1915年9月に録音された音楽

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1915年9月に録音された音楽

1915年9月は、外交、軍事、自然保護、反戦運動が同時に動いた月でした。9月1日、ドイツ帝国(German Empire)は旅客船を警告なしに攻撃しない方針を示し、アメリカ合衆国との緊張をいったん和らげました。4日にはロッキー山脈国立公園(Rocky Mountain National Park)の献園式が行われ、自然保護の国家的枠組みが可視化しました。5日にはニコライ2世(Nicholas II, 1868–1918)がロシア軍の最高指揮を自ら執り、同月上旬にはスイスでツィンメルヴァルト国際社会主義者会議(International Socialist Conference at Zimmerwald)が開かれて、戦争反対の国際連携が模索されました。さらに6日にはブルガリア王国(Kingdom of Bulgaria)が中央同盟国側に加わり、25日には第二次シャンパーニュ会戦(Second Battle of Champagne)と第三次アルトワ会戦(Third Battle of Artois)が始まり、西部戦線の消耗戦はいっそう深まりました。

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1915年9月の録音に関する情報のまとめ

1915年9月の録音関連では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の販売体制と販促活動が最もはっきり確認できます。1915年9月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』は、販売店大会、運賃規則、店頭展示、カナダの販売拠点をまとめて扱っており、同社がこの月に販売網の整備を重視していたことを示しています。加えて、ブルー・アンベロール(Blue Amberol Records)の総目録からは、1915年11月発売分の一部が1915年9月上旬から中旬のディスク原盤に基づいていたことが確認でき、9月がシリンダー供給のための制作月でもあったことが分かります。エジソン系以外では、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)が博覧会展示と西海岸需要への対応を続け、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)も博覧会・展示会を利用した販促を継続していました。当月資料で月内活動を安全に確認できる範囲では、以下の企業と販売会社を立てるのが妥当です。

エジソン

1915年9月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の活動が、新譜の告知よりも販売実務の整備として目立っています。誌面では、エジソン販売店大会の開催、運賃規則と誤申告の危険に関する説明、販売店向けの店頭展示案が取り上げられており、同社が販売現場の統制と見せ方を重視していたことが分かります。また、ブルー・アンベロール総目録では、1915年11月発売のブルー・アンベロール第2729番、第2731番、第2732番が、それぞれ1915年9月13日、9月9日、9月3日のディスク原盤に基づいていたことが示されています。1915年9月のトーマス・A・エジソン社は、販売網の訓練と販促を進めながら、ディスク原盤からシリンダー商品へ転用する制作体制も稼働させていました。

エジソン海外法人

1915年9月号の誌面上部には、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)本社に加えて、トーマス・A・エジソン有限会社(Thomas A. Edison, Ltd.)ロンドンおよびシドニー、コンパニア・エジソン・イスパノ・アメリカーナ(Compania Edison Hispano-Americana)、エジソン・ゲゼルシャフト有限責任会社(Edison Gesellschaft, M. B. H.)、コンパニー・フランセーズ・トマ・A・エジソン(Compagnie Francaise Thomas A. Edison)が並記されています。これにより、1915年9月時点でエジソンの録音関連事業が北アメリカだけでなく、イギリス、オーストラリア、アルゼンチン、ドイツ、フランスへ伸びる国際販売体制として示されていたことが確認できます。ただし、この誌面だけでは、それぞれの現地法人が1915年9月に独自録音を行ったのか、販売と流通を主務としていたのかまでは確認できません。

アール・エス・ウィリアムズ

1915年9月号は、カナダの主要販売会社であるアール・エス・ウィリアムズ・アンド・サンズ社(R. S. Williams & Sons Co., Ltd.)のハミルトン店を写真入りで紹介しています。記事によれば、この店舗は白色エナメル仕上げの店内、マホガニー仕上げの防音室6室、地下の演奏会場を備えていました。1915年9月の録音関連情報として重要なのは、この店舗が同月号で成功事例として扱われている点です。アール・エス・ウィリアムズ・アンド・サンズ社は、単なる卸売ではなく、試聴、演奏会、実演を組み込んだ体験型販売拠点をエジソン系流通のなかで整備していました。

ヴィクター

1915年9月号の『ザ・トーキング・マシン・ワールド』では、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)の「ヴィクター・テンプル・オブ・ミュージック」が、パナマ=パシフィック国際博覧会(Panama-Pacific International Exposition)の有力展示の一つとして紹介されています。これは、1915年9月のヴィクターが博覧会空間を使った公開実演と広告活動を継続していたことを示します。さらに同誌10月号では、西海岸の主要販売会社シャーマン=クレイ社(Sherman, Clay & Co.)の担当者が、9月は卸売・小売ともに好調で、増大するヴィクター需要に対して十分な供給を得るのが難しかったと述べています。1915年9月のヴィクターは、博覧会での訴求と、西海岸市場での強い需要対応が並行して進んでいました。

コロムビア

1915年秋の『ザ・トーキング・マシン・ワールド』では、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)が、博覧会と展示会を活用した販促を続けていたことが確認できます。10月号は、パナマ=パシフィック国際博覧会のコロムビア・ブースで近週に歌唱実演が行われていたこと、またトロント・フェアではコロムビア・レコードの製造工程展示が行われていたことを伝えています。これらの記事から、1915年9月の後半にかけても、コロムビアが公開展示を通じて商品理解と販売促進を図っていたことが分かります。ただし、この資料だけでは、1915年9月中の個別支店ごとの販売成績や録音実施日までは確認できません。