1952年に録音された音楽

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1952年に録音された音楽

1952年の世界は、第二次世界大戦後の秩序が冷戦の緊張の中で固まりつつ、政治・技術・大衆文化が同じ速度で結び直されていった年でした。朝鮮戦争(Korean War, 1950–1953)では停戦交渉が続き、戦線の膠着が長期化します。一方で北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)は1952年2月18日にギリシャとトルコを加盟国として迎え、対立構造は地理的にも拡張しました。ヨーロッパでは欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community)が1952年7月23日に発効し、統合の制度が現実の運用として動き出します。またパリでは欧州防衛共同体設立条約(Treaty establishing the European Defence Community)が1952年5月27日に署名され、欧州の安全保障を共同化しようとする構想も具体化しました。イギリスではジョージ6世(George VI, 1895–1952)の死去によりエリザベス2世(Elizabeth II, 1926–2022)が即位し、帝国の時代から新しい国際関係へ移る象徴的な転換が意識されます。中東ではムハンマド・ナギーブ(Muhammad Naguib, 1901–1984)やガマール・アブドゥル=ナーセル(Gamal Abdel Nasser, 1918–1970)らによる1952年のエジプト革命(Egyptian Revolution of 1952)が起き、旧体制の揺らぎが地域秩序を変えました。植民地世界でも緊張が高まり、ケニアではマウマウ蜂起(Mau Mau Uprising)を背景に非常事態が宣言され、ジョモ・ケニヤッタ(Jomo Kenyatta, 1894–1978)が拘束されるなど、独立へ向かう摩擦が表面化します。アメリカ合衆国では1952年アメリカ合衆国大統領選挙(1952 United States presidential election)でドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower, 1890–1969)が当選し、世界政治の重心は「軍事」と「同盟」の語彙をいっそう濃くしました。

軍事技術の面では、核時代の輪郭がさらに濃くなります。太平洋のエニウェトク環礁ではオペレーション・アイビー(Operation Ivy)の一環としてアイビー・マイク(Ivy Mike)が1952年11月1日に実施され、熱核兵器の実験が現実となりました。イギリスもオペレーション・ハリケーン(Operation Hurricane)を1952年10月3日に実施し、核保有国としての地位を固めます。都市生活の脆さも露呈し、ロンドンではロンドン大スモッグ(Great Smog of London)が1952年12月5日–9日に発生して多数の死者を出し、環境と公衆衛生が政治課題として無視できないことを刻みました。感染症の不安も強く、世界保健機関(World Health Organization)の整理ではジョナス・ソーク(Jonas Salk, 1914–1995)によるポリオワクチン開発が1952年–1955年の流れとして位置づけられ、流行への恐怖と科学への期待が同時に増幅していきます。基礎科学ではアラン・ロイド・ホジキン(Alan Lloyd Hodgkin, 1914–1998)とアンドルー・フィールディング・ハクスリー(Andrew Fielding Huxley, 1917–2012)が1952年に神経の興奮伝導を数量的に記述する研究を発表し、生命現象を数式で扱う態度が強く印象づけられました。

距離を縮めたのは政治だけではありません。デ・ハビランド・コメット(de Havilland Comet)は英国海外航空会社(British Overseas Airways Corporation)で1952年5月2日に就航し、ジェット旅客機の定期運航が始まります。計算機も研究室の外へ出はじめ、インターナショナル・ビジネス・マシーンズ社(International Business Machines Corporation)は1952年に『IBM 701』を発表し、計算が産業と国家の意思決定へ入り込む土台を広げました。さらに1952年アメリカ合衆国大統領選挙(1952 United States presidential election)の開票放送では、コロンビア放送システム(Columbia Broadcasting System)がユニバックI(UNIVAC I)による予測を取り上げ、ウォルター・クロンカイト(Walter Cronkite, 1916–2009)が視聴者の前で「機械の予測」を扱うという新しい光景が生まれます。国際的な共有体験としては、オスロで第6回冬季オリンピック競技大会(1952 Winter Olympics)が1952年2月14日–25日に、ヘルシンキで第15回オリンピック競技大会(1952 Summer Olympics)が1952年7月19日–8月3日に開催され、戦後の世界が競技と放送を通じて同じ時間を持ち直そうとする姿も見えました。日本では日本国との平和条約(Treaty of Peace with Japan)が1952年4月28日に発効して占領が終結し、同日に日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(Security Treaty between the United States of America and Japan)も発効します。また国際通貨基金(International Monetary Fund)には1952年8月13日に加盟し、戦後の枠組みは国際制度の中へ改めて組み込まれました。こうした「同盟」「移動」「放送」「計算」の結節点が増えたことは、音楽がレコードと放送で同時に流通し、国境を越えて同じ曲が同じ速度で共有されていく1950年代の条件を、静かに整えていったとも言えます。