[Waltz] La Source / Frank Goede (1889)
1889年5月24日、A. Theo. E. Wangemann によってベルリンで実施された録音実験には、Waltz La Source という題名の曲が記録されています(The First Book of Phonograph Records)。「La Source」とはフランス語で「泉」「水源」という意味です。この題名は19世紀の舞曲では比較的よく用いられた名称で、泉や水の流れを象徴する、爽やかで流麗な旋律を表すために選ばれました。とくに有名なのは、フランスの作曲家ルイ・デラクルーズ(Louis Delibes)が作曲したバレエ音楽『La Source』(1866年)です。この作品には有名なワルツが含まれており、19世紀後半には吹奏楽団やサロンオーケストラによってしばしば抜粋演奏されました。ただし Wangemann の録音簿には作曲者の記載がなく、演奏が Delibes のバレエ『La Source』の一部だったか、同名の他の小品だったかは断定できません。可能性としては、Frank Goede が演奏したのは Delibes の有名な旋律を簡略化した編曲版、あるいは泉のイメージに基づく即興的な短いワルツだったと考えられます(Feaster 2007)。
ォノグラフ録音でワルツが選ばれた理由
19世紀末のフォノグラフ録音では、ワルツのようにテンポが中庸でメロディが明確な楽曲が好まれました。これは録音機器の制約により、低音や厚みのある和声よりも、高音域で旋律がはっきりしている楽曲のほうが蝋円筒に刻みやすく、再生時の音質も比較的良好だったためです(Welch & Rogers 1994)。Wangemann は欧州デモンストレーションで、行進曲、ピッコロ独奏、ワルツといった異なるジャンルの曲を組み合わせ、録音性能の多様性を示しました。この日の録音簿では、「Gilmore’s 22nd Regiment March」「The Warbler」など技巧的で華やかな曲と並んで、「La Source」のように柔らかく流れるようなワルツを選曲しています。特に「La Source」という泉を思わせる清涼なイメージは、フォノグラフの澄んだ高音域を示すのに適していました。また、当時は王侯貴族や科学者に向けて録音を披露する場面も多く、耳あたりの良いワルツはデモンストレーションで好印象を与える選曲として理想的だったといえます。
音源の現存状況と録音史における意味
残念ながら、1889年に録音された「La Source」の音源自体は現存が確認されていません。蝋円筒は物理的に脆く、演奏後に再利用のため削り直されることが多かったためです。しかし、Wangemann の録音簿に残された「La Source」の記録は、録音実験において同じ曲が複数テイク残されるパターンの一例として、また当時の録音レパートリーの選定基準を知る貴重な手がかりとして扱われています(Feaster 2007, ARSC Journal)。もし Delibes のバレエ音楽『La Source』の旋律が用いられていたとすれば、これは19世紀の欧州でフォノグラフがオペラやバレエの人気曲をいかに録音デモに取り入れたかを示す具体例でもあります。また、ワルツという舞踏曲の録音は、のちに家庭用円筒音楽として定番化し、エジソン社が発売した Blue Amberol Cylinders などにも継承されていく基盤となりました。「La Source」はその黎明期の選曲例として、録音史の研究では小さくても大切な存在証明として引用されています。
