1892年6月に録音された音楽
1892年6月は、政治・都市インフラ・大衆文化・災害が同時に動いた月でした。アメリカ合衆国ではミネソタ州ミネアポリスで共和党全国大会が開かれ、ベンジャミン・ハリソン(Benjamin Harrison, 1833–1901)とホワイテロー・リード(Whitelaw Reid, 1837–1912)が指名されました。一方、イリノイ州シカゴでは民主党全国大会が開催され、グロバー・クリーブランド(Grover Cleveland, 1837–1908)とアドレー・スティーブンソン(Adlai Stevenson I, 1835–1914)が指名され、選挙戦の構図が固まりました。都市交通ではシカゴでサウスサイド高架鉄道(South Side Elevated Railroad)の運行が始まり、大都市の日常を変える高速大量輸送の実験が本格化します。イングランドではリバプール・フットボールクラブ(Liverpool Football Club)が制度上の成立を迎え、地域の余暇文化が組織化されていきました。その一方で、アメリカ合衆国ペンシルベニア州の油田地帯では洪水と火災が重なった大災害が発生し、工業化が生むリスクも露わになりました。
この月の確認されている録音:0曲
1892年6月の録音に関する情報のまとめ
1892年6月の録音史は、録音そのものの出来栄えだけでなく、複製技術の権利主張、各地の販売網の稼働状況、カタログによるレパートリー提示、そして「機械の声」を初めて聴く人々の反応といった周辺要素からも輪郭が見えてきます。現存資料では、1892年6月に限定して「どの曲がいつ録音されたか」を確定できる情報は多くありませんが、同月の文書や出版物から、録音メディアが商品として流通する条件が整えられていく局面を確認できます。
ノース・アメリカンの機械稼働と流通の規模感
ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)の1892年6月の月次報告では、フォノグラフの貸与(レンタル)・販売台数などの集計が示され、同社ネットワークの下で機械が多数稼働していた状況が確認できます。録音物の詳細目録ではないものの、「録音を聴かせる/録音を作らせる」前提となる機械インフラが月単位で管理されていたことを示す一次資料です。
複製技術の特許と「複製円筒」をめぐる緊張
1892年6月1日付のコロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)の書簡では、レオン・F・ダグラス(Leon F. Douglass, 1869–1940)による「フォノグラフ記録の複製または転写」の特許(アメリカ合衆国特許第475,490号)の発行(1892年5月24日)を根拠に、権利侵害に対する警告が述べられています。複製が普及すれば同一演目を商品として反復供給できる一方、同時に権利の主張と衝突が不可避になることを、1892年6月時点の文書が具体的に物語っています。
- https://edisondigital.rutgers.edu/document/D9242AAL
- https://patents.google.com/patent/US475490
- https://www.taylorfrancis.com/chapters/edit/10.4324/9780203484272-247/douglass-leon-1869%E2%80%937-sept-1940
コロンビアのカタログと「商品としての録音」
ティム・ブルックス(Tim Brooks)の研究では、コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)の1892年6月カタログに、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の図版や「改良フォノグラフ」の案内が載っていたことが触れられています。録音円筒は単体で完結する物ではなく、機械の使い方・宣伝・カタログ編成と結びついて販売され、レパートリーが「一覧」として提示されていく段階に入っていたことが読み取れます。
「初めて聴く人」の驚きが記録される
1892年6月の雑誌『ザ・フォノグラム』(The Phonogram)掲載記事を材料にした紹介では、フォノグラフを初めて聴く人々の反応を観察した記述が要約されています。これは録音目録そのものではありませんが、録音が「珍品」から「繰り返し体験される娯楽」へ移るうえで、聴取体験の強いインパクトが同時代に言語化されていたことを示します。
1892年カタログから見える地方レパートリー
ニュー・ジャージー・フォノグラフ・カンパニー(New Jersey Phonograph Company)の1892年カタログは、同社が娯楽録音を体系的に提示していたことを示す資料です。ただし、このカタログ資料上、個々の掲載項目が「1892年6月」に作製・録音・発売されたものかどうかは確認できません。1892年6月の録音動向を直接確定する資料ではないものの、同時期に地方会社がレパートリーを整備し、注文可能な商品として流通させていた実態を補助線として示します。
