1899年に録音された音楽

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1899年に録音された音楽

1899年は、19世紀末の世界が「戦争の拡大」と「平和の制度化」を同時に進めた年でした。5月18日–7月29日に開かれた第1回ハーグ平和会議(First Hague Peace Conference, 1899)では、国家間紛争を武力だけで処理しないための枠組みが議論され、「国際紛争の平和的解決に関する条約」に基づき常設仲裁裁判所(Permanent Court of Arbitration)が設けられます。一方で現実の衝突は激化し、フィリピンでは2月4日–5日のマニラでの交戦を端緒に米比戦争(Philippine–American War, 1899–1902)が本格化しました。南部アフリカでは10月11日に第二次ボーア戦争(Second Boer War, 1899–1902)が開戦し、帝国と共和国の対立が大規模な動員と長期戦を招きます。さらに中国では義和団運動(Boxer Rebellion, 1899–1901)が1899年に始まり、反外国・反キリスト教の暴力が国際的介入へ連鎖していきました。列強の勢力調整も進み、12月2日には米・独・英がサモアに関する三国条約(Tripartite Convention, 1899)へ署名し、群島の分割が合意として固定化されます。理念としての国際法と、現場で進む植民地戦争や分割の現実が、同じ年の中で噛み合わずに並走したことが1899年の特徴でした。

科学技術の面では、見えない現象を測定し、遠隔へ伝える技術が社会の時間感覚を変えていきます。グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874–1937)は1899年3月27日に英仏海峡横断の無線通信を成功させ、無線が実験から実用へ近づく象徴となりました。物理学ではアーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford, 1871–1937)が1899年に放射線を少なくとも二種(α線・β線)へ区別できることを示し、原子内部現象の理解が加速します。化学・医療ではバイエル(Bayer)が「Aspirin(アスピリン)」を1899年に特許・商標の形で展開し、鎮痛薬が工業製品として流通していく流れを強めました。産業の側でも、7月11日にトリノでフィアット(Società Anonima Fabbrica Italiana di Automobili – Torino、通称FIAT)が創業し、自動車が工業と都市生活の結節点になっていきます。通信、放射線研究、医薬の標準化、機械工業の展開が同時に進んだことで、情報とモノの循環速度そのものが上がっていきました。

文化と社会では、「作品や出来事が複製され、遠くへ届く」回路が太くなります。スコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1868–1917)の「Maple Leaf Rag」は1899年に出版・著作権登録され、楽譜流通を通じて反復演奏されるヒット曲の典型となりました。文学ではジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad, 1857–1924)の『闇の奥(Heart of Darkness)』が1899年に雑誌連載として公表され、植民地支配の暴力と近代の道徳をめぐる問いが読者層へ広がります。思想ではジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856–1939)の『夢判断(Die Traumdeutung)』が1899年11月4日に刊行され(表記上は1900年)、無意識をめぐる枠組みが20世紀の知の地図へ影響を与えました。スポーツの大衆化も進み、11月29日にフットボール・クラブ・バルセロナ(Foot-Ball Club Barcelona、現FC Barcelona)が創設され、都市の余暇文化を支える組織が生まれます。社会の動揺を示す出来事としては、1899年8月にサン・シリアコ・ハリケーン(San Ciriaco hurricane)がプエルトリコなどを襲い大きな被害を出しました。またアラスカのノーム・ゴールドラッシュ(Nome Gold Rush, 1899–1909)は、資源を求めた人口移動と市場の熱狂を加速させます。1899年は、戦争と国際制度、科学と産業、文化の複製と大衆化、災害と移動が同時進行し、20世紀の「加速する世界」を先取りするように輪郭づけた年でした。