1890年1月に録音された音楽
1890年1月は、イタリアがアフリカ最初の植民地としてエリトリアを正式に設置し、イギリスがポルトガルにアフリカ内陸部からの撤退を迫る「1890年英・ポルトガル最後通牒」を突きつけるなど、帝国主義競争が一段と激化する一方で、「ロシアかぜ」と呼ばれたインフルエンザ・パンデミックがアメリカ合衆国などで死者のピークを迎えた月でした。
いっぽうで、アリス・サンガー(Alice B. Sanger, 1864–1941)がホワイトハウス初の女性スタッフに就任し、炭鉱労働者の全国組織ユナイテッド・マイン・ワーカーズ・オブ・アメリカが結成され、ネリー・ブライ(Nellie Bly, 1864–1922)の世界一周達成やトーマス・ウィリアム「トーピード・ビリー」・マーフィー(Thomas William “Torpedo Billy” Murphy, 1862–1939)の世界フェザー級王座獲得、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840–1893)作曲のバレエ『眠れる森の美女』初演など、政治・労働運動・報道・スポーツ・舞台芸術の各分野で近代社会を象徴する出来事が次々と起こりました。
この月の確認されている録音:51曲
14日(12曲)
| Title | Artist |
|---|---|
| Everybody’s Darling | Duffy & Imgrund Band |
| The Song That Reached My Heart | Duffy & Imgrund Band |
| The Monastery Bells | Duffy & Imgrund Band |
| Daughter Of Love Waltzes | Duffy & Imgrund Band |
| Golden Hours Song & Dance | Duffy & Imgrund Band |
| Erminie Waltz | Duffy & Imgrund Band |
| Bay State Commandery | Duffy & Imgrund Band |
| The Night Alarm | Duffy & Imgrund Band |
| The Old Oaken Bucket | Duffy & Imgrund Band |
| Tube Rose Waltzes | Duffy & Imgrund Band |
| Sounds Of Home Waltz | Duffy & Imgrund Band |
| American Airs | Duffy & Imgrund Band |
【1890年1月14日の出来事】
・ヨハン・イグナツ・フォン・デリンガー(Johann Joseph Ignaz von Döllinger, 1799–1890)
ヨハン・イグナツ・フォン・デリンガー(Johann Joseph Ignaz von Döllinger, 1799–1890)は、1890年1月14日にドイツ帝国バイエルン王国のミュンヘンで亡くなったカトリック神学者・教会史家です。教皇無謬説に反対し、復古カトリック教会の形成に思想的影響を与えるなど、19世紀カトリック教会の権威と近代思想の対立を象徴する存在でした。
※没日は資料により差があります
16日(14曲)
| Title | Artist |
|---|---|
| Everybody’s Darling | Duffy And Imgrunds Band |
| The Beggar Student | Duffy And Imgrunds Band |
| Mikado Selection | Duffy And Imgrunds Band |
| Monastery Bells | Duffy And Imgrunds Band |
| Monastery Bells | Duffy And Imgrunds Band |
| Old Oaken Bucket | Duffy And Imgrunds Band |
| American Airs | Duffy And Imgrunds Band |
| Selection Erminie | Duffy And Imgrunds Band |
| Golden Hours | Duffy And Imgrunds Band |
| Oneida March | Duffy And Imgrunds Band |
| Oneida March | Duffy And Imgrunds Band |
| Song And Dance | Duffy And Imgrunds Band |
| Society York (I) | Duffy And Imgrunds Band |
| Society York (I) | Duffy And Imgrunds Band |
【1890年1月16日の出来事】
・エドナ・フランシス・ディズニー(Edna Francis Disney, 1890–1984)
アメリカ・カンザス州リースで、エドナ・フランシス・ディズニー(Edna Francis Disney, 1890–1984)が生まれました。のちにウォルト・ディズニーの兄で共同創業者のロイ・O・ディズニーと結婚し、画家・慈善家としてウォルト・ディズニー・カンパニーの黎明期から成長期を支え、のちに「Disney Legend」として顕彰されました。
・ロジータ・フォーブス(Rosita Forbes, 1890–1967)
イングランド・リンカンシャーのライズホルム・ホールで、旅行作家ロジータ・フォーブス(Rosita Forbes, 1890–1967)が生まれました。彼女はサハラ砂漠奥地クフラの訪問記『The Secret of the Sahara: Kufara』などで知られ、20世紀前半の女性探検家・旅行記作家としてオリエンタリズムと冒険ブームを象徴する存在になりました。
17日(8曲)
| Title | Artist |
|---|---|
| Psalms [Palms?] Branches – Song | D. B. Dana Ed Issler |
| The Palm Tree | D. B. Dana Ed Issler |
| Dancing In The Barn | D. B. Dana Ed Issler |
| Anna – Polka | D. B. Dana Ed Issler |
| Old Folks At Home | D. B. Dana Ed Issler |
| Hartman’s Favorite | D. B. Dana Ed Issler |
| Jamie Dear | D. B. Dana Ed Issler |
| Casta Diva | D. B. Dana Ed Issler |
【1890年1月17日の出来事】
・サロモン・ズルツァー(Salomon Sulzer, 1804–1890)
オーストリア・ウィーンでユダヤ教会音楽を近代化したカントル兼作曲家サロモン・ズルツァー(Salomon Sulzer, 1804–1890)が亡くなりました。代表作『シル・ツィヨン』(Shir Tziyyon)はシナゴーグの詠唱・合唱・会衆応唱を体系化した画期的作品とされ、その様式は現在もウィーンや欧米各地のシナゴーグ礼拝音楽に受け継がれています。
・ツィーラーのワルツ「ナトゥルゼンガー」初演
1890年1月17日、ウィーンのハルモニーザールでオーストリアの作曲家カール・ミヒャエル・ツィーラー(Karl Michael Ziehrer, 1843–1922)のワルツ「ナトゥルゼンガー」(Natursänger, Op.415)が軍楽隊のコンサートで初演されました。この作品は「自然の歌い手たち」という題名どおり、鳥のさえずりや野外の喧噪を思わせる旋律が特徴で、ヨハン・シュトラウス2世以後のウィーン舞踏音楽の系譜に位置づけられるサロン向けワルツとして人気を得ました。
・ユリ・ファイエル(Yuri Fayer, 1890–1971)
ロシア帝国領のキエフ(現ウクライナ)でバレエ指揮者ユリ・ファイエル(Yuri Fayer, 1890–1971)が生まれました。彼はボリショイ劇場(Bolshoi Theatre)のバレエ部門の首席指揮者として、チャイコフスキーの『白鳥の湖』(Swan Lake)やプロコフィエフの『シンデレラ』(Cinderella)など数多くのバレエ作品を上演・初演し、ソ連バレエ音楽の黄金期を支えました。
18日(7曲)
| Title | Artist |
|---|---|
| Little Fisher Maiden | D. B. Dana Ed Issler |
| Love’s Dreamland Waltz | D. B. Dana Ed Issler |
| Song – Only To See Her Face | D. B. Dana Ed Issler |
| Emily Polka | D. B. Dana Ed Issler |
| Il Trovatore | D. B. Dana Ed Issler |
| Waltz Sweet 16 | D. B. Dana Ed Issler |
| Song – That I Alone Can Know | D. B. Dana Ed Issler |
【1890年1月18日の出来事】
・風刺週刊誌パンチに「Plain English!」掲載
英国の風刺週刊誌パンチ(Punch, or the London Charivari)の1890年1月18日号に、ジョン・テニエル(Sir John Tenniel, 1820–1914)の風刺画「Plain English!」が掲載されました。1890年の英葡対立(英国の対ポルトガル強硬策)を背景にした図像として、後世の研究でも参照されます。
20日(10曲)
| Title | Artist |
|---|---|
| Ave Maria | D. B. Dana Ed Issler |
| Goble Song | D. B. Dana Ed Issler |
| Ave Maria | D. B. Dana Ed Issler |
| The Song That Reached My Heart | D. B. Dana Ed Issler |
| Waltz – White Rose | D. B. Dana Ed Issler |
| Culver Polka | D. B. Dana Ed Issler |
| Maritana No. 1 | D. B. Dana Ed Issler |
| Maritana No. 2 | D. B. Dana Ed Issler |
| Killarney | D. B. Dana Ed Issler |
| Levy Athen Polka | D. B. Dana Ed Issler |
【1890年1月20日の出来事】
・コリン・オモア(Colin O’More, 1890–1956)
コリン・オモア(Colin O’More, 1890–1956)が誕生しました。
歌手・音楽教育者として活動し、放送事業の草創期にも関与したとされています。
・フランツ・パウル・ラハナー(Franz Paul Lachner, 1803–1890)
フランツ・パウル・ラハナー(Franz Paul Lachner, 1803–1890)が逝去しました。
19世紀ドイツの作曲家・指揮者で、当時の音楽界で影響力を持った一人でした。
1890年1月の録音に関する情報のまとめ
1890年1月の録音まわりの動きは、各地で「録音物(円筒レコード)が商品として流通する体制」が整っていく一方、私的録音や実験録音は日付が“範囲”でしか残らない例も目立ちます。ここでは、1890年1月に直接ひもづく「録音(確定/月内確定/推定)」と、その録音を支えた供給・運用の動きを録音史の文脈で拾い上げます。
円筒録音の販売・録音人材の取り扱い(1890年1月6日付書簡)
1890年1月6日付の書簡で、エジソン側が「円筒録音(Cylinder recordings)」と「録音アーティスト(Recording artists)」を同じ案件として扱っています。録音が“現場の人員・営業案件”として管理されていたことを示す手がかりです。
北米フォノグラフ社の刊行物:円筒録音の取り扱い(1890年1月17日)
North American Phonograph Co が1890年1月17日付で刊行物を出しており、円筒蓄音機と円筒録音が“公的に流通・議論される対象”だったことが確認できます。訴訟資料系列に入っている点も、録音ビジネスが制度面と結びついていた状況を示します。
エジソン社内:海外向け運用と円筒蓄音機(1890年1月21日付書簡)
1890年1月21日付で、エジソン側から Edison Phonograph Works 宛に海外商務(International business operations)と円筒蓄音機の案件が送られています。録音物の供給とセットで“海外の保守・販売”が回り始めていたことを示す周辺資料です。
エジソン社内:国際案件としての円筒録音(1890年1月23日付書簡)
1890年1月23日付で、エジソン側の書簡に「国際事業(International business operations)」と「円筒録音(Cylinder recordings)」が並記されています。録音が“国内娯楽”ではなく、輸出・契約・配送の対象として扱われていたことが読み取れます。
エジソン社内:製造調整としての円筒録音(1890年1月23日付書簡)
1890年1月23日付の別書簡では、「製造(Manufacturing)」と「円筒録音(Cylinder recordings)」が同じ枠で扱われています。録音円筒が“量産・調整が必要な製造物”として管理されていた局面を示します。
エジソン社内:生産難・労務と円筒録音(1890年1月25日付書簡)
トマス・エジソン (Thomas Alva Edison, 1847–1931) による1890年1月25日付書簡は、労務・生産調整・競争環境と並んで「円筒録音(Cylinder recordings)」を扱います。録音が“研究ネタ”ではなく“運用上のボトルネックを抱える量産物”になっていたことを示す資料です。
エジソン社内:資金・国際取引と円筒録音(1890年1月28日付書簡)
1890年1月28日付で、海外商務と融資(Loans)に加えて円筒録音が扱われています。録音ビジネスが“機材・在庫・輸出資金”と不可分になっていく局面が見えます。
モスクワ私的録音:チャイコフスキーらの肉声断片(1890年1月16〜22日頃)
ユリウス・ブロック(Julius Block, 1858–1934)の円筒(Block C283)は、モスクワで1890年1月(16〜22日頃)に録音された私的録音として整理されています。ピョートル・チャイコフスキー (Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840–1893) らが“遊び半分で声を入れる”断片が中心で、演奏録音以前の「肉声のスナップショット」として貴重です。
ブロック書簡:欧州での円筒録音の近況(1890年1月9日付)
1890年1月9日付で、ユリウス・ブロック(Julius Block, 1858–1934)がチャールズ・バチェラー(Charles Batchelor, 1845–1910)宛に、音楽・円筒蓄音機・円筒録音に関する書簡を送っています。後年“最初期級の私的円筒録音”として注目されるブロック活動を、同時代の一次資料として裏づける材料になります。
