1956年に録音された音楽

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1956年に録音された音楽

1956年は、冷戦下の地域紛争と国際機構の対応、そして放送・記録・通信を支える技術基盤が同時に拡張した年でした。中東では、ガマール・アブドゥル=ナーセル(Gamal Abdel Nasser, 生没年不明)が1956年7月26日にスエズ運河(Suez Canal)の支配権をめぐる措置を表明し、これがスエズ危機(Suez Crisis)の起点となります。軍事行動が現実化するなかで、国際連合(United Nations)は国際連合総会(United Nations General Assembly)を通じて停戦監視の枠組みを具体化し、国際連合総会(United Nations General Assembly)の決議1000(第1回緊急特別会期)(Resolution 1000 (ES-I))により国際連合緊急軍(United Nations Emergency Force)を設けるなど、後の国際秩序運用にも影響する「実務としての平和維持」の手法が前景化しました。

東欧では、ハンガリー革命(Hungarian Revolution of 1956)が1956年10月23日にブダペストでの動きとして顕在化し、政治の帰趨が短期間で大きく揺れました。イムレ・ナジ(Imre Nagy, 生没年不明)をめぐる政治過程や、ソビエト連邦による1956年11月4日の軍事介入は、同年の国際政治が「国内変動」と「大国の安全保障」が直結していたことを示します。一方、アジアでは日本が1956年12月18日に国際連合(United Nations)へ加盟し、国際連合総会(United Nations General Assembly)での受諾演説を通じて戦後の国際社会への復帰を制度面でも確定させました。国内政治の文脈では鳩山一郎内閣の外交路線が注目され、重光葵の国際連合(United Nations)演説は、占領期を経た日本の国際的な自己位置づけを明示する象徴的な場面となりました。

同じ年、長期的には「音が移動する条件」を変えるインフラ整備も進みます。アメリカ合衆国では、ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower, 生没年不明)が1956年6月29日にナショナル・インターステート・アンド・ディフェンス・ハイウェイズ法(National Interstate and Defense Highways Act (1956))へ署名し、州間高速道路システム(Interstate Highway System)の建設が国家事業として加速しました。流通と移動の高速化は、レコードや機器の供給網、興行の巡回、放送ネットワークの物理的基盤にまで波及し、都市と地方の時間感覚を均質化していきます。

通信とメディア技術の側面では、1956年9月25日にトランスアトランティック・ナンバー1(Transatlantic No. 1)が運用開始となり、遠距離通話の実用性が大西洋規模で刷新されました。そこにはアメリカ電話電信会社(American Telephone and Telegraph Company)のベル研究所(Bell Laboratories)と英国郵便局(British Post Office)の技術者層が関与したことが知られ、国境を越える回線が「例外」から「前提」へ移る過程が見えてきます。映像の記録では、アムペックス・コーポレーション(Ampex Corporation)のアムペックスVRX-1000(Ampex VRX-1000)が1956年4月14日に全米ラジオ・テレビジョン放送協会(National Association of Radio and Television Broadcasters)大会で実演され、テレビ番組を「生放送の一回性」から解放する技術の方向性が明確になりました。放送が記録と結びつくことで、音楽番組やニュース映像の再利用、編集、アーカイブ化が現実的な選択肢となり、ポピュラー音楽の受容環境にも新しい回路が加わっていきます。

エネルギーと放送文化でも象徴的な出来事が重なります。イギリスではカルダー・ホール原子力発電所(Calder Hall nuclear power station)が1956年10月17日にエリザベス2世(Elizabeth II, 生没年不明)により開所され、原子力が「研究」から「大規模供給」へ踏み出す局面を示しました。また欧州放送連合(European Broadcasting Union)は1956年に第1回ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest)をスイスのルガーノで開催し、放送連携を前提とした音楽イベントが国際的な形式として立ち上がります。政治の危機管理が国際連合(United Nations)で制度化へ向かうのと並行して、音声と映像は通信・記録・放送の三点で結節し、音楽や言葉が国境を越えて反復される条件が1956年の各所で具体的に整えられていきました。