1945年に録音された音楽
1945年は、第二次世界大戦(World War II)の終結と、終戦直後から始まる国際秩序の再設計が、同じ時間の上でせめぎ合った年でした。欧州では、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)の自殺とベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)の処刑を経て、ドイツの降伏文書(German Instrument of Surrender)が1945年5月7日–8日に署名され、戦闘終結が決定的になります。戦後処理の基本線は、ヤルタ会談(Yalta Conference、1945年2月4日–11日)とポツダム会談(Potsdam Conference、1945年7月17日–8月2日)で調整され、フランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt, 1882–1945)、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill, 1874–1965)、ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin, 1878–1953)、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884–1972)、クレメント・アトリー(Clement Attlee, 1883–1967)らの交渉は、占領、賠償、国境、勢力圏をめぐる枠組みを形作りました。
同時に、国際協調を制度として固定する動きが加速します。国際機構に関する国際連合会議(United Nations Conference on International Organization、1945年4月25日–6月26日)を経て、国際連合憲章(Charter of the United Nations)が1945年6月26日に署名され、1945年10月24日に発効しました。戦争の総力化が露呈した破壊の規模は、武力だけで秩序を保つ発想を揺さぶり、戦後は規範と機構による調停を目指す方向へ傾きます。経済の復興と安定に向けても、国際通貨基金(International Monetary Fund)と国際復興開発銀行(International Bank for Reconstruction and Development)の協定が1945年12月27日に発効し、通貨・金融と復興資金を支える国際的な土台が動き出しました。
社会の根幹に直結する食糧と教育・文化の領域でも、戦後構想が具体化します。国際連合食糧農業機関(Food and Agriculture Organization of the United Nations)が1945年10月16日に設立され、飢餓と農業の課題が国際政治の中心テーマとして位置づけられました。さらに国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)の憲章(Constitution of UNESCO)が1945年11月16日にロンドンで署名され、教育・科学・文化を通じた平和構築という理念が制度として掲げられます。
しかし、制度が整う一方で、戦争の犯罪性が一層明瞭になります。アウシュヴィッツ強制収容所(KL Auschwitz)は1945年1月27日に解放され、強制収容と大量虐殺の実態が戦後社会に重い問いを突きつけました。責任追及の枠組みとしては、ロンドン協定(London Agreement、1945年8月8日)により国際軍事裁判所(International Military Tribunal)が設けられ、国際軍事裁判所憲章(Charter of the International Military Tribunal)に基づくニュルンベルク裁判(Nuremberg Trials)が1945年11月20日に始まります。国家の名の下に行われた犯罪を国際法で裁く試みは、以後の人権と国際刑事司法の前提条件を押し広げました。
アジア太平洋では、核兵器の登場が終戦の様相を変えます。トリニティ実験(Trinity test、1945年7月16日)の後、広島への原子爆弾投下(Atomic bombing of Hiroshima、1945年8月6日)と長崎への原子爆弾投下(Atomic bombing of Nagasaki、1945年8月9日)が起こり、昭和天皇による大東亜戦争終結ノ詔書(Imperial Rescript on the Termination of the War)の放送、いわゆる玉音放送(1945年8月15日)を経て、日本国降伏文書(Japanese Instrument of Surrender)が1945年9月2日に署名されました。占領統治では、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur, 1880–1964)が連合国軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers)として権限を持ち、政治・社会制度の再編が進みます。
さらに、帝国の後退は独立運動の連鎖を促しました。インドネシア独立宣言(Proclamation of Indonesian Independence、1945年8月17日)ではスカルノ(Sukarno, 1901–1970)とモハマッド・ハッタ(Mohammad Hatta, 1902–1980)が独立を宣言し、ベトナム独立宣言(Proclamation of Independence of the Democratic Republic of Vietnam、1945年9月2日)ではホー・チ・ミン(Ho Chi Minh, 1890–1969)が独立を宣言します。中東でもアラブ連盟(League of Arab States)が1945年3月22日に憲章(Charter of the League of Arab States)へ署名し、地域政治の枠組みが再編されました。終戦は「復旧」ではなく、主権と境界と統治の原理を組み替える過程でもあったのです。
技術と文化の領域では、戦時の研究開発が平時の産業と表現へ転化する節目が見えます。ヴァニヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush, 1890–1974)の報告書サイエンス・ジ・エンドレス・フロンティア(Science, the Endless Frontier、1945年提出)は、研究を国家の持続的基盤として位置づける考え方を押し出しました。音のメディアに目を向ければ、ドイツで発展した磁気テープ録音とマグネトフォン(Magnetophon)は戦後に分析・展開され、のちの放送運用や録音制作で「編集」と「複製」を現実的な技術へ押し上げます。文学では、ジョージ・オーウェル(George Orwell, 1903–1950)のアニマル・ファーム(Animal Farm)が1945年8月17日に刊行され、戦後の政治意識と大衆文化に長く影を落としました。1945年の世界は、終戦という一点で区切れるのではなく、暴力の記憶、国際制度、独立の連鎖、そしてメディア技術の更新が絡み合いながら、戦後社会の骨格を形成した年でした。
