1922年8月に録音された音楽

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1922年8月に録音された音楽

1922年8月は、政治秩序の揺れと新しい通信文化の拡大が並行して進んだ月でした。2日にはアレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847–1922)が死去し、19世紀以来の通信革命を象徴した時代に区切りが付きました。イタリアでは同月の反ファシスト・ゼネストが短期間で崩れ、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)の立場がさらに強まりました。20日にはアメリカ海軍タコマ号(U.S.S. Tacoma)上でホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグアの三国首脳が協定に署名し、中米外交の調整が図られました。22日にはアイルランド内戦の最中にマイケル・コリンズ(Michael Collins, 1890–1922)が殺害され、独立国家形成の過程は大きく揺れました。8月下旬にはニューヨークのWEAF放送局(WEAF)で不動産広告が流れ、放送の商業利用が現実のものとなりました。さらに26日から30日にかけては、ムスタファ・ケマル(Mustafa Kemal, 1881–1938)率いるトルコ側の大攻勢とドゥムルプナルの戦いが進み、小アジアの戦局は決定的に転換しました。

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1922年8月の録音に関する情報のまとめ

1922年8月の録音界では、主要各社が新規録音を続ける一方で、廉価盤の拡張、販路の広域化、蓄音機の新機種投入など、企業活動の面でも動きが見えました。ディスコグラフィ上で8月録音または8月頃の発売が確認できる会社に加え、同月の業界誌や後年の整理資料で8月の活動を確認できる会社だけを挙げます。また同月には、商業放送局によるレコード放送を制限する新しい無線規則が出され、録音産業を取り巻く環境にも変化が生じていました。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)では、8月1日に《Romany love》、8月9日に《Polka cherry》《Peasant’s polka》、8月30日に《Zenda》などの録音が確認できます。1922年8月の同社は、流行歌系だけでなく、民族音楽系やダンス音楽系を含む幅広いレパートリーを継続して制作していました。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)では、8月1日に《Call me back, pal o’ mine》、8月7日に《You remind me of my mother》《Coal black mammy》、8月30日に《The rose shall bloom again》《Eileen Alannah》などが確認できます。8月の録音内容を見ると、通俗歌、ダンス音楽、声楽系の各分野を並行して扱っていたことが分かります。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、8月1日に《Are you playing fair》《Susie》、8月7日に《Wistful waltz》が確認できます。少なくとも確認できる範囲では、同社は1922年8月にも新規録音を続け、ダンス音楽系と通俗歌系の供給を維持していました。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)では、おおむね1922年8月として《Dixie Highway》《Brother’n-law Dan》を収めた Brunswick 2318 と、《Day by day the manna fell》《Eternal Mind the Potter is》を収めた Brunswick 2722 が確認できます。確認できる題材は流行歌系と宗教歌系にまたがっており、当月も複数の市場を意識した制作が続いていました。

オーケー

ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corp.)のオーケー・レコード(OKeh Records)では、おおむね1922年8月として OKeh 8037《Wicked blues》《He may be your man, but he comes to see me sometimes》と、OKeh 9063《Dichiaramento》《Si é guappo o no》が確認できます。ブルース系タイトルと外国語盤が同月内に並んでおり、同社が複数の購買層を意識していたことは明らかです。

カメオ

カメオ・レコード社(Cameo Record Corporation)では、1922年8月に経営持分の移動と社内体制の変化が起こり、同時に制作量の増加に対応するため録音を二か所で行っていたと報じられています。1922年8月の同社は、廉価盤会社として拡張局面にあったとみてよいです。

ブラック・スワン

ペース・フォノグラフ社(Pace Phonograph Corp.)のブラック・スワン・レコード(Black Swan Records)では、1922年8月に『ニューヨーク・エイジ』(The New York Age)が中央アメリカ、西インド諸島、フィリピン向けの出荷を報じています。少なくともこの時点で、同社はアメリカ国内にとどまらない販路拡大を進めていました。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company, Inc.)では、8月15日号の『ザ・トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)に、50ドルのポータブル機を入口として、より大型のソノラ製品へ買い替えを促す販売訴求が確認できます。1922年8月の同社は、ポータブル機を前面に出した販売戦略を明確に打ち出していました。

スター

スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)では、同じく8月15日号の『ザ・トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)で、新しいコンソール型機種の投入とその好調ぶりが報じられています。1922年8月には、レコード会社だけでなく蓄音機メーカー側でも商品構成の更新が進んでいました。