1889年3月に録音された音楽
1889年3月の世界では、アメリカによるベーリング海支配の宣言やエチオピア皇帝ヨハネス4世(Yohannes IV, 1831 or 1837–1889)が戦死したメテマの戦い、サモア・アピア港での米独艦隊が暴風雨で壊滅する「サモア危機」など、帝国主義的な緊張と武力衝突が各地で顕在化しました。
一方で、アメリカでストロージャー式自動電話交換機の特許が出願され、イングランドではシェフィールド・ユナイテッドFCの創設やプレストン・ノースエンドの「リーグとFAカップの二冠」達成、インドではアフマディア派の成立、パリでは月末にエッフェル塔が完成するなど、通信技術・宗教運動・大衆スポーツ・都市景観の面で近代を象徴する動きが一斉に立ち上がった月でもありました。
この月の確認されている録音:1曲
??日(1曲)
※録音日は一次資料で「c. March 1889」とされており、正確な日付は不明です。
| Title | Artist |
|---|---|
| Fifth Regiment March | Issler’s Orchestra |
1889年3月の録音に関する情報のまとめ
1889年3月の録音まわりの動きは、エジソン研究所での試験的な音楽録音が進む一方で、各地の販売会社・オペレーター教育・興行実演など、普及のための体制づくりが本格化する時期にあたります。ここでは、一次資料から3月に直接言及している事例や、その前後の文脈から3月ごろと判断される録音関連の出来事を、録音史の流れの中でピックアップしてご紹介します。
Issler’s Orchestra「Fifth Regiment March」の録音
1889年3月ごろ、ニュージャージー州ウェスト・オレンジのエジソン研究所で、Issler’s Orchestra による「Fifth Regiment March」が黄色パラフィン系ワックス・シリンダーに録音されたと考えられます。録音はウォルター・H・ミラー(Walter H. Miller, 1870–1941)が担当し、現存するアメリカの音楽ワックス・シリンダーとして最古級の例の一つとみなされています。
「Pattison Waltz」と並ぶ最古級ワックス・シリンダー
1889年2月25日に録音された「Pattison Waltz」と、この3月録音とされる「Fifth Regiment March」は、いずれもウェスト・オレンジで制作された初期の音楽ワックス・シリンダーとしてセットで言及されます。前者はエフィー・スチュワート(Effie Stewart, 1863–1904)の歌唱を含む録音として知られ、両者は「実演・展示用の最古級音楽レコード」としてのちに「Edison Exhibition Recordings」としてまとめて言及され、後世に紹介されています。
Metropolitan Phonograph Company のオペレーター訓練計画
1889年3月4日付書簡で、アルフレッド・オード・テイト(Alfred Ord Tate, 1863–1945)は、Metropolitan Phonograph Company のチャールズ・オーガスタス・チーヴァー(Charles Augustus Cheever, 1852–1900)に対し、同社から数名のオペレーターをウェスト・オレンジの研究所で訓練する計画を確認しています。改良型フォノグラフの扱いを標準化し、各地で録音・再生デモを行う専門職を育成する動きが、3月の段階で本格化していたことを示す資料です。
Ohio Phonograph Company による技術習得をめぐる書簡
1889年3月6日付書簡で、ジョージ・H・ダナム(George H. Dunham, 生没年不詳)は、Ohio Phonograph Company の立場からトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)に宛てて、新型フォノグラフの実務を学ぶために東部へ赴く必要性を問いかけています。彼は「ウォルター・H・ミラーができるなら自分にもできる」と述べており、ウェスト・オレンジで蓄積された録音ノウハウが地方支社の技術者にも共有されつつあったことがうかがえます。
New Haven での「Concert Without Voices」報道
1889年3月25日付の新聞 New Haven News は、「Concert Without Voices」と題して、改良型フォノグラフによる演奏会の記事を掲載します。複数の音楽シリンダーを連続して再生する「コンサート」が詳細に描写されており、ウェスト・オレンジで制作された初期音楽録音が、3月の段階で地方都市の一般聴衆に披露されていたことがわかります。
パリ万博を見据えた人材募集とフォノグラフ展示構想
1889年3月29日付の手紙で、H・C・ベイリー(H. C. Bailey, 生没年不詳)は、自身の商業経験を活かしてエジソンのもとで働き、Exposition Universelle, 1889 の仕事に従事したいと申し出ています。書簡には Metropolitan Phonograph Company の名も挙げられており、3月末にはすでに、フォノグラフ展示や録音デモンストレーションのための人員・組織づくりが進められていたことが読み取れます。
電話とフォノグラフを組み合わせた長距離録音実験の報道
1889年3月20日ごろの南部州の新聞には、フィラデルフィアのフランクリン協会で行われた長距離電話とフォノグラフの実験が紹介されています。ウィリアム・ジョセフ・ハマー(William Joseph Hammer, 1858–1934)が講演し、ニューヨークから電話で送ったエフィー・スチュワート(Effie Stewart, 1863–1904)やテオドア・ホッホ(Theodor Hoch, 1842–1906)の演奏をフォノグラフに録音し、繰り返し再生するという内容で、通信と録音技術を組み合わせる試みとして位置づけられます。
