1919年12月に録音された音楽

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1919年12月に録音された音楽

1919年12月は、第一次世界大戦後の政治と社会の再編が具体的な形を取り始めた月でした。イギリスではナンシー・アスター(Nancy Astor, 1879–1964)が12月1日に庶民院で宣誓し、同院で実際に議席に就いた最初の女性となりました。12月3日にはフランス印象派を代表する画家ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841–1919)が死去し、19世紀後半美術を支えた世代が一つ終わりました。12月18日には大西洋無着陸横断飛行で知られるジョン・ウィリアム・オールコック(John William Alcock, 1892–1919)がフランスで飛行事故死し、航空の進歩がなお大きな危険を伴っていたことを示しました。12月21日にはアメリカ合衆国でエマ・ゴールドマン(Emma Goldman, 1869–1940)を含む249人の急進派が国外追放され、戦後社会の政治的緊張が強まりました。さらにイギリスでは12月23日に性別による資格剥奪の撤廃に関する法律(Sex Disqualification (Removal) Act 1919)が成立し、公的職務や民事・司法上の職から女性を排除する制度が改められました。

この月の確認されている録音:0曲

1919年12月の録音に関する情報のまとめ

1919年12月の録音業界では、シリンダーを含む既存事業の継続、新しいダンス音楽の録音、そして新規ディスク事業の市場投入が同時に進んでいました。当月の資料上では、少なくともトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)、エマーソン・フォノグラフ社(Emerson Phonograph Co., Inc.)、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)の活動を確認できます。以下では、1919年12月の資料上で実際に動きが見える企業のみを挙げます。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、12月2日にツクシード・ダンス・オーケストラ(Tuxedo Dance Orchestra)による《Sweet and low (Waltz)》が、12月9日にはヘレン・クラーク(Helen Clark, 1883–1940)とジョゼフ・A・フィリップス(Joseph A. Phillips, 生没年不明)による《In our bungalow》が録音されており、12月上旬にも新規ディスク用マスターの制作が続いていたことが分かります。1919年末の同社は、シリンダーの供給を続ける一方で、声楽とダンス音楽の両面で新録音を止めていませんでした。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)では、12月5日にデ・ローザ・アンド・カンパニー(De Rosa and Company)による劇的場面、12月19日に《That’s worth while waiting for》などの流行歌録音、12月24日にフロンザリー・カルテット(Flonzaley Quartet)による室内楽録音が確認できます。月内の複数日に録音が並ぶことから、同社が年末にも大衆歌曲、劇的レパートリー、器楽を並行して収録していたことが分かります。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)では、ルイジアナ・ファイヴ(Louisiana Five)が12月8日に《Dardanella》、12月16日に《Slow and easy》を録音しており、12月24日には男性二重唱の録音も確認できます。1919年12月の同社は、ダンス音楽・ジャズ系統と歌ものの両方を録音しており、戦後の大衆娯楽市場に向けた多面的なスタジオ運営が見えます。

エマーソン

エマーソン・フォノグラフ社(Emerson Phonograph Co., Inc.)については、録音日を日単位で確定できる資料は今回確認できませんが、ルイジアナ・ファイヴ(Louisiana Five)の《Sunshine Girl》《I’ll Get Him Yet》《Weeping Willow Blues》《Weary Blues》が1919年12月の録音として確認できます。これらはエマーソン盤だけでなくメダリオン(Medallion)銘柄にも用いられており、同社が年末にもダンス音楽系レパートリーを維持していたことが分かります。同時に同社では7インチ盤と9インチ盤が1919年末で終息に向かっており、12月は録音継続と製品規格の切り替えが重なった時期でした。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)では、アメリカ向けラテラル盤の最初の出荷が1919年12月に始まっており、1920年1月1日の全国広告開始直前の段階に入っていました。つまり12月は、同社のアメリカ市場向けレコード事業が準備段階から流通段階へ移った月です。個々の12月録音題名を当月資料から一括確定することはできませんが、会社としての市場投入行動は明確に確認できます。