1931年に録音された音楽

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1931年に録音された音楽

1931年は、世界恐慌の長期化が金融制度・外交秩序・大衆文化を同時に揺さぶり、各国の「危機対応」がそのまま体制選択へ接続した年です。欧州ではオーストリアの大手銀行クレディタンシュタルト(Creditanstalt)が深刻な損失を公表(1931年5月11日)し、国境を越える信用不安が連鎖しました。アメリカ合衆国大統領ハーバート・フーヴァー(Herbert Hoover, 1874–1964)は政府間債務の支払い猶予案フーヴァー・モラトリアム(Hoover Moratorium)を提案(1931年6月20日)し、賠償・戦債問題の圧力をいったん緩めようとします。通貨制度をめぐる緊張も高まり、イギリスは金兌換停止を発表(1931年9月20日)して金本位制(Gold standard)から離脱し、国際金融の前提が大きく組み替わりました。金融の収縮は貿易と雇用を直撃し、失業と生活不安が政治的急進化の土壌になります。

政治面では、体制転換と帝国秩序の再編が同時進行しました。スペインではアルフォンソ13世(Alfonso XIII, 1886–1941)の退位後、スペイン第二共和政(Second Spanish Republic)が宣言(1931年4月14日)され、宗教・教育・土地などをめぐる改革課題が前面化します。英領インドではマハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi, 1869–1948)とアーウィン卿(Lord Irwin, 1881–1959)がガンディー=アーウィン協定(Gandhi–Irwin Pact、1931年3月5日)を結び、市民的不服従運動はいったん交渉局面へ移りました。さらに英連邦ではStatute of Westminster 1931(1931年12月11日)が成立し、自治領の立法上の自立が制度として明確化されます。一方、東アジアでは柳条湖事件(Mukden incident、1931年9月18日)を契機に満州事変(Manchurian incident)が拡大し、国際連盟(League of Nations)の調査と各国の対立が深まりました。

社会史の側面では、災害と差別が「統計ではなく生活」として噴き出します。中国では1931年中国大洪水(1931 China floods)が長江・淮河流域を中心に甚大な被害を生み、死者は推計で数十万–数百万と幅があるほど被害規模の把握自体が困難でした。アメリカ合衆国ではスコッツボロ事件(Scottsboro Boys、1931年3月25日)が始まり、人種差別と司法の問題が全国的な論争を呼びます。都市の象徴としてはエンパイア・ステート・ビル(Empire State Building)が開業(1931年5月1日)し、不況下でも「高さ」が未来像として消費されました。航空ではワイリー・ポスト(Wiley Post, 1898–1935)とハロルド・ガッティ(Harold Gatty, 1903–1957)が単発機による世界一周飛行を達成(1931年6月23日出発、7月1日帰着)し、距離感覚を更新します。科学ではクルト・ゲーデル(Kurt Gödel, 1906–1978)が不完全性定理を公表(1931年)し、形式体系の「完全さ」に構造的限界があることを示しました。さらにエルンスト・ルスカ(Ernst Ruska, 1906–1988)とマックス・クノル(Max Knoll, 1897–1969)による電子顕微鏡(electron microscope)の試作は、微小世界の可視化を新しい段階へ押し上げます。

音と映像の領域でも、危機の年は変化を加速します。アメリカ合衆国では『星条旗』(The Star-Spangled Banner)が国歌として法制化(1931年3月3日)され、国家儀礼と音楽の結び付きが明文化されました。映画ではチャールズ・チャップリン(Charles Chaplin, 1889–1977)の『街の灯』(City Lights、1931年公開)が無声映画の表現力を示し、ユニバーサル映画の『ドラキュラ』(Dracula、1931年公開)や『フランケンシュタイン』(Frankenstein、1931年公開)はトーキー時代の恐怖表現を定着させます。録音メディアでは、ラジオ時代の長尺需要を背景に、RCAビクター(RCA Victor)が33⅓回転の長時間盤を一般向けに導入(1931年)する試みを行いましたが、商業の主流は依然として78回転盤であり、実験と既存市場が併走していました。そしてトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の死(1931年10月18日)は、蓄音機の創成期を体現した人物の退場として象徴的であり、電気録音と放送網が主導する「量産される音」の時代がすでに進行していた事実を際立たせます。