1924年3月に録音された音楽
1924年3月は、第一次世界大戦後の政治秩序と大衆文化のかたちが各地でさらに組み替えられた月でした。トルコ共和国(Republic of Turkey)では3月3日にカリフ制が廃止され、宗教権威と国家制度の分離がいっそう明確になりました。ギリシャでは3月25日、第四制憲議会(Fourth Constitutional Assembly)が王制の廃止と共和政への転換を宣言し、政体の大きな節目を迎えました。アメリカ合衆国ユタ州では3月8日にキャッスル・ゲート炭鉱事故(Castle Gate mine disaster)が発生し、多数の鉱夫が死亡して鉱山労働の危険性が改めて露呈しました。経済面では、フランスでフラン不安が深まり、戦後財政の脆弱さが政治運営にも重くのしかかりました。文化面では、3月公開の『バグダッドの盗賊』(The Thief of Bagdad)が大作映画時代の到来を印象づけ、視覚娯楽の商業的規模がさらに拡大しました。
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1924年3月の録音に関する情報のまとめ
1924年3月の録音業界では、単純な新譜供給だけでなく、録音拠点の再配置、製造と販売の再編、ラジオとの結合、流通体制の見直しが同時に進みました。当月の同時代業界誌で確認できる範囲では、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、ブランズウィック・バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)、エオリアン社(The Aeolian Company)が、それぞれ異なるかたちで事業の再構築を進めていました。
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は1924年3月、西海岸における録音とプレスの体制強化を具体化しました。3月8日付カムデン発の記事では、E・J・ディングリー(E. J. Dingley, 生没年不明)がカリフォルニア州オークランドの新録音・プレス工場の開設準備のため現地に入り、ジョージ・ホール(George Hall, 生没年不明)がその運営を担う予定とされています。この記事は、この新工場が西部の演奏家を迅速に録音し、太平洋岸およびロッキー山脈地域の販売網へ新譜をより早く供給するための拠点として構想されていたことを示しています。
ブランズウィック
ブランズウィック・バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は1924年3月、販売組織の整備とラジオ連動の両面で動きを見せました。3月1日付『Music Trade Review』では、販売現場向け月刊紙『The Brunswick Salesman』の創刊が伝えられ、レコードと蓄音機の小売販売を支える社内情報共有の仕組みが整えられたことがわかります。さらに3月22日付『Radio World』では、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)との契約により、ラジオラ(Radiola)受信機をブランズウィック製蓄音機と組み合わせて扱う権利を得るとともに、同社の施設から放送を行う枠組みが示されました。1924年3月の同社は、録音商品と受信機を一体化した家庭向け娯楽機器市場へ本格的に踏み込んでいました。
- https://elibrary.arcade-museum.com/classic/Music-Trade-Review/1924-78-9/44
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-World/20s/24/Radio-World-1924-Mar-22.pdf
コロムビア
コロムビア・グラフォフォン製造会社(Columbia Graphophone Mfg. Co.)は1924年3月、再建計画の承認を受けて営業体制の立て直しを進めました。3月1日付『Music Trade Review』によれば、再編後の運営会社はコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)となり、旧会社は清算を担当する別会社として整理されることになりました。記事は、資金手当てのうえで事業継続を図る方針とともに、製造をコネチカット州ブリッジポート工場へ集約する見通しを伝えており、1924年3月のコロムビアが過剰設備の整理と製造集中によって再出発を図っていたことを示しています。
ソノラ
ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)は1924年3月、資本構成と製造体制を同時に組み替えました。3月1日付『Music Trade Review』では、追加普通株の発行によって資金を確保し、製造会社ソノラ社(Sonora, Inc.)の全株式を取得して吸収したことが報じられています。これにより、以後はソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)が製造部門と販売部門を一体で運営する体制となり、1923年利益の実績を踏まえて再成長を目指す局面に入っていました。
エオリアン
エオリアン社(The Aeolian Company)は1924年3月、ラジオ販売と自社音楽商品の接続を強めました。3月1日付『Music Trade Review』では、ニューヨークのエオリアン社(The Aeolian Company)とセントルイスのエオリアン社(The Aeolian Company of Missouri)が、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)製品の販売代理店に任命され、エオリアン・ホール(Aeolian Hall)および各支店でラジオラ(Radiola)製品を扱うことが伝えられています。あわせて、ヴォカリオン(Vocalion)のディスコグラフィでは、1924年3月に同社がニューヨークのラジオ局WJYでヴォカリオン録音歌手とデュオ=アート・ピアノ(Duo-Art piano)の放送を始めたと整理されており、同月のエオリアン社(The Aeolian Company)がレコード、再生ピアノ、ラジオを横断する販売導線を形成し始めていたことがわかります。
- https://elibrary.arcade-museum.com/classic/Music-Trade-Review/1924-78-9/44
- https://mainspringpress.org/wp-content/uploads/2026/01/VOCALION-14000_ed2-v3.pdf
