1922年に録音された音楽
1922年は、第一次世界大戦後の国際秩序が「協調」と「権力集中」のあいだで揺れ、政治・経済・文化の制度が同時に組み替えられていく年でした。外交の場では軍縮が語られる一方、国内政治では暴力や非常手段が現実の選択肢として浮上し、新しい大衆文化とメディアが生活の速度を押し上げます。
軍事・外交面で象徴的なのが、ワシントン会議(Washington Naval Conference, 1921–1922)から生まれた条約群です。1922年2月6日、五カ国条約=ワシントン海軍軍縮条約(Washington Naval Treaty)が署名され、主力艦保有量比率を定めることで海軍拡張競争の抑制が試みられました。同日には中国の主権と「門戸開放」をめぐる九カ国条約(Nine-Power Treaty)もまとまり、戦後の国際協調の枠組みが提示されます。
他方で欧州では、戦後処理と孤立の継ぎ目から別種の現実政治が立ち上がります。1922年4月16日、ドイツとソビエト・ロシアはラパッロ条約(Treaty of Rapallo)に調印し、国交正常化を打ち出しました。ところが、この路線を担った外相ヴァルター・ラーテナウ(Walther Rathenau, 1867–1922)は6月24日に暗殺され、極右暴力が政治を揺さぶる現実が露わになります。
権力の移行が決定的な形で表面化したのがイタリアです。1922年10月28日–31日の「ローマ進軍(March on Rome)」を経て、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Victor Emmanuel III, 1869–1947)がベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)を首相に任命し、ファシズムが国家権力の中心へ入り込みました。同じく地中海世界では、トルコ大国民議会が1922年11月1日にオスマン帝国(Ottoman Empire)のスルタン制を廃止し、帝国の終幕を制度として確定させます。中東では国際連盟(League of Nations)が1922年7月24日にパレスチナ委任統治(Mandate for Palestine)の文書を承認し、戦後の委任統治体制が進みました。北アフリカでは、イギリスが1922年2月28日にエジプトの独立を一方的に承認し、フアード1世(Fuad I of Egypt, 1868–1936)は3月15日に称号を「王(King of Egypt)」へ改めました。
年末には、革命後の領域国家が新しい形で統合されます。1922年12月30日、ソビエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)が創設され、連邦国家としての枠組みが確立しました。
国内紛争の激化も、戦後の「国家形成」の別の側面として現れました。アイルランドではアイルランド内戦(Irish Civil War)が1922年6月に開戦し、アーサー・グリフィス(Arthur Griffith, 1871–1922)が8月12日に死去、マイケル・コリンズ(Michael Collins, 1890–1922)も8月22日に戦死します。それでも12月6日にはアイルランド自由国(Irish Free State)が成立し、独立の制度化が内戦と併走するかたちで進みました。インドではチャウリ・チャウラ事件(Chauri Chaura incident, 1922年2月)が非暴力運動の路線を揺さぶり、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi, 1869–1948)は3月に扇動罪で裁かれ長期刑を言い渡されます。
科学と発見の領域でも転機がありました。1型糖尿病に対して、レナード・トンプソン(Leonard Thompson, 1908–1935)が1922年1月にインスリン治療を受けた事実は、医療史の分水嶺になりました。考古学では、ハワード・カーター(Howard Carter, 1874–1939)が1922年11月4日にツタンカーメン王墓(Tutankhamun’s tomb)への階段を発見し、同年11月の墓室到達が報じられると、古代エジプトへの熱狂が世界的に広がります。
文化面では、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce, 1882–1941)の『ユリシーズ(Ulysses)』が1922年2月2日に刊行され、T・S・エリオット(T. S. Eliot, 1888–1965)の『荒地(The Waste Land)』が1922年10月16日に雑誌で発表されます。音の流通では、英国でブリティッシュ・ブロードキャスティング・カンパニー(British Broadcasting Company Limited)が1922年10月18日に設立され、11月14日にロンドンの2LOから放送を開始しました。
