1914年7月に録音された音楽

この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

1914年7月に録音された音楽

1914年7月は、ヨーロッパの外交危機が全面戦争へ転化した月でした。オーストリア=ハンガリー帝国(Austro-Hungarian Empire)は7月23日にセルビア王国(Kingdom of Serbia)へ最後通牒を発し、7月28日に宣戦しました。これに続いてロシア帝国(Russian Empire)は7月30日に総動員へ進み、列強間の衝突は回避困難となります。フランスでは反戦を訴えていたジャン・ジョレス(Jean Jaurès, 1859–1914)が7月31日に暗殺され、社会不安と戦時体制への移行がいっそう強まりました。メキシコではビクトリアーノ・ウエルタ(Victoriano Huerta, 1850–1916)が7月15日に辞任し、革命政局は大きく動きます。また、オーストラリアではモーリス・ギヨー(Maurice Guillaux, 1883–1917)が7月16日–18日にメルボルン–シドニー間の航空郵便飛行を成功させ、航空輸送史上の象徴的な出来事となりました。

この月の確認されている録音:0曲

1914年7月の録音に関する情報のまとめ

1914年7月の録音関連では、同月発売のシリンダー新譜、同月の録音日が確認できるディスク録音、そして業界誌に掲載された7月向け新譜告知が確認できます。資料上、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)については当月の活動を確認できますが、それ以外の主要会社については今回確認した資料だけでは1914年7月の活動を断定できません。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、Blue Amberol の1914年7月発売分が確認できます。ディスコグラフィ資料では、2325から2331までが1914年7月発売として整理されており、《The Fourth of July Patrol》やカル・スチュワート(Cal Stewart, 1856–1919)の《Fourth of July at Pun’kin Center》のような季節性の強い題材に加え、《Ernani》の抜粋、《I Love the Ladies》など、軍楽、語り物、歌唱、オペラ抜粋を混在させた編成になっていました。したがって同社は1914年7月時点でも、シリンダー部門を継続しつつ、祝祭的題材と通俗歌謡を組み合わせた月次供給を維持していたと判断できます。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)については、業界誌『The Talking Machine World』1914年6月号に「Record Bulletins for July, 1914」が載っており、7月向け新譜の発売予定が確認できます。さらにディスコグラフィ資料では、1914年7月15日にヴィクター・ミリタリー・バンド(Victor Military Band)が《The Memphis Blues》を録音し、7月28日および7月31日にはフレッド・ヴァン・エプス(Fred Van Eps, 1878–1960)関連の《Old Folks Rag》録音が行われていました。つまり同社は1914年7月、流行舞曲やラグタイムを含む新譜供給を進める一方、同月中のスタジオ録音も継続していたことが確認できます。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)については、1914年7月24日にフレッド・ヴァン・エプス(Fred Van Eps, 1878–1960)を中心とするヴァン・エプス・バンジョー・オーケストラ(Van Eps Banjo Orchestra)が《Thanks for the Lobster》と《Some Baby》を録音しており、少なくとも同月の録音活動は確認できます。《Thanks for the Lobster》はのちに Columbia A1593 として発売されており、同社が1914年夏の段階でダンス音楽系レパートリーの制作を続けていたことは確実です。ただし、今回確認した資料だけでは、それらが1914年7月中に発売されたとまでは断定できません。