1925年に録音された音楽

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1925年に録音された音楽

1925年は、戦後秩序の「修復」と、大衆文化・技術の「加速」が同時に進んだ年です。欧州ではロカルノ条約(Locarno Treaties)が1925年10月にロカルノで合意され、12月1日にロンドンで署名されました。国境の不可侵などを枠組み化して緊張緩和を図る一方、戦争の手段そのものを縛る動きも強まり、化学兵器・生物兵器の戦時使用を禁じるジュネーヴ議定書(Protocol for the Prohibition of the Use in War of Asphyxiating, Poisonous or Other Gases, and of Bacteriological Methods of Warfare)が1925年6月17日に署名されます。国内政治は安定一色ではなく、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883–1945)の権力集中が進むイタリアや、パウル・フォン・ヒンデンブルク(Paul von Hindenburg, 1847–1934)が大統領に就任したドイツ国(Germany)など、民主主義の脆さも露呈しました。

植民地支配と民族運動の衝突も拡大します。中国ではスン・ヤトセン(Sun Yat-sen, 1866–1925)が1925年3月12日に死去し、5月30日の上海での発砲事件を契機に反帝国主義的な抗議とストライキが広がりました。運動は広州–香港ストライキ(Canton–Hong Kong strike, 1925–1926)へ連鎖し、都市の機能を麻痺させます。中東ではフランス委任統治下のシリアでスルタン・アル=アトラシュ(Sultan al-Atrash, 1891–1982)が1925年7月に蜂起を呼びかけ、大シリア反乱(Great Syrian Revolt, 1925–1927)が始まりました。イランでは制憲議会がカージャール朝の君主を廃してレザー・シャー(Reza Shah Pahlavi, 1878–1944)を国王に選出し、王朝交代が制度として確定します。

同じ年、世界は「見えない世界のルール」も更新します。ヴェルナー・ハイゼンベルク(Werner Heisenberg, 1901–1976)は1925年に量子力学の新しい定式化を提示し、ヴォルフガング・パウリ(Wolfgang Pauli, 1900–1958)は排他原理を提案しました。ポール・ディラック(Paul Adrien Maurice Dirac, 1902–1984)も1925年に量子力学の基礎方程式をめぐる論文を発表し、のちの電子工学や通信技術の理論的基盤が強化されていきます。

大衆文化の回路も刷新されます。パリでは国際装飾美術・産業美術博覧会(International Exhibition of Modern Decorative and Industrial Arts)が1925年4月末から11月にかけて開催され、都市生活のデザイン語彙を拡散しました。出版ではフランシス・スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald, 1896–1940)の『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)が1925年4月10日に刊行され、『ニューヨーカー』(The New Yorker)も1925年2月21日に創刊されます。映画ではチャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin, 1889–1977)がサイレント映画『黄金狂時代』(The Gold Rush, 1925)を発表しました。アメリカ合衆国(United States of America)ではバトラー法(Butler Act)が成立し、進化論教育を巡る論争がスコープス裁判(State of Tennessee v. Scopes)として世間の注目を集めます。

録音史の観点では、1925年は“音の記録”が更新された節目です。コロンビア(Columbia)はウェスタン・エレクトリック(Western Electric)方式を採用し、1925年4月から電気録音(electrical recording)を本格化させました。マイクロフォンと電気的カッティングによって再現性が高まり、同時代の歌唱や楽器の質感が盤に刻まれる条件が整います。ジャズではルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)が1925年にバンドリーダーとして初期の重要録音を残し、即興の語法がレコードを通じて共有される回路が開かれました。条約と反乱、理論の刷新と都市文化、そして電気録音の普及が交差した1925年は、近代の「記録される世界」が一段と厚みを増す転換点として位置づけられます。