1921年7月に録音された音楽

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1921年7月に録音された音楽

1921年7月は、戦後秩序の再編と新しい政治運動、医学研究、放送文化の進展が同時に見えた月でした。7月2日、ウォレン・ギャマリエル・ハーディング(Warren Gamaliel Harding, 1865–1923)はノックス=ポーター決議(Knox-Porter Resolution)に署名し、アメリカ合衆国のドイツ帝国などとの戦時状態を法的に終結させました。7月11日にはアイルランド独立戦争(Irish War of Independence)の休戦が発効し、同日、モンゴルでは人民政府の成立が祝われ、のちに革命記念日として記憶される日となりました。7月には中国共産党(Communist Party of China)の第一次全国代表大会も始まり、中国政治史の新しい段階が開かれました。医学では7月、パスツール研究所(Institut Pasteur)でカルメット=ゲラン菌ワクチン(Bacillus Calmette-Guérin vaccine)の初回接種が行われ、月末にはトロント大学(University of Toronto)のフレデリック・グラント・バンティング(Frederick Grant Banting, 1891–1941)とチャールズ・ハーバート・ベスト(Charles Herbert Best, 1899–1978)が膵臓抽出物による血糖低下を確認しました。さらに7月2日のジャック・デンプシー(Jack Dempsey, 1895–1983)対ジョルジュ・カルパンティエ(Georges Carpentier, 1894–1975)戦は、ラジオ実況の社会的広がりを示す出来事となりました。

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1921年7月の録音に関する情報のまとめ

1921年7月の録音業界は、夏季にもかかわらず流通と販促が活発で、既成大手だけでなく独立系の製造・録音体制にも動きが見られました。同月の業界紙では、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、オーケー・レコード(OKeh Records)、パテ(Pathé)の販路拡張や実演販売が確認できるほか、シーモン・ハード・ラバー社(Siemon Hard Rubber Co.)とジョーンズ録音研究所(Jones Recording Laboratory)の提携、チェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Co.)の展示会出展、エマーソン・フォノグラフ社(Emerson Phonograph Co.)の新録音告知も見られます。1921年7月は、録音物そのものの新譜情報だけでなく、販売網、店頭演出、受注体制、録音受託体制の整備が同時進行していた月でした。

シーモン・ハード・ラバー/ジョーンズ・レコーディング・ラボラトリー

1921年7月の業界記事では、シーモン・ハード・ラバー社(Siemon Hard Rubber Co.)とジョーンズ・レコーディング・ラボラトリー(Jones Recording Laboratory)が提携し、録音から製造までを一体化した体制で業界向けのレコード製造に乗り出すことが報じられました。記事では、ジョーンズ・レコーディング・ラボラトリー(Jones Recording Laboratory)が録音部門、シーモン・ハード・ラバー社(Siemon Hard Rubber Co.)が製造部門を担う構想が示されており、独立系の受託録音・受託製造網の整備として重要です。

ヴィクター

『The Talking Machine World』1921年7月号では、ミルウォーキー市場でレコード需要が夏にも強く、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)のレッド・シール盤を含む販売が堅調であると報じられました。卸売側は秋に向けた早期受注の動きにも触れており、1921年7月のヴィクターは地域卸を通じた安定供給と先行受注の局面にありました。

ブランズウィック

同号のミルウォーキー通信では、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)のレコードと機械が好調で、特にダンス盤の需要が強いと報じられました。夏季にも販売が鈍らず、継続的な注文が入っていたことから、同社が流行レパートリーを軸に市場を広げていたことがうかがえます。

コロンビア

ロサンゼルス通信では、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)の太平洋岸三支店長がロサンゼルスに集まり、販売と業務に関する会議を開いたと報じられました。支店運営を地域横断で調整していたことが確認でき、1921年7月のコロンビアは販売網の再点検と支店間連携を進めていました。

エジソン

ロサンゼルスでは、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)系の担当者がヴァンクーヴァーで開かれた会合に参加したこと、またフィッツジェラルド音楽会社(Fitzgerald Music Co.)が音楽週間に合わせてエジソン・トーン・テストを実施したことが報じられました。1921年7月のエジソンは、会議と公開実演を組み合わせながら販売促進を続けていたことが確認できます。

オーケー

クリーブランドでは、ケネディ=グリーン社(Kennedy-Green Co.)が「Ever-Ready OKeh Service Station」を掲げる広告を出し、オーケー・レコード(OKeh Records)の幅広い品ぞろえを前面に出しました。そこではジョン・マコーマック(John McCormack, 1884–1945)、フリーダ・ヘンペル(Frieda Hempel, 1885–1955)、マミー・スミス(Mamie Smith, 1883–1946)、ノーフォーク・ジャズ・カルテット(Norfolk Jazz Quartette)の盤が即売商品として訴求されており、都市部小売による積極的な販促が確認できます。

パテ

ロングビーチでは、新築中の家具店が将来パテ(Pathé)を専売で扱う予定だと報じられました。1921年7月の資料上では、パテが専売店や専売部門を通じて地域市場への浸透を図っていたことが確認できます。

チェイニー

ミネアポリスでは、チェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Co.)の機械が大規模なスタイル・ショーで展示され、来場者の多い催事の中で広く紹介されました。1921年7月のチェイニーは、展示会を使った実機訴求によって販路拡大を進めていたことが確認できます。

エマーソン

1921年7月の業界紙では、エマーソン・フォノグラフ社(Emerson Phonograph Co.)がヴァーノン・ダルハート(Vernon Dalhart, 1883–1948)を起用し、その録音を同年9月のリストに載せる予定であると業界向けに伝えていました。7月時点では発売前告知の段階ですが、同社が新しい歌手起用によって商品構成を立て直そうとしていた動きとして位置づけられます。