1916年に録音された音楽

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1916年に録音された音楽

1916年は、第一次世界大戦が「消耗の速度」と「総力戦の制度化」をいっそう露わにした年です。西部戦線では、ヴェルダンの戦い(Battle of Verdun, 1916年2月21日–12月18日)が長期の攻防として展開し、続くソンムの戦い(Battle of the Somme, 1916年7月1日–11月18日)では、人的損耗と機械化が並走しました。ソンム戦域のフレール=クルスレットの戦い(Battle of Flers–Courcelette, 1916年9月15日)で戦車(tank)が実戦投入され、火力・装甲・工兵的発想が戦場の想像力を塗り替えていきます。海上でも、ユトランド沖海戦(Battle of Jutland, 1916年5月31日–6月1日)が「決戦」を求める海軍戦略の限界と、封鎖・補給・情報の重みを印象づけました。東部戦線では、ブルシーロフ攻勢(Brusilov Offensive, 1916年6月4日開始)が戦線全体の圧力を変動させ、戦争が単一の正面だけでは理解できない段階に入ります。

同時に、戦場の外側でも秩序の組み替えが進みます。中東では、英仏の秘密協定であるサイクス=ピコ協定(Sykes–Picot Agreement, 1916年5月16日)が戦後構想を先取りし、アラブ反乱(Arab Revolt, 1916年6月10日開始)はオスマン帝国支配への抵抗と列強外交が交差するかたちで拡大しました。ヨーロッパ内部でも、ダブリンのイースター蜂起(Easter Rising, 1916年4月24日–29日)は帝国内の統治問題を戦時下で噴出させ、政治的帰結を長く残します。さらに、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I, 1830–1916)の死去(1916年11月21日)は、戦時の多民族帝国が抱える構造疲労を象徴する出来事でした。英国では軍務法(Military Service Act 1916)が徴兵制導入の枠組みとなり(1916年3月2日発効)、社会・労働・良心(conscientious objection)を含む「国家と個人」の再調整が避けられなくなります。

この「総力戦」は、時間感覚そのものにも介入しました。夏時間(Daylight Saving Time)は、ドイツで1916年4月30日に導入され、英国でも同年5月21日に始まります。生産・輸送・照明といった資源配分の最適化が、暦と時計の運用へと落ちていったことは、戦争が行政技術として深く社会へ浸透したことを示します。政治の側でも、英国首相がデイヴィッド・ロイド=ジョージ(David Lloyd George, 1863–1945)へ交代(1916年12月)するなど、戦時統治の形式が変化しました。

一方で、戦争の世紀は「破壊」だけでなく「制度」と「文化」の創発も伴います。米国では国立公園局(National Park Service)が組織法(Organic Act)により設立(1916年8月25日)され、自然保護と公共利用の国家的枠組みが整備されました。国境の緊張は北米にも及び、フランシスコ・パンチョ・ビリャ(Francisco “Pancho” Villa, 1878–1923)によるコロンバス襲撃(1916年3月9日)を受けて、米軍はジョン・J・パーシング(John J. Pershing, 1860–1948)指揮のメキシコ遠征(Punitive Expedition, 1916年3月開始)へ踏み込みます。社会運動の面では、マーガレット・サンガー(Margaret Sanger, 1879–1966)がブルックリンで米国初の産児制限クリニック(birth control clinic)を開設(1916年10月16日)し、医療情報と女性の身体をめぐる政治が公然化していきました。

文化と知の領域でも、1916年は「近代の加速」が見えます。チューリッヒではキャバレー・ヴォルテール(Cabaret Voltaire)が開かれ(1916年2月5日)、フーゴ・バル(Hugo Ball, 1886–1927)らが推進したダダ(Dada)は、戦争の合理性に対する反芸術・反言語の実験として広がりました。科学ではアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879–1955)が一般相対性理論(General Theory of Relativity)を体系化する論文を発表し、重力波(gravitational waves)を理論的に論じるなど、自然観を根底から更新します。大衆メディアも戦時の回路を担い、英国の映画『ソンムの戦い』(The Battle of the Somme, 1916年8月公開)は、前線の映像が社会の感情や認識を組織しうることを示しました。1916年は、戦場・国家・日常・表現が同じ速度で変形していく、その結節点として位置づけられます。