Issler’s Orchestra (1889-early 1900s)
Issler’s Orchestra(アイスラーズ・オーケストラ)は、19世紀末のアメリカで活動した録音史に残る先駆的なパーラー・オーケストラです。この楽団は1889年、エジソン研究所で最初期の商業用録音を目的として結成されました。発起人でありリーダーを務めたのは、ピアニストのエドワード・アイスラー(Edward Issler, 1855–1922)で、彼は「最初のスタジオ専属ミュージシャン」としても知られています。

By Book published by Schultz & Gasser – Men of Newark, 1904, Public Domain, Link
初期の録音
当時の録音は、音を蓄える媒体として蝋管(ブラウン・ワックス・シリンダー)を使用しており、技術的制約から演奏は小編成で行われました。Issler’s Orchestraの典型的なメンバーは、アイスラーのピアノを中心に、コルネット奏者のデイヴィッド・B・ダナ、フルート/ピッコロ担当のジョージ・シュヴァインフェスト、クラリネット奏者のウィリアム・タッソン、シロフォン奏者のチャールズ・P・ロウらで構成されていました。こうした楽器編成は、限られた録音時間と機材の収音性能に適したもので、家庭のパーラーでの再生にも好都合でした。
Issler’s Orchestraが手がけたレパートリーは多岐にわたり、当時人気のマーチ、ワルツ、ポルカ、クワドリル(四重舞踏曲)、演劇やオペラの編曲などを幅広く録音しました。その中でも代表作として知られるのが、1889年録音の「Fifth Regiment March(第5連隊行進曲)」です。この曲はエジソン研究所での初期実験録音の一つで、後にアメリカ議会図書館のナショナル・レコーディング・レジストリに登録されるほど、録音史的価値が高いと評価されています。
1890年代に入ると、Issler’s Orchestraはエジソン社だけでなく、ニュージャージー・フォノグラフ社やコロンビア社、USフォノグラフ社、シカゴ・トーキングマシン社など、当時の複数の録音会社で作品を制作しました。録音はすべて複製が難しい蝋管に記録されたため、現存する音源の多くは摩耗が激しく、完全な形で残っているものは少数です。それでも「Nanon Waltz」や「Electric Light Quadrille」などの録音は、今日でもインターネットアーカイブなどで復元版を聴くことができます。
特徴
Issler’s Orchestraの録音スタイルの特徴は、少人数ながら豊かで調和の取れた音作りにありました。コルネットとフルート/ピッコロの旋律が絡み合い、シロフォンがアクセントを添える演奏は、当時の大型ブラスバンドとは一線を画する、室内楽的な洗練を備えていました。録音メディアの制限を逆手に取り、限られた編成で最大の音楽的効果を引き出したこの工夫は、後の録音技術発展にも影響を与えたと考えられています。
人気のピークは1890年代中頃で、シリンダー録音の拡大と共に多くの家庭に彼らの音楽が届けられました。しかし世紀末になると、ジョン・フィリップ・スーザのような大型編成マーチングバンドが台頭し、時代はよりダイナミックな演奏を求めるようになります。これによりIssler’s Orchestraの需要は徐々に縮小し、1900年頃には録音活動を終えることとなりました。
Issler自身はその後も音楽活動を続け、1903年にはニュージャージー州の楽団員組合の会長を務めるなど、地元音楽界に影響を与え続けました。彼の楽団で活躍したメンバーの一部も、ディスク時代に入ってから個別に録音を残しています。
意義
Issler’s Orchestraの意義は、単なる初期録音グループに留まりません。彼らは録音スタジオ専属のプロ楽団という概念を実現し、後の録音文化の礎を築いた存在でした。その作品は現存数こそ限られていますが、米国の録音史の黎明期を物語る貴重な音の遺産として、研究者やコレクターの手で大切に保存・公開されています。録音技術が未熟だった時代に、技術と音楽の融合を体現したIssler’s Orchestraは、今日の音楽産業の原点を知る上で欠かせない存在なのです。
