1915年3月に録音された音楽
1915年3月は、第一次世界大戦の戦局が各地で大きく動いた一方、航空研究や映画文化の制度化も進んだ月でした。3月3日、アメリカ合衆国では国家航空諮問委員会(National Advisory Committee for Aeronautics)が設置され、航空技術研究を国家的に進める体制が整い始めました。同日、ニューヨークでは映画『國民の創生』(The Birth of a Nation)が初演され、長編映画の興行と表現をめぐる新たな段階を示しました。3月10日にはフランスでヌーヴ・シャペルの戦い(Battle of Neuve Chapelle)が始まり、18日にはダーダネルス海峡海軍作戦(naval operations in the Dardanelles Campaign)が大損害ののち頓挫しました。19日には英領インドでインド防衛法(Defence of India Act)が成立し、同じ日にローウェル天文台(Lowell Observatory)では後に冥王星と判明する天体像が写真乾板に記録されました。22日にはプシェミシュル要塞(Przemyśl)がロシア軍に陥落し、戦争、統治、科学、文化の各分野で近代世界の変化が同時進行していたことが見て取れます。
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1915年3月の録音に関する情報のまとめ
1915年3月の同時代業界資料をみると、録音業界は新譜供給の継続、販売会社向け支援、代理店網の拡張、都市ごとの品薄対応が同時に進んでいました。トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)はブルー・アンベロールの3月新譜を掲げ、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は月次新譜と販売支援物を動かし、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は新規取扱店の拡大と広告強化を進めていました。さらに、ニューヨーク・トーキング・マシン社(New York Talking Machine Co.)のような大手販売会社も独自の販促資料と営業体制を整備しており、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)も支店展開と都市広告を進めていました。確認できた企業のみを挙げると、1915年3月は生産・流通・販売現場の三層が同時に動いていた月でした。
エジソン
1915年3月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)では、ブルー・アンベロール3月定期リストとして2536番から2560番までの新譜が掲載され、「Panama Exposition March」「Operatic Rag」「My Melancholy Baby」「The Little Ford Rambled Right Along」などが当月商品として示されています。これは、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)が1915年3月時点でシリンダー新譜を継続供給していたことを直接示す資料です。
同じ3月号では、ダイヤモンド・ディスク機向けのエジソン・トーン・モジュレーター(Edison Tone Modulator)とファイリング装置が案内され、A150・A200・A250以上の機種向けに追加供給できることと価格が明記されています。つまり当月のトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、新譜供給だけでなく、再生機の運用性と店頭管理の改善も販促材料にしていました。
また同時代業界誌では、1914年12月の火災後に機械とレコードの出荷事情が日ごとに改善し、4月にはかなり平常に近づく見込みだとする業界側の見方が示されています。1915年3月の段階で、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)はなお復旧途上にありながら、商品供給の再建をかなり前進させていたと整理できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1915-Vol-13.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-03.pdf
ヴィクター
1915年3月の市場報告では、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)の3月新譜リストが高く評価され、とくに『チン・チン』(Chin-Chin)関連曲の売れ行きが強く、教育用レコードやレッド・シール(Red Seal)も好調とされていました。これは、当月のヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)が流行曲と高級盤の双方を市場で押し出していたことを示します。
一方で、供給不足も同時に報じられており、西部ではシャーマン・クレイ社(Sherman, Clay & Co.)が工場からのまとまった出荷到着を待っているとされ、入荷後は品薄がかなり緩和される見通しが語られていました。つまり1915年3月のヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、需要の強さに対し供給が追いつかない状態のなかで、流通回復を急いでいたことが分かります。
ニューヨーク・トーキング・マシン
ニューヨーク・トーキング・マシン社(New York Talking Machine Co.)は、1915年3月にヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)の取扱店向け月次サービス資料を発行し、3月新譜注文のためのレコード改訂表、在庫封筒用の番号帳、さらに「Aida」メドレーやハワイアン器楽新譜を訴求するカードを配布していました。これは、主要販売会社が単なる卸売ではなく、受注・在庫・宣伝の実務まで支えていたことを示す具体例です。
また同月、同社は81 Chambers Street から 119 West Fortieth Street への移転と床面積倍増が告知され、営業組織の拡張ぶりも紹介されていました。1915年3月のニューヨーク・トーキング・マシン社(New York Talking Machine Co.)は、ヴィクター販売網の中核的販売会社として、販促実務と営業体制の両方を強化していたといえます。
コロンビア
1915年3月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)では、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)がニューヘイブンのエドワード・マリー社(Edward Malley Co.)、ワシントンのジョージ・B・ケネディ社(George B. Kennedy Co.)、ヤングスタウンのジョージ・マッケルヴィー社(George McKelvey Co.)を新規取扱先として獲得し、各地で包括的なコロンビア部門を設ける計画が進んでいることが報じられています。これは、当月の販売網拡張を直接示す資料です。
同じ月には、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)が大規模な広告展開を開始し、その最初の告知を3月新譜に充てたことも確認できます。また市場報告では、2月・3月の新譜リストが好評で、レコード需要が増している一方、商品不足がなお課題であることも述べられています。1915年3月のコロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は、広告、代理店増設、供給調整を同時進行で進めていました。
ソノラ
1915年3月には、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)がシカゴに中西部向け卸売拠点を開き、339 South Wabash Avenue に支店を置いて、全機種見本を示しながら代理店開拓を進めていることが報じられています。これは、同社が蓄音機会社として地域販売網の拡張を進めていたことを示す明確な当月資料です。
さらにニューヨークでは、57 Reade Street のソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)が、200ドル機「Sonora Grand」を Broadway の大型ショーウィンドーに置いて大きな宣伝を行っていました。したがって、1915年3月のソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)は、録音物の制作よりも、機械販売と都市広告を軸に存在感を広げていたと整理できます。なお、この月の資料上では独自レコード制作の進行までは確認できません。
