムロ(Jason Camlot, 生年不詳)は、グルーオーが1888年ごろから、詩・挨拶・推薦文などを「phonogram」として集め、そのまとまりを「アルバム」や「図書館」にたとえて宣伝していたことを、エジソン文書や新聞資料から詳しく分析しています。

「phonogramic album」という表現は、ロンドンで録音された有名人の音声群を、写真アルバムのようなまとまりとして提示しようとするグルーオー側のレトリックであり、後に「Library of Immortal Voices(不滅の声の図書館)」というキャッチコピーとも重ね合わされました。実際の物理的な「アルバム」が系統立てて発売されたわけではありませんが、1888〜1890年の録音をセットとして意識する、当時の「パッケージ/シリーズ物」としての発想をよく示しています。

1888年の録音

1888年は、グルーオーの “phonogramic album” 構想が実際の録音として立ち上がった年であり、ロンドンおよびその近郊でのデモンストレーション録音が中心を占めます。ここでは、現時点で一次資料などから確認できる録音を挙げ、今後も新たな情報に応じて追補していきます。

1888年6月ごろ トーマス・アルバ・エジソンのメッセージ(グルーオー宛 phonogram)

トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)がニュージャージー州ウェスト・オレンジで吹き込んだ挨拶メッセージは、グルーオーのもとに送られ、ロンドンでの実演における「第一声」として繰り返し再生されました。BBC 所蔵の cylinder には「First phonogram read in England / June 26 1888」系のラベルが報告されており、1888年6月16日録音というデータとあわせて、“phonogramic album” の時間軸の起点を示す録音とみなされています。

ジャンル・形式:スピーチ録音(発明者自身のメッセージ/デモ用)

1888年6月29日 ハンデル《イスラエルのエジプト脱出》合唱録音(クリスタル・パレス)

ロンドン郊外クリスタル・パレスで行われたハンデル《イスラエルのエジプト脱出(Israel in Egypt)》の大規模合唱・オーケストラ公演の一部が、グルーオーのチームによって蝋管に録音されました。しばしば「公衆の前で行われた音楽演奏の、現存する最古級の録音」として言及され、グルーオーのアルバム構想の中でも大規模音楽イベントを代表する一例とされています。

ジャンル・形式:ライヴ音楽録音(合唱/オーケストラ、宗教音楽)

1888年8月ごろ アーサー・サリヴァン《The Lost Chord》器楽録音

アーサー・サリヴァン(Arthur Sullivan, 1842–1900)の歌曲《The Lost Chord》の器楽版(コルネットとピアノ)録音は、グルーオーがロンドンでの記者発表に用いた「見本盤」として繰り返し再生され、音楽録音の可能性を示す象徴的な一例になりました。録音自体は米国で行われたと考えられますが、グルーオーが「アルバム」を構想する際に必ずと言ってよいほど組み込まれた「代表曲」として扱われました。

ジャンル・形式:音楽録音(器楽演奏、デモンストレーション用)

1888年8月30日 ヘンリー・アーヴィングの朗読(Little Menlo)

俳優ヘンリー・アーヴィング(Henry Irving, 1838–1905)は、グルーオーの自宅「リトル・メンロ」で行われた録音セッションで、芝居の台詞(おそらくシェイクスピア作品の一節)を蓄音機に朗読しました。ラベルには「Declamation / by / Henry Irving / ‘Little Menlo’ / August 30 1888」といった表記が確認されており、BBC に残る transfer も含めて、1888年ロンドンの「著名俳優の声」として “phonogramic album” の重要な一編とされています。

ジャンル・形式:朗読録音(俳優による台詞朗読)

1888年10月5日 アーサー・サリヴァン祝辞「Little Menlo」でのトースト

1888年10月5日、グルーオーの自宅「リトル・メンロ」で開かれた晩餐会で、アーサー・サリヴァン(Arthur Sullivan, 1842–1900)がエジソンへの感謝と新技術への期待を語る祝辞を蓄音機に吹き込みました。ここでは、音楽家本人の「話し声」が記録されており、グルーオーのアルバム構想における「芸術家の肉声」の典型例として後にたびたび引用されています。

ジャンル・形式:スピーチ録音(祝辞・推薦メッセージ)

1888年10月5日 ヘンリー・セシル・レイクスとエドマンド・ホジソン・イェーツのトースト(Little Menlo)

アーサー・サリヴァンの祝辞と同じ晩餐会で、郵政大臣ヘンリー・セシル・レイクス(Henry Cecil Raikes, 1838–1891)とジャーナリストのエドマンド・ホジソン・イェーツ(Edmund Hodgson Yates, 1831–1894)が、エジソンへの挨拶と祝意を述べるトーストをそれぞれ吹き込みました。ニューヨーク公共図書館やディスコグラフィ資料では、「Mr. Raikes, Postmaster General to Mr. Edison」「…Edmund Yates [address to Mr. Edison]」といったタイトルで、サリヴァンのトラックと並ぶ一連の cylinder として整理されています。

ジャンル・形式:スピーチ録音(政治家・ジャーナリストの祝辞/推薦メッセージ)

1888年12月6日 アーサー・ウェルズリー・ピールのメッセージ(下院議長)

下院議長アーサー・ウェルズリー・ピール(Arthur Wellesley Peel, 1829–1912)は、グルーオーの phonograph に向かって短いスピーチを録音し、「Speaker of the House of Commons」の声として “phonogramic album” に加わりました。BBC の所蔵リストでは 1888年12月6日付の録音として記載されており、同時代の伝記・回想でも「グルーオーの最初期のインタビューイーの一人」として言及されています。

ジャンル・形式:スピーチ録音(議会指導者の挨拶)

1888年12月18日 ウィリアム・エワート・グラッドストンによるメッセージ「The Phonograph’s Salutation」

イギリス首相ウィリアム・エワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone, 1809–1898)が、エジソンに向けた挨拶メッセージを録音した cylinder が「The Phonograph’s Salutation」として知られています。冒頭ではグルーオー自身がエジソンに向けてグラッドストンを紹介し、その後に首相の短いスピーチが続きます。グルーオーの “phonogramic album” の中でも、政治的権威の声を収めた代表的な「目玉トラック」として位置づけられました。

ジャンル・形式:スピーチ録音(政治家のメッセージ/祝辞)

1888年12月22日 ケンブリッジ公ジョージ・ウィリアム・フレデリック・チャールズのメッセージ

ケンブリッジ公ジョージ・ウィリアム・フレデリック・チャールズ(George William Frederick Charles, Duke of Cambridge, 1819–1904)は、グルーオーの手配により王族として初めて phonograph に声を吹き込みました。BBC に残る cylinder は「Voice of the Duke of Cambridge / London Dec. 22 1888」系のラベルで紹介されることがあり、王室録音の嚆矢として “phonogramic album” の中でも特に象徴的な位置を占めています。

ジャンル・形式:スピーチ録音(王族の挨拶)

1889年の録音

1889年は、1888年に始まった著名人録音がさらに広がり、文学者や宗教家など「知識人の声」を追加していく時期でした。この中でも、グルーオーのアルバム構想と密接に結びつけられて語られてきたのがロバート・ブラウニングの録音です。

1889年1月16日 ガイ・ローズからプリンス・オブ・ウェールズへのメッセージ

ガイ・ローズ(Guy Rose, 生没年不詳)名義とされる cylinder は、「Message to Prince of Wales from Captain Rose」として BBC 所蔵リストに含まれ、1889年1月16日録音と記録されています。内容は詳細不明ながら、プリンス・オブ・ウェールズに宛てた祝辞・報告の形式をとる phonogram であり、グルーオーが王族ネットワークに phonograph を売り込むためのデモの一環と考えられます。

ジャンル・形式:スピーチ録音(軍人から王太子へのメッセージ)

1889年1月18日 ウェールズ公夫妻とソールズベリー卿のメッセージ

アルバート・エドワード(Albert Edward, 1841–1910)とアレクサンドラ(Alexandra of Denmark, 1844–1925)のウェールズ公夫妻、そして首相ロバート・ガスコイン=セシル(Robert Gascoyne-Cecil, 1830–1903)が、連名の形でエジソンに向けたメッセージを録音した cylinder も BBC のリストに含まれています。1889年1月18日付とされるこの録音は、王太子夫妻と首相という英政界トップの声を一つの「トラック」に収めた例として、“phonogramic album” の政治的・宣伝的性格を端的に示す資料です。

ジャンル・形式:スピーチ録音(王太子夫妻と首相による共同メッセージ)

1889年4月7日 ロバート・ブラウニング朗読「How They Brought the Good News from Ghent to Aix」

詩人ロバート・ブラウニング(Robert Browning, 1812–1889)は、画家ルドルフ・レーマン邸での晩餐会において、自作詩「How They Brought the Good News from Ghent to Aix」を蓄音機に朗読しました。録音中に詩の一部を忘れてしまい、自ら苦笑しながら中断する様子まで記録されており、「録音がもたらした自己意識」を示す例として文学研究でもたびたび取り上げられています。
グルーオーはこの cylinder を他の著名人録音とともにエジソン側へ送り、文学者の声も含めた “phonogramic album” の一部として位置づけました。後年、ブラウニング協会のメンバーがこの cylinder の保存と再生に尽力したことからも、当時から「文学的遺産」としての意識が強かったことがうかがえます。

ジャンル・形式:朗読録音(詩の朗読、文学者の肉声)

1890年の録音

1890年になると、グルーオーのチームはクリミア戦争の象徴的人物たちを中心に、連作的な録音を企画します。とくにライト・ブリゲード救済基金(Light Brigade Relief Fund)のために制作された一連の cylinder は、後世しばしば「一種の小さなアルバム」として紹介されており、グルーオーの構想が最も具体的な形をとった場面のひとつと考えられます。

1890年5月15日 アルフレッド・ロード・テニスン朗読「The Charge of the Light Brigade」

詩人アルフレッド・ロード・テニスン(Alfred Lord Tennyson, 1809–1892)は、ワイト島フレッシュウォーターの自宅で、自作詩「The Charge of the Light Brigade」を朗読し、チャールズ・ステイトラー(Charles Steytler, 生没年不詳)の操作する蓄音機に吹き込みました。
この朗読は、クリミア戦争の象徴的な詩を、作者自身の声で残したという意味で “phonogramic album” の中核にふさわしい録音であり、後の批評家たちも「戦争詩と記録メディアの関係」を論じる際の重要なケースとして扱っています。

ジャンル・形式:朗読録音(叙事詩/戦争詩の作者朗読)

1890年7月30日 フローレンス・ナイチンゲールのメッセージ(ライト・ブリゲード救済基金)

看護改革者フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale, 1820–1910)は、ロンドンの自宅からクリミア戦争ライト・ブリゲードの退役兵に向けた短いメッセージを録音しました。録音はグルーオーの記録係C.R. ジョンストン(C. R. Johnstone, 生没年不詳)により行われ、ナイチンゲールは自らの「仕事が死後も続くことを願う」と退役兵への祝福の言葉を語りかけています。
この cylinder はライト・ブリゲード救済基金のためのチャリティ録音三点の一つであり、グルーオーの “phonogramic album” の中でも、社会事業と結びついた録音の代表例として評価されています。

ジャンル・形式:スピーチ録音(慈善活動のアピールメッセージ)

1890年8月2日 マーティン・ランフリードのラッパ演奏(Balaclava の突撃ラッパ)

元第17槍騎兵連隊のラッパ手マーティン・ランフリード(Martin Lanfried, 1834–1902)は、ロンドンのエジソン・ハウスで、バラクラヴァの戦いで用いられたものと伝えられるラッパを使い、突撃合図を再現して演奏しました。テニスンとナイチンゲールの録音と並べて、このラッパ録音は「ライト・ブリゲード三部作」としてしばしば紹介され、戦争の記憶を音・声・楽器という異なるメディアで構成するグルーオーのアルバム的発想を端的に示しています。

ジャンル・形式:音楽録音(軍楽・ラッパ演奏、歴史的再現)

1891年の録音

1891年には、グルーオーの「不滅の声の図書館」構想の延長として、宗教的権威と実務家(速記法改革者)の録音が少数ながら追加されました。いずれも BBC アーカイブに cylinder の現物が残ると報告されており、1888–1890年の著名人録音と同じ系譜上にある「後期トラック」と位置づけることができます。

1891年10月20日 アイザック・ピットマンのメッセージ録音(Edison House, London)

速記法改革者アイザック・ピットマン(Isaac Pitman, 1813–1897)は、1891年10月20日にロンドンのエジソン・ハウスで phonograph にメッセージを録音したとされ、BBC アーカイブのリストにもこの日付の cylinder が明記されています。内容の詳細は伝わっていませんが、エジソン式速記と録音技術の親和性を象徴する存在として後年しばしば引用され、「声と言語改革」を結びつけたトラックとして “phonogramic album” の周辺を豊かにする録音です。

ジャンル・形式:スピーチ録音(速記法改革者による自己紹介/メッセージと推定)

1891年10月29日 ヘンリー・エドワード・マニング枢機卿のメッセージ(ノーフォーク公宛)

カトリック教会の指導者ヘンリー・エドワード・マニング枢機卿(Henry Edward Manning, 1808–1892)は、1891年10月29日にノーフォーク公(当時の公爵はヘンリー・フィッツアラン=ハワード Henry Fitzalan-Howard, 1847–1917)宛のメッセージを phonograph に録音したとされます。米議会図書館の概説でも、マニングは「グルーオー自身が行った代表的録音」の一つとして名指しされており、「死期を悟った高齢の枢機卿が、自らの声を後世に託した」として「不滅の声」の象徴的トラックと見なされています。

ジャンル・形式:スピーチ録音(宗教指導者によるメッセージ/祝辞)

記録のみ伝わる/音源未確認の “phonogramic album” 関連録音

一次資料や信頼できる二次資料で録音が言及されるが、現物 cylinder の所在やデジタル音源が確認できない録音です。

1890年 P.T. バーナムのスピーチ録音(Edison House, London)

興行師 P.T. バーナム(Phineas Taylor Barnum, 1810–1891)は、1890年にロンドンのエジソン・ハウスで自身のメッセージを phonograph に録音したと、ローカル資料・研究ノートで繰り返し報告されています。米議会図書館の 1888 London cylinder 論考でも「1890年にバーナムがエジソン・ハウスで録音した可能性が高い」とされますが、Antique Phonograph Society の調査によれば、現時点でオリジナル cylinder の所在は確認されておらず、「文献上は確実だが、音源は未発見」の典型例といえます。

ジャンル・形式:スピーチ録音(ショーマンによる自己紹介・メッセージと推定)

1890年10月12日 ヘンリー・モートン・スタンリーと「Library of Voices」

探検家ヘンリー・モートン・スタンリー(Henry Morton Stanley, 1841–1904)は、1890年10月12日付の書簡の中で、グルーオーに対して「Library of Voices(声の図書館)」付きの phonograph を送る旨を述べており、グルーオーの “phonogramic album” 構想と緊密に連動していたことが分かります。かつてはエジソン側のコレクション中に「Henry M」とラベルされた cylinder がスタンリー本人の声だと考えられましたが、その後の再検討で誤認と判断されており、現時点で「スタンリーの声を確実に伝える」録音は特定されていません。

ジャンル・形式:録音の可能性が高いが、確定音源未確認のケース(書簡資料のみ)

1888年末〜1890年ごろ ジェローム・ナポレオンやミルザー・マルカム・ハーンらの録音(伝記上の証言)

一部の伝記的記事では、亡命中のジェローム・ナポレオン(Jérôme Napoléon, 1822–1891)や外交官ミルザー・マルカム・ハーン(Mirza Malkam Khan, 1831–1908)が、グルーオーの招きで詩の朗誦や挨拶を phonograph に吹き込んだとされています。とくにミルザー・マルカム・ハーンがペルシアの詩人ハーフェズの一節を朗誦したというエピソードはよく引用されますが、これらの録音については一次資料レベルのラベル情報や現存 cylinder の所在が確認されておらず、「録音が行われた可能性は高いが、現物は追跡できない」グルーオー周辺の周辺的トラックと位置づけられます。

ジャンル・形式:朗読・スピーチ録音(王侯・外交官による朗誦/挨拶と推定)

グルーオーの “phonogramic album” の歴史的な意義(まとめ)

グルーオーの “phonogramic album” は、近代録音史の中で「著名人の声を系統的に集める」という発想を早い段階で示したプロジェクトでした。ウィリアム・エワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone, 1809–1898)やロバート・ブラウニング(Robert Browning, 1812–1889)、アルフレッド・ロード・テニスン(Alfred Lord Tennyson, 1809–1892)、フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale, 1820–1910)、マーティン・ランフリード(Martin Lanfried, 1834–1902)といった人物の録音を「セット」として企画した点に、後世の「歴史的音源」「セレブリティの声」の先駆けを見ることができます。また、グルーオーが「Library of Immortal Voices(不滅の声の図書館)」というキャッチフレーズでこの構想を宣伝したことは、録音を単なる技術デモではなく「後世に残すべき文化遺産」として扱おうとする意識の表れでした。

エジソンとグルーオーの往復書簡や、ホレイショ・ネルソン・パワーズ(Horatio Nelson Powers, 1826–1890)による「The Phonograph’s Salutation」などの詩的テキストは、録音メディアが初期から「ジャンル/形式」とセットで構想されていたことを示しており、音楽史・メディア史の双方から重要な参照点となっています。

References